vol.9|保護犬カフェから迎えて3年、理想の最期になったからこその心境。
天国の少し手前には「虹の橋」があると言われています。そこは、亡くなったペットたちが自分の飼い主と待ち合わせるための場所。
飼い主が自分のところに来るまで、ペットたちは楽しく遊びながら待っているそうです。
ここ「虹の橋こうさてん」は、そんな虹の橋をイメージし、お別れを経験した人、これからその時を迎える人のための情報交換の場です。
大切な家族とのお別れを経験した方へのインタビューをとおして、お別れまでの過ごし方や、お別れの仕方についてのさまざまな選択を発信していきます。
vol.xとなる今回は、保護犬カフェで迎え入れたヨークシャテリアのういちゃんのお話をお届けします。
犬種:ヨークシャテリア/女の子
享年:13歳
語り手:M.Aさん
保護犬カフェで出会ったういちゃん
ういちゃんに出会った時のことを教えてください
僕と彼女が同棲を始めたタイミングで、お互いに動物系の仕事をしていることもあり、わんちゃんを迎えたいという話になりました。迎えるのであれば保護犬を引き取ってあげたいと二人で決めて、家の近くにあった保護犬カフェに行ったときに、ういちゃんに出会いました。
出会った時は、推定10歳。保護犬カフェに来る前はブリーダーさんのところにいて、繁殖引退犬としてやってきたそうです。
どの子も新しい家が決まっていく中で、ういちゃんはその保護犬カフェに2年いました。何か決まらない理由があるのかを聞いてみると、他の犬と仲良くするのが難しいタイプであることや、持病が多いことがわかりました。自分が獣医師で、彼女も動物関係の仕事をしているため、病気に対する理解もありましたし、他のわんちゃんが居ない、ういちゃんだけの環境を用意できると思い、迎えることにしたんです。
保護犬カフェにいた時から「うい」という名前がありました。譲り受けた後、名前を変える方が多いそうですが、ういちゃんは保護犬カフェ歴が2年ぐらいと結構長かったので、あえて名前を変えないで、そのままういちゃんと呼んでいました。
ういちゃんはどんな子でしたか?
最初に会った時は、他の子とあまり仲良くしないでマイペースに寝ている子で、愛想がいいわけではなく、ずっと寝ていました。
結局お家にお迎えしてからも変わらず、マイペースでした。
基本的にはおいしいものが大好きな子で、持病があったため先がそこまで長くないだろう、ということで美味しいものをたくさん食べてもらっていました。ご飯を食べることが彼女の1番の幸せだったと思いますね。
お散歩はあまり好きではありませんでした。白内障であまり目が見えない状況だったので、環境の変化に対して怖いと感じていたようでした。最初のうちは頑張ってお散歩にも連れて行っていましたが、震えちゃって歩けなかったので、家の中でゆっくり寝てくれたほうが良いかなと思うようになりました。
保護犬カフェに里帰りとして連れていくことはありました。長く保護犬カフェで過ごしていたので、スタッフの方々も顔を覚えてくれていますし、他のわんちゃんと遊ばせたりも。
何でもかんでもベッドにしていたういちゃん。それすらも可愛いと思う日々。
困ったことはありましたか?
トイレのしつけは最後までできませんでした。理由として、白内障で目が見えないことと、ブリーダーさんの元で、しつけを特にしていなかったことがあると思います。10歳になって初めてのトイレトレーニングは、難しかったんだろうなと思いますね。
トイレをするパターンが分かるようになってきてからは、トイレをしそうなところにペットシーツを敷くようにしていました。それでも失敗しちゃうことがあるので、1枚ずつ外せるようなカーペットを使って、毎日1、2枚洗うような感じになっていましたね。
あとは、お留守番ができませんでした。環境の変化もあり不安になりがちだったので、大体私の職場に連れていっていました。基本的にはずっと一緒にいるような感じで。
ぜひ、かわいいなと思っていたポイントを教えてください!
