【4】ずっと真夜中でいいのに。『正しい偽りからの起床』を読む


はじめに

 前回記事ではアルバムの情報を記載し、アルバムタイトルの意味について検討してみました。今回の【4】はそれを展開させ、〈正〉〈偽〉〈起床〉を念頭に楽曲の読解に入りたいと思います。



「秒針を噛む」についての基礎的な事項

 「秒針を噛む」は『正しい偽りからの起床』の第一曲目に収録されています。この曲は〈ずっと真夜中でいいのに。〉がYouTubeにて最初に投稿したMVであり、現在1.3億回以上も再生されています(2024年2月3日時点)。
 長さ4分18秒(Spotify上での表記)、文字数は600程度。外形的にはそう特殊な曲ではないでしょう。十一の段落で構成される歌詞は「君」に対する「僕」の思いを中心に描いており、「このまま 奪って 隠して 忘れたい」の繰り返しには強い感情が表れています。

曲の配列から

 第一曲目に選定した理由の一つに、処女作をまずは聴かせようという意図が考えられます。また楽曲の内容を見れば、アルバムにとってこの曲が果たす役割は大きいように思います。『正しい偽りからの起床』のタイトルから想起される印象と「秒針を噛む」歌詞内容には、関連すると思われる要素が複数あるからです。強いメッセージをはじめに提示したいという意図も有り得るかもしれません。

「秒針を噛む」の読解に向けて

 内容を細部まで理解しようとすれば難解に感じる人もいると思います。〈秒針を噛む〉のような表現、行動の主体や目的の欠落などがあるためです。当然ですが、歌詞は小説のように多くの語を重ねません。むしろそれよって、曲を聴く私たちそれぞれに互換性を保ち、一種の普遍性とすら言える力を獲得した側面もあるでしょう。
 一つの物語として曲の読解を行うには、小説以上に多くの〈空白〉を埋める必要があります。そのため歌詞本来の魅力を損ない、既存の(そして新規の)体験を制限してしまうかもしれません。この記事はごく個人的なものだからという言い訳もしつつ、それでも読んでいただける方には価値を認めてもらえるだけの文章を書くつもりです。

(本記事ではYouTubeのコメント欄に投稿された公式の歌詞を引用する形で掲載します。ぜひもう一度お聴きいただいてから、本記事に戻っていただければと思います。)
(また、私は音楽的な知識に明るくないのと、「読解()」を試みているのとで、今後は歌詞のまとまりに数字を振って一から十一までの段落で呼び分けることにします。とてもとても便宜的な措置です。)


「秒針を噛む」歌詞全文

生活の偽造 いつも通り 通り過ぎて
1回言った「わかった。」戻らない
確信犯でしょ? 夕食中に泣いた後
君は笑ってた

「私もそうだよ。」って 偽りの気持ち合算して
吐いて 黙って ずっと溜まってく
何が何でも 面と向かって「さよなら」
する資格もないまま 僕は

灰に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
「本当」を知らないまま 進むのさ

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

消えない後遺症「なんでも受け止める。」と
言ったきり もう帰ることはない
デタラメでも 僕のためじゃなくても
君に守られた

目も口も 意味がないほどに
塞ぎ込んで 動けない僕を
みつけないで ほっといてくれないか
どこ見ても どこに居ても 開かない

肺に潜り 秒針を噛み
白昼夢の中で ガンガン砕いた
でも壊れない 止まってくれない
演じ続けるのなら

このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

縋って 叫んで 朝はない
笑って 転んで 情けない
誰のせいでも ないこと
誰かのせいに したくて
「僕って いるのかな?」
本当は わかってるんだ
見放されても 信じてしまうよ

このまま 奪って 隠して 忘れたい
このまま 奪って 隠して 忘れたい

このまま 奪って 隠して 話したい
分かり合う○ 1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
「疑うだけの 僕をどうして?」
救いきれない 嘘はいらないから
ハレタ レイラ

YouYube「秒針を噛む」 


「秒針を噛む」における〈空白〉

鍵括弧と句点が意味するもの

 手始めに、聴いただけではわからない部分として歌詞中の鍵括弧に注目してみようと思います。

・第一段落「1回言った「わかった。」戻らない」
・第二段落「「私もそうだよ。」って偽りの気持ち合算して」「何が何でも面と向かって「さよなら」する資格もないまま僕は」
・第三段落「「本当」を知らないまま進むのさ」
・第四段落「会って「ごめん。」って返さないでね」
・第五段落「消えない後遺症「なんでも受け止める。」と言ったきりもう帰ることはない」
・第八段落「会って「ごめん。」って返さないでね」
・第九段落「「僕っているのかな?」」
・第十一段落「会って「ごめん。」って返さないでね」
・第十一段落「「疑うだけの僕をどうして?」」

