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#06 虹色の朝陽 生い立ち 診断と幼稚園退園

発達検査や診断をつけるのに半年待ち  


息子の診断を受けようと思ったのは3歳1ヶ月の頃でした。

 

10月にもなると来年度の入園願書受付などが始まる場所もあって、私も心のどこかで、息子が来年 年少クラスに進級出来るのだろうか?と悩み、息子が年少になって幼稚園に通う姿を想像する事が出来ませんでした。

言葉も出ないし集団生活もおくれない。息子も幼稚園生活がきつかったと思います。

 

私は幼稚園を退園して家庭で息子の育児をするという選択と、幼稚園を辞めて療育だけに行くという選択を頭の片隅でぼんやり考えていました。


どちらかというと、療育にも週に1回通っていたので可能であれば週に通える日数で療育に毎日通所するという道をイメージしていたように思います。


でもやっぱりみんなと園生活を送らせたい・・・そんな気持ちがどこかにあってなかなか動けませんでした。

 

 色々と調べる中で診断をつけるとメリットがある事を知りました。その中の1つに加配の申請ができる事を知りました(地域や自治体にもよる)

 

私が勤務していた幼稚園の先生達にもアドバイスをいただき、診断を受けて息子が幼稚園に通えるように加配の申請などもしてみようと思いました。

しかし、いざ診断を受けれる場所を予約しようと色んなクリニックに連絡しても「診断の予約に半年待ちです」と言われ、来年度の進級を考えると私の気持ちの中にも焦りがでてきて「どうしてすぐ診てもらえないんですか?」と電話ごしに看護師さんと泣きながら話したのを覚えています。


私は診断がなかなか受けれない事への焦りもあったと思うのですが、それ以上に不安だったのは誰にも相談できない事、抱える不安を吐き出す場所がなかった。三人の子育てに追われて自分自身の心を保つ事に必死だったように思います。

 そんな電話越しに泣いている私に、看護師さんが1つクリニックを教えてくださいました。

 「うちでみれなくてごめんね・・・もしかしたら〇〇って所ならすぐに診断を受けれるかもしれない・・・・」(他にも何かいいたそうだけど言えない雰囲気)

 自宅から1時間くらいかかる場所だけどいいですか??」と私は教えていただいたクリニックへ連絡し3ヶ月後に診断を受ける予約をとりました。

 

診断に行ったのは3ヶ月後の1月でした。そのクリニックが予約がすぐにとれたのにも後々私も理解することになります。


私の地域では診断を受けるのに半年待ちなど普通で、他の地域では3ヶ月…もっと早い所はすぐに診断を受けれるそうですが、本当に何なんだろうこの地域の差は??と診断に限らず色んな場面で感じます。

 

そして待ち受けていたのは、診断を受けた所で結局 加配を付けれるかは分からない、園の方針によっては加配を付けれないという現実でした。

発達検査で必要だったもの


12月から1月にかけてはこれからの息子の事、そして私の仕事についても考える事が多く、私も心がなかなか追いつかない日々でした。

私の職場の幼稚園の行事でスキーへ広島まで行きました。長男も次男も参加させてもらい、私は仕事として広島まで行ってきました。

朝陽は夫が面倒をみてくれていましたが、なかなか私も仕事と育児とバランスが保てなくなってきました。やめた方がいいのかな?という気持ちと外で働いていたいという気持ちが葛藤し、なかなか仕事をやめられずにいました。

 

しかしもう時間がなく夫と何度も話し合い転園先の保育園を探す事と診断を受ける事を同時進行で行いました。診断の予約がとれたのが3ヶ月後の1月の時期だったのでその事を担任の先生へお伝えしました。


1月19日が診断の日でした(初診日です)

 

お子様の成長に不安がある方はこういったブログ(非公開)でもいいので記録をとっておくことをお勧めします。これから子育てしていく中でこのような記録がとても重要になってきます。

診断を受けるにあたって母子手帳と幼稚園から息子の普段の様子が書かれた書類を持ってきてくださいとお願いされました。

 幼稚園に書いてもらった書類を持って診断へ行くことになります。

診断を受けた日


幼稚園から頂いた書類を持って診断を受けに行きました。
↓当時の気持ちは音声でお聞きください。

医師からは診断名を伝えられポンとこちらの資料を渡されました。

薬が必要なら漢方とか出しますけど?と。

え?

 それだけ?

