見出し画像

ミリオンライブのアニメ化を祝して、そしてただひとつだけ叶うのならば。

0.

 待ちに待ったライブが中止になった、というニュースを目にした。
 落胆しながら、でも昨今の情勢じゃあ仕方ないよなと納得しつつ、日々を過ごしていた。
 そして当日、ライブ中止の情報は誤りであったと耳にした。嘘だろ、と思いながらライブ中止のニュースを探したが、どこにもそんな文字はない。公式にも、ファンサイトにも、どこにも。
 時刻はもうとっくに夕方。開演まではもう間もない。
 嬉しさ半分焦り半分で現地へと道を急ぎつつ、これから目にする夢のようなひとときを夢想しながら、そして僕は目を覚ました。

 2020年7月5日の日曜日、午前10時55分。休日とはいえ少しばかり寝過ぎたようだ。

 * * * * *

1.

 昨日、2020年7月4日土曜日の夕方。
『アイドルマスターミリオンライブ シアターデイズ(以下ミリシタ)』のサービス開始より三周年を祝う生配信において、『アイドルマスターミリオンライブ(以下ミリオン)』のテレビアニメ化が発表された。

 正確には、「TVアニメーションプロジェクト始動」が発表された。額面通りに受け取るならば、TVアニメになりますよ! 何もかも今から始まるのでまだまだ時間はかかりますよ! 楽しみに待っててね! という解釈で概ね間違いはないだろう。

 正直、意表を突かれた。
 特別な新情報と言われても、またどこかのお店とコラボするか、もしくは新しいCDシリーズ開始のお知らせとかその辺の「いつもの」ヤツだろうと思っていた。
 PVが流れ始めても、「お~なんかいつもと絵柄違うけど相変わらず翼かわええやんけ~」くらいの感じだった。「いつもの」記念PVだろうと思い込んでいた。
 そんな僕の目に次に飛び込んできたのは、今となってはもはや懐かしい感もある『ミリオン』のロゴ。最近馴染みの『ミリシタ』ではなく。
 そして直後に「TVアニメーションプロジェクト始動」。その瞬間に僕の口をついたのは、戸惑いだった。
「うおおおおおおおおお!!」ではなかった。
「キタ――――――――!!」でもなかった。

「え? やるの?」だった。

 * * * * *

2.

 少し僕自身の話をさせて欲しい。
 と思ったんだが実際問題かなりどうでもいい話を長々としておりぶっちゃけまったく読む必要はないので、よほど暇な人でもなければ「3.」まで飛んでもらっていいと思う。というかこの記事自体相当暇つぶしに困っている人でもなければ読むことはないと思う。世の中にはもっと読むべき本や見るべき映画や遊ぶべきゲームや話すべき人がいる。

 何を隠そう、僕はいわゆる「古参のミリオンP」である。一時期は実に面倒くさいややこじらせた傾向のあるミリオンPであったことを自覚している(あの頃僕は若く未熟であった。今となっては実に恥ずかしい限り)。

 アイマス自体のPとしては、いわゆる『アニメ・アイドルマスター(以下アニマス)』からハマったタイプなので、歴としてはまぁまぁ中堅くらいだと思う。Apex Legendsのランクで言えばゴールド下位辺りではなかろうか。というかアニマスでPになった人を中堅と言ってしまえる時代か。15周年だもんな。10周年がついこの間のようだけれど。歳取るってイヤね。まぁいいや。

 正確には『アニマス』が放映終了し、本家アイマスの7thライブが終了した直後辺りにハマったのが僕だ。アイマス自体のことは知っていた。ニコニコとかで流行ってたよね、という程度の知識は。
 何がきっかけだったのかはわからないが、アニメを見たのだ。そしてそこから本家アイマスのライブBlu-rayを見た。気がついた時には、僕は2013年2月10日開催のライブ、『THE IDOLM@STER MUSIC FESTIV@L OF WINTER!!』のチケット抽選に申し込んでいた。
 感動したのだ。アニメと、それにリンクした中の人のライブとが作り上げるエンタメに。次のライブは生で見たい、そう思ったのだ。
 期待に胸を高鳴らせる僕に知人が告げる。「アイマスのライブはチケットなかなか取れないよ」。そうなのか。そんなに人気があるのか。すごいなアイマス。チケット取れたらいいな。取れないかな。でも行きたいな。

