一人で十字架を担うことがどんなにつらいか、私は知っています

創造主の光と熱をそれぞれに受けて、一人の天使となって永遠に生きるように結ばれたはずの伴侶と、こころが通じ合えない、人生の大切な時々で価値観が一致しない、そういった瞬間というのはつらいものですね。

性愛が浄化され、聖霊のバプテスマを受けて、主の迫りを受け結婚を捧げる決意をしてから、どの女性ももはや恋愛の対象とみなくなってから、イエス様からこの者がおまえの伴侶であるとの啓示を受けて結婚していない人がほとんどでしょう。その場合、果たして、この結婚が、主の御心によるものだったのだろうか、自己愛や好色に動かされて、早合点して間違った結婚をしてしまったのではないかという疑念がわくのは当然です、というかない方が珍しい。

もはや己が性欲によっても、結婚への憧れによっても、どんな異性にも心動かされないところまで聖別れ、さらには、人生での結婚そのものも主に捧げて、聖霊を受けた後は、ひたすら、天に早く帰ることだけが切なる願いとなって、不安と悲惨のあるこの世での日々をただ主にすがって生きているときに、主から直接、自分の伴侶を教えられて、それに従うという進み方だけが、一番確かで、幸せで、不一致があっても、それを不信仰を克服し、どこまでも主に懸ける意義ある試練の時として受け入れることができる結婚生活であるのだろうなと思います。

「アンヘドニア」悪い意味ではないですよ。霊的アンヘドニアと言いましょうか。私もそれでこころが一色に染まることがあります。

そのときは、世の空虚さが素のまま目の前に現れて、なにが楽しくてみんな生きているんだろう、よくみんなあちらこちらにエネルギーを向けながら何かを求めて、何かに惹かれて、突き進んでいけるな(ある種の尊敬のような感覚)、と別世界の人のように、まさに、自分だけが、その世界からはぐれた存在のようになって、眺めています。これは、世や欲の酔いがさめたような状態なのかもしれません。

「わたしはだれを天に持ち得ましょう。地には汝の他わが慕うものなし。 」詩編73:25

「あなたこそ、わたしの主、
 わたしの幸いはあなたの他にありません。」詩編16


早く天に帰って天使たちの世界に、イエス様の所に戻ることだけが望みとなり、それだけを楽しみにして、そのたびに「まだ私の時ではない」との言葉が返ってきて、かなえられず、がっかりして、を繰り返して

結婚も、この世では結婚しないだろう、天においての結婚だろう。お互い天界に帰ってから結婚すれば、お互いにそれにふさわしい天使になって真の結婚ができるから、そしてそこには悪人も災害も病もないので、不安なく、主の熱と光を互いに受けて一つの天使として成長していけるからと。

ところが、この世での結婚し、子供が生まれ‥、観念するようになって

あれは、当時のとても幼かった私の魂を、イエス様が騙しながら、なだめすかしながら、導いて、ここまで鍛えて成長させてくださったのだ、これ以上世で生きるのがつらい、子供たちのことで不安で苛まされる、伴侶との一致のなさで嫌気がさし何度もうんざりしてしまう、そんなこれまでの人生がなかったら、いまの主の愛をより深く理解し、主を信じる忍耐を強められ、人々を憐れむ憐れみが命となり、互いに塩をもって皆と共に生きていく智慧をいただくことができなかった、子供をもって育てなかったら、自分の命よりも子供を愛するといういまの父親の命には生まれ変われなかった、また伴侶に対しての夫の命も得られなかったと。

そして、望みの通りになっていたとしたら、今の私はありませんし、あなたと会うこともなかったでしょうし、今のあなたもなかったことでしょう。どうなっていたのだろうと思うとゾッとします。みんなつながっているんですよね。

何年か前までは、天に帰りたい思いは日に日に募っていくけれども、いまは自分以外の理由で天に帰れない、子供がまだ真理の教えを受け入れていないから。

伴侶のことについては、2日前に『私に啓示された福音10巻中』で読んだイエス様の言葉が励みになります。
復活されたイエス様が、弟子のひとりひとりに現れていくのですが、宮廷仕えクザの妻ヨハンナに現れた時のことばです。イエス様が十字架刑で殺されて、世の圧力で立場が悪くなることを恐れて、わずかばかりみられた主への友好も消え失せた夫クザから、嘲られ、罵られ、主を失ったばかりか、夫からの夫婦の愛情も崩れ落ちて、ひたすら泣き続けていたヨハンナに、復活した主イエス様が現れました。

「ええ、一人で十字架を担うことがどんなにつらいか、私は知っています。だから、あなたのそばに来ました。
 ヨハンナ、あなたに話しているのがだれかわかりますか?
 あなたの家はもう、キリストの友の家ではないのですか?なぜですか?
 たとえ、あなたの地上の夫が、人間的な悪の雲に隠された星のようであったとしても、あなたはイエズスのヨハンナではありませんか。
 先生はあなたを放っておきません。
 イエズスは、霊的な伴侶になるために来た魂を、決して置き去りにしません。
 イエズスは常に、先生、友、伴侶です。
 よみがえった今、なおさらです。

 ヨハンナ、顔を上げなさい。私を見なさい。
 このようにひそかにあなたに会いに来たことで、他の女弟子たちに現れたよりも、もっとよく教えることが出来ます。
 あなたがこれからどういう行動をとるべきか。多くの姉妹たちについても同じです。

 動揺しているあなたの夫を、忍耐強く愛しなさい。夫に以前よりも優しくしなさい。
 彼は自分のうちに人間的な苦い恐怖を育てているのでしょう。
 彼が人間的な利益の影を広げようとするなら、あなたの霊的光をもっと輝かせなさい。
 二人(イエス様から預けられ養子縁組された姉弟)のために、忠実でいなさい。

未来には、どんなに多くの女性が、神のご意志と夫の意思とで選択を迫られることでしょう!
でも、彼女たちは、愛や母性を超えて神に従うなら、素晴らしい人になれるでしょう。あなたの受難は始まっています。
そうです。でも、どんな受難も、復活で終わることがわかるでしょう‥」

2000年前、ヨハンナを励まされたイエス様は、今も生きて私たちを守り、導き、助けてくださっています(あなたも何度も体験されてきたように)。
”未来に現れる多くの女性”に、イエスさまはあなたのことも見つめて仰ったんですよね。
”あなたはイエスの○○〇ではありませんか。”
私も、主に励まされて御もとに招かれるそんな女弟子たちに倣いたいと思います。
どんな受難も復活で終わることを体験するために。

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