”命よりも大切なのもの”から自由意思とは?まで



Q1. 先生にはご自分の命よりも大切なものってありますか?

A1. 一番大切なものを命というとしたら、永遠の命がこの肉の命に優って大切なのでしょう。

なにかに殉ずるというのは、肉の命に代えても大切なものを優先するということになります。

その場になって、それを通せるかどうかはなはだ疑わしいですが、

義に殉じたいと願います。

桔梗や 男も汚れてはならず     石田波郷

露寒や 凛々しきことは美しき 富安風生

自分の欲念を優先して他者を犠牲にしない人格になりたいです。


Q2.『自分の欲念を優先して他者を犠牲にしない人格になりたいです』

というのは自分も今は同じ考えです。 先生が仰っている

「義に殉ずる」とは例えば神様との関係の正しさのことでしょうか?

もしくは神様からの使命を全うするという行いのことでしょうか?


A2. 神様との関係の正しさのことになります。


Q3. 先生は神様の存在を信じていると思うのですが逆に悪魔のような存在も認めるということになるのでしょうか?

そして自ら命を絶つことに何の意味もなく苦しみが続いていくのだとするならばそれは神様がそう導いていることになるのでしょうか?

神だから全てを等しく知恵は授けるが手は貸せませんみたいなことなのでしょうか?

A3. 天使も悪魔も元々は人間です。

死んだあと、

善と真理を求めて生きた人は天使に

悪と誤謬を求めて生きた人は悪魔になります。

人には自由意思があり、それが人の責任になっていきます。

人の選択できないところは人の責任にはなりません。

神、天使たちは常に人に善と真理に向うよう働きかけています。

しかし、人が自分で自由であるという感覚を必ず守ります。

悪魔・悪鬼らも常に人に悪と誤謬に引きずり込もうと働きかけています。

彼らの働きかけは人の自由感覚を奪います。

その二つの働きの狭間で、その均衡にわたしたちは置かれ、私たちは自分の自由意思で、瞬間瞬間、どちらかを選び、言葉にし、行動にし、自分の自由意思でそれらを自分の性質にしていきます。

このあたりは、古今東西、さまざまな人たちが思索し、また啓示を受け、形あるものとしても残っていますので、書物で読むことが出来ます。

プラトン https://saitoutakayuki.com/tetsugaku/platon-er1/

シルバーチ他 https://jisatsudame.com/archives/23048863.html

スエデンボルグ 今度入門書を差し上げます。スエデンボルグ、サンダー・シング以外のいわゆる霊界を行き来した人たちは、プラトンもそうですが、輪廻転生を言います。

今生での不幸・不運を因果応報で説明します。

私は輪廻転生と因果応報がなじみません。

ですので、スエデンボルグだけが師です。

シルバーチも他の霊能者もチャネラーも霊気がはじかれるので入っていけません。

人それぞれなのでしょう。

PS.

スエデンボルグの『天界と地獄』が公開されていました。

https://spsc.newchurch-jp.com/hh2017/

人の幸・不幸や運命等については、『神の摂理』に書かれています。


Q4. 返信ありがとうございます。

貼り付けてあったリンクから気になる部分を読んでみたのですが

神様は常に善への道へ導こうとしてくれていて悪魔は常に地獄へ誘っている。

その狭間に存在しなければ人として存在していられない。

悪と地獄は同一のものであり悪を選択し行動することが地獄。

と今は解釈しているのですが、ある程度正しく認識できていますでしょうか?

そしてもしこの認識で当たらずとも遠からずな場合

自ら命を絶つという行為は地獄を選択してしまったということになるのでしょうか?

常に善へと導いてくれているはずなのに存在した人間という入れ物を捨て地獄を選んでしまう

自分で地獄への選択をしているというのはあまりにも浮かばれないと言いますか‥ 

A4.その通りです。

自殺が一番悲惨なのは、そういうわけです。


Q5. そうですか。

ちなみにこれはいくら自由意志という名の悪に引っ張られているとはいえどうにもならないのでしょうか?

自分で書いていて人間とは本当に愚かで残念な存在なのかと思ってしまいますね。

何故人間という器を作ったのでしょうか?

自由だと思い込んだ紛い物しか存在しない世界にどんな価値があるのでしょう

自分の選んできた選択肢は善だったのかということですら疑い始めそうで怖いですね

A5. 自由意志そのものは悪ではありません。

神の似姿として造られた人間に、必須のものです。

善悪を判断する理性とそれ(自由意志)とを用いて、その人自身が善を求めるか悪に突き進むかは、

毎瞬間、その本人にゆだねられています。

人は自ら求めたものを受けます。

その行いの報いはその人についていくとはそういうことです。

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