 取れてしまった。それも昼公演、夜公演の両方という欲張りセットだ。
 チケット申込みに際しては周りの知人(というかTwitterの相互フォロワー)にも伝えていた。僕は次のアイマスライブ絶対に見に行くぞ、と。
 僕はそれまでよく知らなかったのだが、僕のTwitter上での知人にはアイマス古参Pが数多くいた。ここで言う古参というのは本当の意味での古参だ。ゲームセンターの一角に置かれたいかがわしい筐体で熱心にプレイしていた連中だ。顔つきが違う。
 彼らはしばらくアイマスからは距離を置いていたようだったが、ここにきて一緒にチケット申し込みをすることになった。で、彼らも夜公演は取れていた。今思えば、これも僕にとっては幸運だった。感動を共有できる相手がいるということの幸福を、僕はこの日知ったのだ。

 それは夢のような一時だった。多少のハプニングを目にする瞬間(ジャンプの着地とか生バンドの一瞬のトラブルとか)も含めて、これが生で見るライブかぁ! と感動していた(僕はそれまでライブを生で見たことがなかった。CDで聞けばそれでじゅうぶんというタイプだった)。
 そして感動はライブだけにとどまらない。アイマスのライブは本家に限らず、何かしら今後のコンテンツ展開に関する発表があることが多いのだけれど、この冬フェスにおいてはかなり大きなものが2つ用意されていた。

 ひとつ、劇場版アニメの制作発表。
 そしてもうひとつ、『ミリオン』のサービス開始。

 * * * * *

 僕はそれまでほんのさわり程度だけれど『アイドルマスターシンデレラガールズ(以下『デレマス』)』をプレイしていた。『アニマス』にハマった僕に次に周囲がすすめてきたのがそれだったからだ。本家以外にもたくさんのアイドルがいるんだなぁ、アイマスってすごいなぁ、という感覚でプレイしていたのだけれど、正直に言うと、熱心にガチャを回す周囲と比べて、僕はそこまで入れ込むことができずにいた。
 なぜかというと、僕の『デレマス』に関する知識は、そのほとんどが周りの親切なPたちからの受け売りでしかなかったからじゃないかと思う。そこには既に出来上がった世界があった。そして僕は、僕が自分の目で確かめる前に、そのことを知らされてしまっていた。
 このアイドルはこういう子、こういうのが持ちネタ、Pはそれをこんな風にいじって楽しむみたいな空気が出来上がっていて、それは少しばかり僕には入り込みづらいものに感じられた(単に僕がノリの悪い性格をしているだけのことかもしれない)。
 正直に言えば、本家アイマスに関しても少しばかり似たようなものは感じたことがあった。アイマスとはこういうものだ、という空気感があって。時折それに触れるのに躊躇してしまうような、錆びついた棘のついた柵のようなものが。

 別にこれは本家アイマスや『デレマス』がどうこうというではなくて、またこの手のエンタメコンテンツにはよくある話なのだと思う。あふれる内輪ネタに新参が近寄りづらさを感じてしまう、ってのはいわゆるオタクコンテンツではよくあることだ。そこでひるむことなくグイグイと入っていけるたくましい新参でありたいと僕も思う。

 ともあれそんなわけで、賛否両論ある中での『ミリオン』のサービス開始は僕にとっては喜ばしいことだった。『ミリオン』は僕にとって、サービス開始の最初の一歩から付き合うことのできる初めてのアイマスとなったからだ。

 * * * * *

 僕は『ミリオン』に夢中になった。CDシリーズ第一弾の通称LTP、そのCD発売イベント(いわゆるリリイベ)は自分でも驚くほどの当選率で、毎月のように都内某所に通ったものだった。当時は「追憶のサンドグラス」を生で聞いた、もしくは藤井ゆきよの声優としての初の舞台を目にしたわずか200人弱のうちの1人だったことが自慢だった。
 熱心に課金もしたし、物理報酬のいくつかも獲得した。周年イベントは毎年翼と志保だけは死ぬ気で取るつもりで、実際に1周年から4周年まですべてのイベントでふたりのランキングに入賞した。
 幸運なことに、周年ライブにも毎年最低1回は現地参加することができた。実を言うと幻となった7thライブのチケットも取れていた。おのれコロナ。絶対に許さんからな。

 僕は『ミリオン』と日々をともに歩んでいた。『ミリオン』が成長していく姿を横で肩を並べて微笑ましい気持ちで眺めていたつもりでいた。
 当時、GREE版『ミリオン』の最大の売りは『アニマス』と同じ絵で765プロの新たなゲームができるということだったと思う。実際僕もまんまと思惑通りにハマりこんだ。そして当然のように、「『ミリオン』も遠からずアニメ化するんだろうな~」とのほほんと思っていた。誰がどう見ても最初から近い将来のアニメ化を見込んだコンテンツだろう、と少なくとも僕はそう思い込んでいた。これでアニメ化しなかったら嘘だろう、と。
 当時の僕は浅はかだった。それが僕の願望でしかないということに気づいていなかったのだから。

