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【人生】父をなくして11ヶ月

早いものであと一ヶ月で父が亡くなり
一年が経つ。

夏は忙しくて、記事が書けるかわからないが、
できる限り綴ろうとおもう。

父の月命日には焼酎を替えてちょっとだけ、
登山したときの写真と、
父と登った山を眺めた。

今私は父と登った思い出深い山の麓に暮らしている。

11ヶ月経ってみると、「父はもうこの世に居ないかもしれない」と、思うようになった。

父はとっくにいないのだが、今も漂っている、
だとかそんな感じはしない。

時々心配して見に来てるかもしれない。

母がまだ頑張ってゼリーを食べてる姿を優しく見てるかもしれない。

妹は妄想と現実をさ迷うのを切なく見ているかもしれない。

一向に片付かない私の部屋で呆れ果てているかもしれない。

登山仲間に、娘は黒岳の麓に住んでいると自慢してるかもしれない。

そちらはどうですか?楽しく過ごしていたらいいな。

父は私を誉めることは滅多にないが、すごく密かに誉めてくれたり、あれは叱咤激励のつもりだったのだなと思うことが今更ある。残念なほど不器用で天邪鬼だ。

口ばかり達者に生まれて、お前は政治家か!と突っ込まれたこともあったが、私はしっかり不器用な天邪鬼に育っていて、父の娘らしく成長した。


この記事を書くには、ひとりになって泣ける時間と場所が必要だ。

「父さん」と声に出すと、やっぱり無性に寂しい。

せめて最期の瞬間手を握るとか、ありがとうを充分に伝えるとか出来なかったものかと、その時に戻りたい気持ちがわいてくる。

でも、時は戻らない。

戻ることはない時を今私も生きているんだということを痛感させられる。生きて生き抜いてやりきって、やっと父に堂々とありがとうといえるかもしれない。

今月は忙しすぎて母の面会もままならない。
顔が見たい。

昨日母子手帳を見つけて、まだ名前もついてない私の手か足についていた「ちえこベビー」と書かれた小さなバンドがポロリと出てきた。
(ちえこは母の名前)

ただただ、私の親である二人に感謝をしたい。どうもありがとう。出会ってくれてありがとう。

わたし以外入院してるから、父の命日はあつまったりはしない。せめてワンカップ焼酎を供えて一緒に飲めるように、用意しておこう。

わたしは苦手な、父の好物、ラーメンを食べに行くのもよいかもしれない。



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