 

息子はたったこの1時間程度で診断名がつき、自閉症スペクトラムという道を歩んで行く事になりました。この日から2年後に別のクリニックへ変わる事になります。

 

新しいクリニックの先生はとても信頼しておりお勧めの本なども貸してくださったりと本当に丁寧に診てくれます。

別のクリニックへ変わったのですが、クリニックについてはボイシーのプレミアム放送でお話ししてます。
(こちら) 

療育手帳がやってきた


診断がついてから診断名について私は幼稚園に何も伝えませんでした。

 

幼稚園から聞かれるまで言わずにいようと思っていました。(意地悪な私です)面談で「来年度進級が難しい」と言う幼稚園に対する私なりの反抗心だったと思います。

そんな中療育手帳を取得する事を決めました。理由は公的な支援(福祉サービスなど)を受けやすくなるという理由からです。

療育手帳の取得には児童相談所へ連絡し予約をします。当日は田中ビネーでの知能検査が行われIQが出ました。約30分程度だったと思います。

  

その結果、軽度知的障害の区分にあたるB2という結果でした。


児童相談所の方から療育手帳を発行しますという事や、どういった公的な支援を受ける事が出来るか?という事、そして特別児童扶養手当も申請されてくださいとアドバイスをいただきました。

 

時間はかかりましたが申請の手続きをして、療育手帳と特別児童扶養手当が我が家へやってきました。

幼稚園転園を勧められる


9月から療育へ行くようになったのですが、なかなかすぐに成長するわけでもなく3ヶ月たっても集団生活では問題が起きます。

 

そんな12月、療育の先生から幼稚園を転園してみてはどうか?というアドバイスをいただきました。

でも願書受付などは11月頃から始まっていて、私が転園を決意した時はもうどこも待機状態。なかなか見つかるわけがありません・・・。

 

私が働いていた幼稚園にもお願いしてみましたが、待機児童が沢山いて難しいとの事でした。

 

そんな中 働いていた職場の先生がいくつか候補の保育園を紹介してくださったので見学へ行ってみようと思い、年明けたら見学に行こうと準備を始めました。

当時息子は療育へ通うようになり言語聴覚士さんによる言語訓練を受けていました。

3歳になってからは少しずつ単語が出始め12月のこの時期は2語文の練習も取り入れていました。「●●ちょうだい」などの二語文です。

 あとは赤青黄色の色についても理解出来るように遊びながら取り入れてくださっていました。

 

こちらです

この玩具は言語訓練に大変活用するアイテムです。療育の現場でも使われている所が多いです。我が家が通っているクリニックにもあります。

言葉は教えるのではなく遊びの中で言葉は増えていきます!

▼出てきたボールを入れる時にアイコンタクトがとれる
▼ちょうだい どうぞ のやりとりが出来る
▼色の理解(どれがいい?赤!黄色ちょうだいなど)
▼ボールを机の上で転がし合いっこも出来る

お子様とどう関わっていいか分からない気持ちは私も分かります。遊んであげたいのにどう遊んであげればいいか分からない。言葉も出ない子とコミュニケーションがとれている気がしない。そう思っていましたが、アイコンタクトや物のやりとりも立派なコミュニケーションなんだよとあの日の私に伝えてあげたいです。

転園先の保育園探し


3歳4ヶ月の頃に自閉症スペクトラムと診断を受けた息子ですが、診断がついた事によって私は少し前を向けた気がしています。

 

幼稚園を転園したくない気持ちがまだどこかにあって、私の中に意地があったようにも思います。

でも本当にこの子にとっての居場所ってどこだろう?この子が毎日を楽しいと感じれる場所ってどこだろう?この子を受け止めてくれる場所ってどこだろう??

 

働いていた職場の幼稚園の先生にも相談して、転園の事も視野に入れて保育園探しを始めました。

 

私は当時幼稚園で働いていた事もあり、保育園活動の中でも点数が高く入りやすい条件が揃っていたと思います。

 

また職場の先生からのアドバイスで発達障害の息子を受け入れてくれるであろう保育園をいくつか教えていただき2カ所の保育園へ息子と一緒に見学に行きました。息子も一緒に保育を体験した後に園の先生ともお話しをしました。

 

 見学へ行き1カ所は難しいとの事でしたがなんとか別の保育所に入所する事が決定しました。


だけど保育園が決まった事は、幼稚園発表会が終わってから幼稚園へ伝えようと思いました。

どこで過ごすのが一番いいのかなんて親の私にも分からないけれど、私は転園して3年が経ち、今はあの時転園してよかったと思っています。

 

子どもにとっても私にとっても、私たち家族で選択した道に間違いなんてないと思うからです。

同じ境遇のママとの出会い


3歳4ヶ月の頃に自閉症スペクトラムと診断された息子ですが、診断されて1ヶ月経った頃にとあるママとの出会いがありました。

新しい出会いと言うわけではなく、もともと彼女とは顔見知り程度だったのですが、ある事をきっかけに彼女のお子さんが発達障害だという事を知りました。

 意外と身近に同じ境遇の方がいて、同じ悩みを抱えていたりするものなんだなと驚きました。

 ずっと声をかけるか悩んでいた私ですが、私自身 一人で息子の障害をかかえていくのが辛く、誰かに話したり頼ったり相談する相手がいない事に、とても寂しくどこか孤独でした。

 

もともと一人でいる事が好きなタイプなのでママ友グループに属する事は苦手です。

 

友人と呼べる友人は指で数えれるほどですが、同じ境遇の人は一人もいないので孤独な気持ちになります。自分だけが辛い子育てだと思っていました。

 