 * * * * *

 アイマスP(ファン)であればご存知の方も多いと思うが、『ミリオン』は決して順風満帆な道のりを歩んできたばかりのコンテンツではない。特に初期は様々な批判の声にもさらされていた。
 本家アイマスとのつながりの濃さは、時として展開の枷になったこともあっただろう。比較の対象となる『デレマス』は、コンテンツの規模的にもあまりにも巨大な「お隣さん」であり、時として肩身の狭いような気持ちになることもあった(あるいはそれは僕の僻みもあったろう)。

 そんな中で、アニメ化は僕にとっては希望だった。周りはとやかく言うかもしれないけど、画面の中を活き活きと動き回るアイドルたちが、各々のドラマを展開してくれたり新曲をお披露目してくれたりしたら、少なくとも僕は毎週それが楽しみになる。だから早くやって欲しい。なぜやらないんだろう。何か大人の事情でもあるのか? もしくは『ミリオン』にはそこまでお金をかける必要はないと思われてしまっているのだろうか? そんなに『ミリオン』は儲かっていないのか? そんなことはないと思うが。でもしかし。

 毎年の周年ライブの終わり際、今後のコンテンツの展開について発表があるたびに、僕は『ミリオン』のアニメ化が来ると期待していた。そしてそうはならなかった。
 ライブ後は仲間で集まって打ち上げをするのが定番だ。そこで「今回もアニメ化なかったな」みたいな話が出るのもいつものことだ。
 僕は毎回「まぁ時期が良くないのかもね」みたいなことを平気な顔で口にしていた。実際は内心で少なからず落胆していたのを隠して。それでもいつかは、『アニマス』の正統な続編としての『ミリアニ』が来るのだと期待していた。きっと来年は来るぞ、と。根拠のない身勝手な期待をして、それで気持ちを奮い立たせていた。

 実際のところ、アニメがなくとも『ミリオン』の展開は潤沢だった。CDシリーズの発売はほとんど途切れることはなく、グッズやコラボレーションも徐々に増えた。『ミリオン』から『ミリシタ』に移行してもそれは変わらなかった。
 そして相変わらずアニメ化は発表されなかった。実際、ここぞという時期にタイミングを外してしまっていたというのはあったように感じられた。例えば4th、千秋楽終盤の演出で、あぁいよいよアニメ化がくるのではないかという高まりを感じた人は少なくないと思う。僕もそうでした。
 ところがなかった。それまでもなかったようにそこからもなかった。僕はいつしかゴールテープの見えないマラソンを延々と走っているような感覚に陥っていた。

 * * * * *

 ソシャゲというカテゴリの特異性として、サービスそのものの終了は別として、「お話が完全に終わることが許容されない」というものがあげられると思う。ひとまずの決着が描かれることはあっても、本当にこれが最後のクライマックスというものを迎えることができない。なぜか。サービスが続く限り物語が続いていかなければならないからだ。
『ミリオン』もそうだった。かつて未熟だったはずのアイドルたちはいくつものかけがえのない体験を経て成長し、それでも変わることは許されない。彼女たちはいつまでも未熟で、いつまでも自身の憧れに到達することは許されない。特に初期に見られた思わせぶりな伏線の数々は消化されることなく風化して、ネタにすらされることはなくなっていく。かつて持ち得た個性はいつしかならされて、ただ終わらずに続いていくことだけが価値となってしまう。
「ゲームの中、あるいは外でどんな体験を経たところで、彼女たちが本当の意味で成長を果たすことはない」。彼女たちは変わらない。それこそが価値であるのだから。
 僕がなぜアニメ化を切望していたのかというと、つまりそれらに対する絶望があったからだ。「終わることができない」という袋小路。それが絶望でなくて何なのか。

 そう、アニメ化とは「終わり」であった。最後の花火という言い方をよく耳にする。コンテンツの行き着く先の終着点。そこで一気に爆発して、そこから先は下るしかない大きすぎる山場。
 僕は『ミリオン』に終わって欲しかったわけではなかった。ずっと続いて欲しいと(それは非現実的な要求ではあると理解しながら)願っていた。それと同時に、「アイドルたちが迎えるゴール」を見たいと切望していた。「終わることができない」現状は絶望だと考えていた。
 それは矛盾のように聞こえるかもしれないし、僕はその矛盾をずっと抱えたまま『ミリオン』を追い続けていた。たぶんそれで疲れてしまったんだろう。『ミリシタ』に移行する前後から、僕は実にライトな層のPとなっていた。それ以外にやることが増えたとかそういう事情もあったけれど、CDも買ったり買わなかったり。ゲームもしばらくさわらなくなったり。ラジオもいつしか聞くことが少なくなった。周年ライブも、チケットが取れないなら取れないで仕方ないよねと割り切る気持ちが出てきたりした(もちろん現地に行けるのならそれに越したことはないけど。かつてのように、落選した時に世界の終わりのような絶望を感じることは今はない)。
 まぁたぶん、それまでが全力過ぎたのかもしれない。その変化自体は、変化した後の今となっては決して悪いことではないと僕は思う。健全な大人としてのコンテンツとの付き合い方ができてるのは今の方だと思うし。『ミリオン』が僕のすべてであった時期のことを、どこか羨むような気持ちで懐かしく思うことはあれど。

 さて、どうでもいい話を長々としてしまった。

 * * * * *

3.

