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vol.13|病気との向き合い方。何が愛犬にとっての幸せかを考えること。

天国の少し手前には「虹の橋」があると言われています。そこは、亡くなったペットたちが自分の飼い主と待ち合わせるための場所。

飼い主が自分のところに来るまで、ペットたちは楽しく遊びながら待っているそうです。

ここ「虹の橋こうさてん」は、そんな虹の橋をイメージし、お別れを経験した人、これからその時を迎える人のための情報交換の場です。

大切な家族とのお別れを経験した方へのインタビューをとおして、お別れまでの過ごし方や、お別れの仕方についてのさまざまな選択を発信していきます。

vol.13となる今回は、チワワのエイトちゃんのお話をお届けします。

犬種:チワワ/男の子
享年:8歳
語り手:M.Sさん


顔がタイプで一目惚れ、初めてお迎えした我が子。

初めてエイトくんに出会った時のことを教えてください。

一番最初に出会ったのは、働いていたショッピングモールでした。主人と付き合っていた頃のことで、初めて私がお迎えした子なんです。元々主人がわんちゃんを2匹飼っていたので、3匹目のわんちゃんでした。

顔が可愛すぎて、私の好みにどストライクだったので飼うことは即決でした。ペットショップでケージを開けていただくと、ぴょんっと私の方に跳んできて。人懐っこいタイプなんだなという印象でした。

子どもが生まれてからもずっと子どものそばにいましたし、思い返せば妊娠中もずっとお腹の上にいたので、人が好きだったんだと思います。

どんなタイプのわんちゃんでしたか?

エイトくんは、その後、7頭のチワワと一緒に暮らしていました。年の近いわんちゃんとはよく一緒に遊んでいましたね。

犬用の硬いガムが好きだったんですが、よくガムを取り合って7匹の中のボス犬と喧嘩をしていました。エイトくんとボス以外は女の子だったので、縄張り争いも含めて喧嘩をすることが多かったんです。二人の中で決着がつくまでは止めることもできませんでした。

子どもには優しい一方で、何回負けてもめげずに喧嘩に挑んでいくようなタイプでしたね。

寝る前のルーティンは手や足を舐めること。甘えん坊だったエイトくん。

しつけなど、困ったことはありましたか?

人を困らせるタイプではありませんでした。小さい頃は漫画や手帳など、人間のものをボロボロにしてしまうこともありましたが、3歳を過ぎたころから落ち着いたんですよね。

でも、2回だけ脱走を経験しています。おじいちゃんがドアを開けたタイミングでそのまま外に行ってしまったんです。すぐに追いかけると、家の前の電柱でのんきにおしっこをしていて(笑)

遠くに行きたかったわけではなく、ちょっと外に行きたかっただけなのかな?

たくさんのわんちゃんの中でも特に甘えん坊だったと聞きました。

夜布団に入ると、絶対にお腹のところに来ていました。私の手を舐めてから足の方に移動して、その後、足を舐める。それに満足したところで寝る、というルーティンを毎日繰り返していたことが他の子とは違っていた習慣でした。

寝るときは子どもの横にいることもあり、絶対に誰かとくっついて寝たかったんだろうなと思います。

普段から他の子と人のお腹の上を取り合うこともあったので、結構甘えん坊でしたね。

病気が分かってからの1ヶ月。決断することの難しさ。

亡くなった理由について教えてください。

劇症型膵炎という病気になってしまい、亡くなりました。

亡くなる3ヶ月位前に、呼吸がおかしいことに気がつきました。ですが、病院に行っても「原因がわからない」と言われました。「どこかが痛いんだと思う」とは言われたものの、最初は病院で判断がつかず、ずっと炎症止めの薬を飲んでいました。

その後も良くなったり、悪くなったりを繰り返している状況だったんです。そこから最後の1ヶ月位の時に、糖尿病と膵炎を起こしていることがわかりました。

膵炎の中でも、劇症型と呼ばれる急性のものであることを聞きました。糖尿病とあわせてなってしまったことで急激に悪化してしまったんです。

もう助かる見込みがないのであれば、安楽死をさせてあげたいという話もしました。でも、病院の先生によって「昨日よりも良くなっている」という先生もいれば、「もう助からないと思う」という先生もいる状況で、私たちはどっちを信じて良いのかわかりませんでした。命の終わりを私たちで決めて良いのか、わからなかったんです。

その後、ご家族ではどんなお話をされましたか?