 前回得たポイントを踏まえれば、ここをピックアップするだけでお気付きになる方もいるでしょう。句点の有無によって〈正〉と〈偽〉が書き分けられています。第二段落、第三段落の引用部分を見ると分かりやすいかもしれません。「僕」は「君」に「さよなら」を伝えたいけれど、自身も相手を偽っているため、別れを告げる「資格」を持たないと考えています。そしてそれぞれが胸の内に抱えた「本当」はなおざりになったままです。

 後半の「?」についても同様に言えますが、別の場所からも補助線を引くことができます。第四、八、十段落目(要するにサビの部分)にある「分かり合う○1つもなくても」の「○」です。これは上記の句点に関連させた記号です。
 改めて句点の付いた〈台詞〉部分を見返してみます。「わかった。」「私もそうだよ。」「ごめん。」「なんでも受け止める。」、いずれも〈相手のため〉に発された言葉です。しかし、「偽りの気持ち」「形のない言葉」「救いきれない嘘」のように、「本当」に考え感じていることはお互いに通じ合っておらず、伝えていません。(少なくとも「僕」にとっては、と付記すべきかもしれませんが。)
 また〈台詞〉というのも、第七段落「演じ続けるのなら」からとったもので、二人の間には本心ではない言葉による会話があることを補強しています。

 第五段落を疑問に思う方がいるかもしれません。「何でも受け止める。」との言葉は「君」の本心ではないのに、「僕」が「君に守られた」と感じているからです。しかし、それこそが「僕」の弱さであり、その経験は「後遺症」のように切り離せなくなっているのです。これは第九段落「見放されても信じてしまうよ」に繋がります。「君」からの言葉によって「僕」は一時安心を感じていました。だから、「デタラメ」かつ「僕のためじゃな」いと考えながら、今も「君」を求めてしまいます。

 ここまで説明すれば、〈誰が〉の一部は埋められました。冒頭部分「生活の偽造」はすぐ後の「確信犯」からも「君」が偽っているということでしょう。そして第二段落「「私もそうだよ。」って」から、「僕」自身も「君」に〈偽〉を抱えています。「僕」ではなく「私」を用いる一人称の揺らぎからも、この発言が偽りであると読み取れます。また、先ほどの「?」部分は「僕」という一人称を使っているため〈正〉、つまり本心からの言葉でしょう。
 その他細かな部分についても敷衍して当てはめることができると思います。しかし、どちらとも絞り切れない箇所にはどちらか一方を当てはめる必要すらなく、「僕」も「君」も同じように振舞っていたと考えてもいいかもしれません。

 ここまでは〈句点の有無による書き分け〉についてでした。「○」は〈正/偽〉といういわば観念的なものを区別する記号でしたが、まだ考察の余地があります。(〈書き分け〉と重なる部分もありますが、一旦飲み込んでください。)
 第四、八、十段落目(サビ部分)での「会って「ごめん。」って返さないでね」のうち、「会って」の部分に違和感を持ちます。実際に対面しているのであれば句点を打つ必要性がないからです。確かに小説でも登場人物の台詞に句読点は入りますし、会話の終点として句点を打ったのだと言われるかもしれません。ただ、少なくともここではさらに別の意味を有していると考えます。
 前にも引用した第二段落「何が何でも面と向かって「さよなら」する資格もないまま僕は」から、(仮想の)批判を否定できそうです。「資格もない」からここは想像上とはいえ、「面と向かって」いるので二人は「会って」話しています。そして「さよなら」は会話どころか関係の終わりに使われる言葉であるはずが、句点は付きません。この「さよなら」と「会って「ごめん。」って」の差異から一種の隔たりを想定できます。つまり、「会って」以前にある〈物理的な距離〉です。LINEやメール等の文字でのやり取りがあり、そこでの会話は〈偽〉ばかりだった。だからこそ「会」う時には「(文字での会話時のような)ごめん。」は言わないでほしいのです。
 また、「返さないでね」という語は第五段落に接続しています。過去の救われた思い出の「もう帰ることはない」にも、対面していたことが示されていると言っていいでしょう。〔kaeの音を重ねている〕、〔擬人法的な表現〕などとも取れますが、「僕」には〈直接〉を重視する価値観があります。例えば、第六段落「みつけないでほっといてくれないか」に反映されています。

「吐いて黙ってずっと溜まってく」/「このまま奪って隠して忘れたい」

 次に、別の〈空白〉である第二段落の「吐いて 黙って ずっと溜まってく」、第四段落「このまま奪って 隠して 忘れたい」の二つを検討してみましょう。上記の考察からどちらも〈「僕」が〉だと理解できます。しかし、〈何を〉〈何から〉そうしたいのかは明示されていません。こちらも先ほど同様、明示しないことによって逆説的に「僕」が抱える不明瞭で激しい感情を映し出す描写とも考えられます。ですが、最初にそれを書いてしまっては先に進めませんから、一旦脇に置きます。
 