 そんな彼女に声をかけて我が家の息子が発達障害だという事を話し、彼女も我が子もそうなんだよと話してくれました。その時はゆっくり話せずに、今度ゆっくり色々と相談に乗って欲しい事を伝えお互いの連絡先を交換しました。

 

療育手帳や特別児童扶養手当の話、通っている療育の話、彼女のお子さんは息子より学年が上なので、支援学級や支援学校の話など色々と教えてくれました。

 

私は療育手帳も取得するべきものなのかよく分からずにいて、彼女と一緒に話して行く中で、息子にとっても私にとっても療育手帳は必要なものだと思い療育手帳の取得に踏み切れたのです。

 

 発達障害の子育てをしている人が周りに沢山いるわけもなく、分からない事や不安に思った時にちょっと話を聞ける人がいるだけで、私も心のモヤモヤが解消されたり、私だけ悩んでいるんじゃないんだって思えて、少しずつ前向きになれるようになりました。

 

 彼女のお子様は中度自閉症で我が家の息子より、もっと大変な事があると思います。それでも彼女はいつも笑顔で楽しそうに子育てされていて、重度も中度も軽度も関係ないよって言ってくれます。

 

みんな子育てで悩んでいるっていう事は一緒だよと。悩んでいる自分とどう向き合い工夫していくか…彼女との出会いで私も発達障害児の母親としてどう過ごしていくか?とても前向きに考えさせられました。

 

 

とは言っても、障害受容には時間もかかるし、前向きになれたかと思えばふとした瞬間に現実問題に不安になって、目をそむけたくなる日だってあります。

 

私は三男の子育てをする中で、ちょっとだけ強くなれた気がします。


そして、やっと母親になれたような気がしています。

 

しかし、心から子育てが楽しいって思えるようになったのは、まだまだ先の話です。

特別児童扶養手当の申請記録


3歳の頃に自閉症スペクトラムと診断された息子はその後療育手帳を取得しました。その時に児童相談所の方から特別児童扶養手当の申請を勧められ申請する事を決めました。


 役所へ行った際に軽度の方の申請は難しいと言われましたが、それでも申請してみないとわからない!と思い申請してみました。

 

数ヶ月後に申請が通り申請から4ヶ月後に証書が届きました。諦めずに申請してよかったと思います。

医師からの診断書が必要だったのでその際に診断書費用がかかりました(私は診断書費用が5千円くらいでしたが病院によります)

YouTubeや音声配信Voicyでもお話ししてますのでよかったらご覧ください。


 幼稚園を退園


幼稚園発表会が行われた2月、転園先の保育園も決定し我が家は幼稚園を退園する事を幼稚園側へ告げました。おそらく突然の報告で幼稚園側もびっくりだったと思います。

退園する事を伝えた時、幼稚園の先生と初めて本音でぶつかり合いました。幼稚園の送迎時、保護者の目も気にせず玄関口で本音で初めて先生とぶつかり合い話をしました。

何事か?という雰囲気の中、他の保護者の方からの視線が痛い。

 

でも、なぜ我が子が退園するという道を選ばなきゃいけないのか?

 

選んだのは私だけれど、悔しい気持ちでいっぱいでした。

 

 そして3月終業式を終え、幼稚園を退園する日、最後に担任の先生と副園長先生と私の三人で幼稚園の保育室で朝陽の1年間を一緒に振り返りました。


幼稚園側からは「朝陽くんが年長さんになって、戻ってこれるようになった時のために特別に席をあけておきます」と言われました。

 

は??? 

 

戻ってこれる基準って何だろう?

 

みんなと同じように座れるようになったら合格だろうか?

 

先生と話が出来るよになったら合格だろうか??

 

先生がそばにいなくてもじっとしていれたら合格だろうか?

 

跳び箱が出来たら戻れるのだろうか?

 

読み書き計算が出来たら戻れる?

 

鍵盤ハーモニカが出来たら?

  

「普通」になったら戻ってこれるってこと??

 


「席を用意しておきます」という言葉は親切な言葉のように聞こえて、全く嬉しくなかった。

 

 

「今の朝陽くんは園で預れないけれど

普通の子のように過ごせたら預かります」

 

という事でしょうか・・・

 

幼稚園では「一人一人の個性を大事に」とか「みんな違ってみんないい」なんて教えるのに、みんなと違う朝陽は「君はみんなと違う」って排除されてるじゃない。

私は「頑張って息子を普通の子みたいにして戻ってくるぞ」なんて、正直そんな気持ちには一切なれませんでした。

 息子は1年間楽しい思い出ができたのだろうか?

 

本当に色んなことを考えさせられる1年となり、私たち親子は大好きだった幼稚園を退園することになりました。

 

その子にあった環境で過ごす事が子どもにとって一番良い環境なのか?障害があってもみんなと一緒に過ごす環境がいいのか?

障害に関係なく分け隔てなく過ごせる社会は、まだまだ程遠い・・・のかな。

↓続きのエピソード#07はこちら


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