【3】ずっと真夜中でいいのに。『正しい偽りからの起床』を読む

今回の記事は

 【1】に続いて【2】までが本題に入れなかったわけですが、今回はアルバムの読解に踏み込んでいこうと思います。
 まずはアルバムを書誌情報として簡単にさらいましょう。

『正しい偽りからの起床』

 『正しい偽りからの起床』は2018年11月14日にEMI Recordsからリリースされた1stミニアルバムです。12曲収録されていますが、半分はインスト曲となっています。楽曲タイトルを以下に示します。

01. 秒針を噛む 4:18
02. ヒューマノイド 4:19
03. サターン 4:10
04. 雲丹と栗 4:32
05. 脳裏上のクラッカー 4:29
06. 君がいて水になる 4:45
(07.~12. は上記楽曲のインスト曲)

https://zutomayo.net/release/5/
https://open.spotify.com/album/61fHzNeb76p8ATYvlhO4rI?si=S42BbGjMSZubPhFm797W0Q

 このミニアルバムのリリース前には、「秒針を噛む」(2018年6月4日)に続いて「脳裏上のクラッカー」(2018年10月2日)、「ヒューマノイド」(2018年11月6日)がMVを含めて公開されていました。「サターン」「雲丹と栗」「君がいて水になる」が新たに公開されたことになります。


意義の補強

 注意したいのはやはり曲の配列です。「05. 脳裏上のクラッカー」と「02. ヒューマノイド」を見れば、「MVを公開した順に並べた」、あるいは「アルバムの構成が先にあり、順にMVを公開」というわけではないと確認できます。他に「楽曲の完成順」に並んでいる場合などが考えられるかもしれません。しかし、そのような無機的な配置とみるよりも、何らかの意図やこだわりをもって並べたとみる方が自然ではないでしょうか。この点だけでも『アルバム』の読解を行う意義が補強できそうです。

 ただ、その意図を推し量るのは容易ではありません。音楽的な観点からそれぞれの曲の特色を引き出す工夫、歌詞をもとに楽曲のテーマやメッセージを伝えるための工夫など、複数の視点から把握する必要があるからです。ライブ等のパフォーマンスではもっと直接的に体験できるはずですが、アルバムとなるとやはり読み解いていくほかないでしょう。私には全貌を明らかにすることは期待できませんが、歌詞の読解にかかわる部分のみを考察し、少なくとも自分なりの結論を出せればと考えています。


タイトルの意味

 『正しい偽りからの起床』の意味に答えを出すのは個別に作品を読解した後になります。しかし、作品ごとの読解を試みる前にも一度検討してみる必要もあるでしょう。

 〈正しい偽り〉は抽象的なので、比較的理解が可能な〈起床〉の部分から考えてみます。
 〈起床〉とは寝床から起きだすことを意味する語です。これを当てはめてみれば、〈正しい偽り〉が「寝床」のようなものと表現されていると分かります。我々は人生の三分の一ほどを眠って過ごしますから、ある意味では人生の三分の一ほどを寝床で過ごしていると言い換えられるかもしれません。〈正しい偽り〉はそれだけの重要性を持ち、かつ当たり前に存在するものでしょう。

 もう少し踏み込んでみます。
 寝起きの布団の中は暖かく、特に冬場には出たくないなと考えてしまう日がよくあります。寝床には物理的な意味合いに加え、観念的な意味でも暖かさがあるからだと私は考えます。
 例えばこれはごく個人的な経験ですが、辛い時には布団をかぶって泣いていました。家族等から見えも聞こえもしないようにするためでした。しかし、思い返してみると家族等がいないタイミングであっても私は布団をかぶっていました。
 楽しいエピソードもあります。小学生の頃、「子供は21時に寝る」という決まりがありました。ただそれではどうにも遊び足りず、ニンテンドーDSを布団に持ち込み、どうぶつの森の通信で友人と話していました。親にばれないよう布団をかぶり、廊下から足音が聴こえれば枕の下にゲームを隠したりしました。
 これらを敷衍して全体を語るのは憚られますが、「寝床」が意味する範囲は多少明瞭になったと思います。要するに、布団の内側には「自分だけの世界に身体も精神も閉じられる」ような働きがあるということです。また、この種の安心感は布団の外側にある世界への不安と同時に成立しています。

 ここで〈起床〉に立ち返りましょう。気を付けたいのは〈起床〉が「起き上がる」ことを意味している点です。睡眠を終え、夢から覚める「覚醒」などのような「目が覚める」ことではないのです。先ほどみたように「寝床」では、世界(というと曖昧ですが)に対して布団を用い区切ることで内側に自分だけの空間が作り出せます。しかし、その時に自分は外側も了解しています。そして、「意識がはっきりした状態で布団に留まっている」時間があり、最後には動作として〈起床〉することになります。
 布団による物理的な区切りは心理的にも内と外とを分け、〈正しい偽り〉という価値の相違が明確になります。このズレを解消するのが〈起床〉ですが、〈正〉〈偽〉のどちらを目指すのか、ズレを受け入れるのかという点は示されません。また、それぞれの価値判断の主体も明らかではありません。



今回のおわりに

 楽曲の読解では、以上の疑問が鍵になると(いまのところは)考えています。長々と積み上げましたが、「本音と建て前」などのような表裏が〈起床〉という日常的な動作に接続されていることを把握できれば十分かもしれませんね。
 ただ、今回の記事で『正しい偽りからの起床』に含まれる両義性や〈起床〉の語の選択について、手がかりをつかめそうな気がします。

・〈起床〉の意味や使い方には異論もあるかもしれません。
・アルバムのジャケットの上下には変わった記号が並んでいます。おそらく上段は「ZUTTO MAYONAKA」、下段は「DE IINONI」でしょう。左右の文字列も通常扱えるフォントではなく、別の記号の組み合わせになっています。演奏記号かなと思って調べてみましたが、流石に邪推でした。
・〈ずっと真夜中でいいのに。〉他作品との関連、文学作品や他アーティストとの比較を取り入れようとしたものの、かなり質にむらがあったので書き直しました。それに伴って他の記事も再考しているので時間がかかるかもしれません。

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