エイトくんはずっと酸素室に入っていて、家に帰ってきていませんでした。子どもは飼っているわんちゃんの中でエイトくんが一番好きだったので、最期は家族みんなで家で見守るのもありかな、と話していました。

ですが、命日の朝方、病院から急変したという連絡が来ました。行った時には心臓マッサージをされていて「もう20分ほど心臓が動いていない」と言われたんです。

そこで延命措置を続けることをやめ、亡くなりました。

だったら安楽死の方が良かったのかなと思うこともあります。でも、その時の私たちには判断ができませんでした。

一番信頼していた先生と話した時、劇症型膵炎はほとんど助かることがないので安楽死の方が良かったと話をされて。だったら、うちに連れて帰ってあげれば良かった。

もしかすると、「昨日よりも良くなっている」と話して入院を薦めていた先生は、病院の経営のことを考えていたんじゃないか?とも思ってしまっています。あの時に、もっとちゃんと先生と話ができたら良かったのかもしれません。

色んな病院に連れ回すことは体力的に可哀想だと思って一つの病院にしていましたが、もう少し早く別の先生に相談してあげれば良かったのかな。

お骨の行き先を家族で考えるけれど、まだ出ない結論。

亡くなった後の動き方について教えてください

亡くなった後は、お家に連れて帰り、葬儀の連絡をしました。何回も保冷剤を交換して冷やしていましたが、夏だったので早く葬儀を済ませてあげたほうが良いなと思っていました。

形が残っていることで、子どもも泣いてしまうし……。

エイトくんの時は、家に火葬車を呼んで火葬しました。主人の仕事が忙しく、霊園に行く時間が遅くなってしまうので、夜まで対応してくれるところを探しました。その場で火葬して、お骨も拾い上げました。お骨は、前に亡くなった2匹と一緒にお家にあります。

ペット霊園のような、お骨を保管できる場所に移動させる話も主人としていますが、毎日お線香をあげたいという気持ちもあって。主人は、自分が死んだ時に一緒のお墓に入れて欲しい、という気持ちもあるみたいです。

やっぱり命日が来る度に、「お骨をこれからどうしよう」と話に上がりますが、やっぱりまだ一緒にいたいと思って、実行には移さないことにしています。

亡くした悲しみはどう乗り越えられてきましたか?

飼っている頭数が多く賑やかな分、良い意味でペットロスは紛れているのかもしれません。

時間が解決してくれる部分もあるんだと思います。特に最初のわんちゃんを亡くした時、主人はずっとお骨を抱っこしてテレビを見ていたりしました。ペットロスってこんな感じだろうな、というのが他人から見てとれる状況で、ずっとぼーっとしていました。

今でも火葬したときに霊園の方にもらったキーホルダーにお骨を入れて、鍵につけていつも一緒に行動をしています。

今、愛犬と一緒に過ごしている方に伝えたいことを教えてください。

病気も含めて、いつ亡くなってしまうかわかりません。なので毎日を大事に過ごしていただくこともそうですし、写真をたくさん残して欲しいと思います。

歳を重ねるごとに、写真の枚数が減っていってしまうと思うんです。小さい頃はたくさん写真を撮っていたけど、歳をとって寝ていることが増えると写真を撮る機会が減っていく。そうすると、思い出の写真も若い頃の写真ばかりになってしまいます。

遺影のことも考えてたくさん写真を残すことと、多頭飼いの方は、その子単体の写真をいっぱい撮ってもらえたらいいんじゃないかなと思います。

あとがき

わんちゃんの病気と向き合う難しさをひしひしと感じるインタビューでした。どこが痛いのか、何をすると痛いのかを直接聞くことができないからこそ、病気を特定することが難しい。また、病気が分かってからも、エイトくんのようにどこまで治療をするのか、お家に連れて帰るのかの決断が迫られることもあります。どの決断が正しいということがないからこそ、ご家族みなさんでお話しすることが大切なんだと感じました。
お話ししている中で、ペット保険の話も上がっていました。いざ、という時のためにペット保険についても改めて見直してみることをおすすめしたいです。
この度は、インタビューにご協力いただきありがとうございました。

(聞き手:西澤七海/ライター)

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