患者に専念する特訓中

どうしても看護師という看板を背負うと
デキルヒトにならなきゃスイッチが
入るので、今回は、職業欄に会社員と
記入しました。

嘘はついてないです。
勤務先は株式会社だし。

でもね、つい発動しちゃうの。
染みついてるなぁって笑えたのが
心電図とるときに
靴下半分ずらして
シャツの袖を七分丈に折り上げて
ガバッとお腹から胸をめくって
あとは電極付けるだけ状態で
横になってしまった。

2人部屋に入院してるんだけど
隣の方が先生から深刻な説明を
受けて、沈んではったんです。
説明自体は詰所でされたんだけど
そのあと看護師さんに話すこととか
耳に入るから分かってしまって。

オートモードで
眠れはるかな
ご飯食べられはるかな
家族やスタッフに
本音を打ち明けられはるかな
ってつい氣になるけれど
わたしは患者で会社員だから
自分の体に専念しようと
隣の方に「安寧が訪れます様に」と
祈るだけにしてました。

ところが、こちらからなんの
質問もしていないし
なんとかしてあげようなんて
おこがましいスタンスではなく
カーテン越しに
ただ相槌を打ちながら聞いていたら、
なにげない世間話から
自らの状態や、経過、
先生からの説明や今後の予定、
家族の言動など2時間弱
語られまして
わたしの聞く状態が
心情を吐露させてしまう
パターンなんだな、と自覚しました。

だから訪問看護に行っても
やたらと質問されたり
訴えが多くて
濃いくなってしまったりするんだな。

染みついた看護師氣質が
なかったら
もっとわたしは自分らしく
生きられるのかな。

この氣質を使いこなせず
飲み込まれてるから
しんどいんやろかな。

使いこなせる人を
自分軸で生きる人って
いうんやろうな。

純度100%の自分でいるって
どんなんやろ

わたしに無人島以外でそんなことできるのかな。



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