寝てる姿が可愛いですよね。ういちゃんは、何でもかんでもベッドにしていました。洋服を畳まずに置いておくと、その上に乗ってベッドとして寝ていたり。
服やクッションを略奪されることもあって(笑)そういうところをかわいいなと思ってみていました。
できることは全部やったと思えた最期
亡くなる前、お別れを覚悟するときはありましたか?
年齢もあったのですが、最期は腎臓病で亡くなりました。迎え入れてから1年くらい経った頃、血液検査で異常が出てきたんです。それから自宅で点滴をしたり、体重を減らさないようにご飯をたくさん食べてもらったりしてきました。
医者なりに亡くなる予兆は、わかっていました。食欲にむらが出てきたり、体重がどんどん減ったり、起きている時間が短くなってきたり……。そろそろなんだな、と覚悟はしていましたし、苦しくないように看取ってあげたいと考えていましたね。
延命というか、やれば色々できたとは思います。ですが、苦しい時間は長く取らないようにという思いがあったので、点滴を毎日するような積極的な治療はしませんでした。
亡くなった日のことを教えてください。
ちょうど亡くなった日、ういちゃんを連れて行けない環境での仕事だったので、休みだった彼女に一緒にいてもらっていたんです。それで私が家を出た後、すぐに亡くなりました。
私の中では、やることはもう全部やったという気持ちではあったんですよね。 できる治療はやったし、本人が苦しくないまま最後を迎えられればいいと思えていたので、私としては納得のいく形で看取ることができたと思っています。
大好きなふわふわした場所の上で迎えたお別れ
お別れはどんな風に行いましたか?
近くの動物霊園は調べていたので、そこに連絡をして、亡くなった翌々日に火葬しました。まだ涼しい時期だったので、保冷剤と一緒にベッドに置いておいた形です。
個別葬と合同葬が選べましたが、「個別葬で丁寧にしたい」という二人の意思で個別葬に決めました。お骨に関しても、「毎日手を合わせたいな」と思っていたので納骨せず、自宅に持ってくる形を選びました。
ネットで霊園の予約をする際に、棺も選ぶことができました。棺っぽいものよりも、「ういちゃんはふかふかが好きだろうな」と思ってクッションタイプにしたんです。予約をするときに初めて、最近は可愛いものがあるんだなと知りました。
亡くなってからの気持ちの整理は、どのようにされていましたか?
亡くなった直後も、後悔はあまり残っていませんでした。 ふかふかのベッドの上で看取ってあげられたので、理想の最期だったなと思います。
寂しい気持ちは少しあって、新しい子を迎えたいと思う時もあります。ですが、やっぱり治療も満足いくぐらいできて、苦しくない最期を迎えられたので、いざ亡くなってみて想像以上に悲しいということはそこまでなかったのかもしれません。
あとは、亡くなる前、認知症で困ることが多く、最後の方は夜鳴きも結構ひどかったんです。それに対して夜起きてお世話をしたり、眠くなるお薬を入れたりと本当に全力でお世話をしたということもあり、やりきったなと感じていました。だから、その介護からの開放感が、心の整理をつけるにあたってプラスに働いたところもあると思います。
獣医師というご職業柄、わんちゃんの認知症について感じられていることも聞かせていただきたいです。
認知症に関しては、何人か相談に来られた患者さんもおられましたが、数としてはそこまで多くありません。ですが、おそらく相談できずに困っている方がもっといると思うんですよね。認知症は病気であり、薬で対処できる部分もあります。動物病院、獣医師と飼い主さんとうまく協力し合いながら、いい最期を迎えられるといいなと思っています。
〈おわりに〉
迎えられるべくして迎えられたういちゃんだったんだなと感じながらお話を聞いていました。一緒に過ごせた時間は3年と長くない時間だったそうですが、朝から晩までほぼずっと一緒に過ごされていたことを聞くと、ういちゃんにとっては安心できる3年間だったんだろうと思います。また、わんちゃんの認知症についてのお話をお伺いし、認知症は獣医さんと相談しながら向き合っていけることを知りました。ご家族で介護に向き合うことももちろんですが、みなさんが適切な相談先を持てるようにできればいいなと思います。
(聞き手:西澤七海/ライター)
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