【人生】父を亡くして約半年
父が亡くなったのは夏至の前の日で、もう少しで冬至。つまるところ半年が経とうとしています。
「父が亡くなった」と書いていますが、父が亡くなったとこを忘れて、「ああ、そろそろ施設に会いに行かなければな」なんていう、解離を起こすことがあります。
それで、もういないことを思い出しては泣いてしまいます。
このブログは自身の心の整理と備忘録ですが、
私は父を亡くしたときにこの世で初めて肉親を亡くした人間であるかのように、孤独でした。
何というか心をこんなに閉ざしてしまう自分をしらないし、こんなに底のない悲しみは初めてだし、こんなに冷静になろうと努めることも、気が狂いそうになって腹が立つのも経験したことがないので、「干渉してこない経験者」を検索して探しました。
慰めでなくて、気持ちを吐露している、同じ経験をした色んな背景の人の記事を読み、心を鎮めました。
案外しょうもない父はうちの父ばかりではなさそうです。とても達観してる方から、悲しみにくれるばかりの私のような人まで、色々です。
書き散らしたものが、たまたま目に入り、何かを消化するあるいは消化などせずその時を過ごす助けになれたらいいななどと思う側面もあります。
心も頭も、半年たっても、亡くなったことを認めようとしません。全然認めません。
祖父の時は、この父親の起こしたゴタゴタでボストンバッグひとつに荷物詰め込んで唐突に家を出て行かなければならなかった前後に亡くなり、お別れができませんでした。
祖父が亡くなったと事後にきいて悔しくてたまらない気持ちになり、何年も何年も引きずりました。数年は少なくとも泣かずに御参りなんかできませんでした。私は祖父が大好きでしたから、心配をかけたまま逝かせてしまって心残りです。
父には腹が立ったり、怖かったり、申し訳なかったりと、本当に色んな感情を抱えています。
当時は到底仲直りができるとは思えないほどのアル中DV父でしたし、父が亡くなることでこんなにも悲しい気持ちが残るなどと思いませんでした。
ただ、どの過去に戻っても自分の精一杯で、急に聖母のように何もかも赦すだとかそんなことができたとは思えないので、私と父の間は、きっとこれがギリギリの仲直りで、ボケちゃってからが父と娘としてのやり直しだったのかななどと思います。
ボケてしまいホントに噛み合わない父には、
人生も心もズタボロにしといて全部記憶もなかったことにして、じゃあ、私の気持ちは何処に持ってけばいいんだよ…と思いました。
ふざけんなという怒りも、そこに隠れてしまってて中々言えずに飲み込んだ「ありがとう」も「大好き」も真っ直ぐ伝えられる気持ちになるまで心が追い付かなくて。
父の老いを受け入れるというのも気持ちが追い付かず、弱っていく父を見ているのは怖くて怖くて、暴力のときの「怖い」とは全然違う抗えない無力感で、理不尽な強いものに立ち向かうという正義みたいなものは何の役にもたたない、ただ時間の砂が零れていくのをどうにもできない無力感に苛まれ、辛そうな父に何もできなくて、悲しくてどうしようもありませんでしたし、
「苦しみが少ないまま逝かせてあげる」のが、優しさという考えと、「一秒でも長くこの世にいてほしい、父と居たい」という本音と、「私の選択が父の命を奪うかもしれない」恐怖でめちゃくちゃになりそうでした。
私は苦しいくらいなら殺してくれと思うだろうか。生きる望みがあるのに殺されたら恨まないだろうか。それともこんなにきついのになぜ延命したと怒るだろうか。今も最適解はわかりません。
今になって、たくさん「お父さんありがとう」って言いたくて、本人には言えなくて、こんな文字やら日々の呟きでやっと言えて、
その度に泣きたくなり…そんなことをこの先も何度もしながら、この気持ちと折り合うのかなと思いました。
明日は母とオンライン面会です。何ができるか考えながらたくさん、ありがとうを言っていこうと思います。たくさん伝わればいいな。
私が生きているのは、二人がいてくれたからなのは確かなことなので、これからも、母にはしっかりと、父にはこれからも虚空に向かってありがとうを伝えようと思う。
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