 そんな矛盾を抱えたミリオンPは僕だけに限った話ではないと思うのだが、それはともあれ、唐突にその時は来た。
『ミリシタ』の3周年を祝う生配信。その中で『ミリオン』のTVアニメ化の発表。

 まず戸惑いが来た。少し遅れて喜びが来る。じわじわと、砂に水が染み込むように。かつて想像していた、爆発するような歓喜とはまた違って、現実は静かに染み渡るような喜びだった。

「あ、やっとアニメ化するんだ。楽しみだな」
 クールを気取るわけでもなく、本当にそんな感じだった。僕は『ミリオン』に興味を失くしてしまったのか? そうではないと思いたい。確かに一時期の狂ったような情熱は今はもうない。発表のあった配信だって、たまたま思い出して覗いてみたら発表が来たという感じだ。昔は欠かさず関連番組は見ていたけれど、最近はそうでもなくて、今回は本当にたまたまだった。
 それでも、僕は『ミリオン』が大好きだと言いたい。この世のオタクコンテンツの中ではずば抜けた一位だ。そんなことを、思い出しつつある。

 発表に対して気持ちの上で喜ぶだけではなかったのは事実だ。正直この現実を未だに受け止めきれていないというのもあるんだろうけれど、『ミリオン』のサービス開始から7年経った今になって思い返すことがあった。
 かつて僕が本家アイマスや『デレマス』に対して感じることのあった入りづらさや疎外感、それを今後『ミリオン』に入ってくる人が感じることがないといいな、ということだ。これっぽっちもまったくない、ということは恐らく無理だが、できる限り小さく済むといいなという思いだ。
 僕のようにかつてこじらせていた過去を持つPたちは、それらの錆びついた棘を各人の胸の中に、過日の思い出として、そっと秘めておいて欲しい。

 だから、アニメの『ミリオン』に対して僕が望むことは色々あるんだけど、もしもひとつだけ叶うのならば、「これまでの7年間ミリオンを追い続けた人も、たまたまその時テレビをつけただけの人も、同じように楽しめるものになって欲しい」と願いたい。たぶんすごく難しいことを言ってるかもしれないけど、言うだけはタダなので言っておきたい。
 そしてたぶん、この取り留めのない長文の中で、ただひとつだけ僕が言いたいことがあるとしたらこれなのだと思う。

 それはかつて僕が浸っていた矛盾の解決策でもある。つまりアニメ化という特大の花火は、アイドルたちの成長と物語の「ゴール」を描く7年間の集大成であり、それと同時にこの先の未来へと続く「スタート」となれば良いのだ。
 今の『ミリオン』ならきっと、ひとつの「ゴール」を新たな「スタート」にできるのだと思える。僕が大人になったように、『ミリオン』もコンテンツとしてじゅうぶんに成熟した。既定路線と(僕が勝手に)思っていたアニメ化にここまで時間がかかったのには、たぶんたくさんの大人の事情があったのだろうと思うけれど、でも結果的には今こうなってそれで良かったよね、って言えるものが出来上がったらそれでいいと僕は思う。

 そのコンテンツのファンを一生懸命やることは、何も悲壮感を持ってする必要はないということに、僕は今更気づいたのかもしれない。各々が、各々の好きな距離感でコンテンツと触れ合えればそれでいいのだ。
 アイドルからプロデューサーと呼ばれる我々のうち、何も全員が本当に自分をPだと思う必要はない。Pと呼ばれているファンでもいいし、そのスタンスを誰かに強要されることもすることも必要ない。
 かつて僕の中で猛っていた情熱は失せた。それは事実だ。そしてそれは決して悪いことではない、と僕は思う。アイドルの成長と変化を望んだ僕自身が、成長と変化(それはすなわち喪失と同義である)をしないわけがない。なぜなら僕は生きているから。そして僕は、同じことをアイドルに求めたいと願っている。その気持ちは7年前から変わらない。

 今はただ、恐らくまだまだ準備に時間がかかるであろう『ミリオン』のアニメが始まるその日をじっくりと待っていようと思う。
 時間をかけて、多くの人が楽しめるものになったらいいなと思う。1年か2年くらい待ったって構わない。なんせここまで7年以上待ったんだから。

 ミリオンライブ、アニメ化おめでとう。そしてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?