 まずは、「このまま~」までの第一~三段落を追って考えてみます。
 二人はお互い「本当」を抱えながらも、相手を思うがゆえに〈偽り〉の言葉を交わしていました。「僕」は「確信犯でしょ?」と言葉を偽る「君」に非難の気持ちを持っていますが、「僕」自身も本心を伝えていないと自覚しています。そのため、別れを告げる「資格」が自分にはないと考えています。ここから「〈嘘を〉吐いて(はいて/ついて)〈本心は〉黙って〈歪みが〉溜まってく」と補うことができるかもしれません。あるいは、「偽りの気持ち」を投げあうだけで停滞してしまう会話を表現しているようにも思います。どちらにしても〈正〉と〈偽〉のズレが「僕」に影を落としているのは間違いないでしょう。

 二人は結局「「本当」を知らないまま進」んでいきます。第三段落の詳細は後述しますが、現時点では「このまま」に注目します。共通する「まま」という時間的な連続から「奪って 隠して 忘れたい」は前記ズレへの〈「僕」なりの〉解決方法だと考えられます。
 すぐ後の「分かり合う○~いらないから」にもあたって〈空白〉を埋めてみます。

第二段落

奪って 隠して 忘れたい
分かり合う○1つもなくても
会って「ごめん。」って返さないでね
形のない言葉は いらないから

 〈直接会った時には、お互いを気遣った偽りの言葉じゃなく、共感できなくてもいいから本心を伝えてほしい〉という思いを読めます。このように、「僕」の〈正〉を求める意思を念頭に置けば「〈偽りを〉奪って 〈見つけられない場所に〉隠して 〈偽りを奪い、隠したことを〉忘れたい」と補えます。「僕」は「君」との本心からの会話を求めていて、その結果が「さよなら」であったとしても、フリをし続けるよりはずっといい。「忘れたい」という時間的な広がりによって、自身の漠然とした〈これから〉も表現されています。これは素直な解釈です。

 別解として「〈本心を〉奪って隠して忘れたい」を挙げられます。(ややこしく感じるかもしれませんが、)〈偽〉が〈正〉に取り替わります。「「本当」を知らないまま進むのさ」「演じ続けるのなら」に続く「このまま」に力点を置けば無理な発想ではないでしょう。「〈君の本心を〉奪って〈僕の本心も〉隠して忘れたい」が叶えば、お互いに〈打ち明ける〉必要もなくなり、〈正/偽〉のズレが逆説的に解決されます。
 ただ、第十一段落「このまま奪って隠して話したい」での異同に問題が生じます。「話したい」は本心を交換しあうことを望んでいるため、〈逆説的な解決〉が成立しません。しかし、第十段落で二度繰り返される「このまま奪って隠して忘れたい」を「僕」の自問自答と受け止めるなら、より強い「救い」を見出せるかもしれません。つまり、第十段落以前の〈空白〉には〈正〉を、以降には〈偽〉を補うことによって、「僕」の変容を読めるようになります。二人の関係は現状維持を望み本心を忘れてしまいたいような〈逆説的な解決〉から、「僕」の変容を経て、〈偽り〉を廃しお互いに向き合う着実な〈解決〉へ、負の連鎖を脱却していくのです。


〈秒針を噛む〉

 ようやく〈秒針を噛む〉の意味について検討できそうです。第一、二段落で〈偽〉を示し、今後の〈正〉を望む第四段落との間に位置する第三段落。ここは「白昼夢」の表現であり、一種の比喩として描かれていることを留意しなければいけません。「夢」が自身の心象風景を映す鏡なら、そこには「僕」のどんな意識が反映されているのでしょうか。鍵になるのは〈時間〉です。「秒針を噛む」は時間的な広がりを持つ楽曲だと、ここまでにも少しだけ触れていました。〈秒針〉にはそれが如実に表れています。

 第一、二段落目は〈過去〉について書かれており、「生活」や「いつも通り」「ずっと」から二人間の不和は日常的に反復しています。第三段落「知らないまま進む」は〈現在〉を示し、第四段落「このまま」には第三段落と地続きであると分かります。そして、「会って」「返さないでね」「いらないから」からも第四段落は〈未来〉です。この〈過去〉〈現在〉〈未来〉の大きな時間の流れは、第五~八段落で繰り返されます。すると、第九段落「縋って 叫んで 朝はない 笑って 転んで 情けない」の短い単語の羅列は気味の良い響き以上の働きを持っていると考えられます。第一~八段落にみた「僕」の行き来する思考をデフォルメし、サイクルが短い期間に起きていることを表しているのです。
 一日単位のカレンダー、時計の中でも長針や短針ではなく「秒針」を取り入れた理由は、「僕」が「秒」という最小単位で〈マイナス〉を体験していることにあります。

 第三段落「灰に潜り」の意味も併せて考えます。「灰」には様々なものを当てられるでしょう。身近なところで言えば〈ゴミ〉、少し離れれば〈死体〉、さらに比喩的に〈炎上〉を連想するかもしれません。いずれにしても、もはや必要とされなくなった何かはそれでも物質として存在しています。そうした「灰」に潜るとは、〈自分自身を無価値だと感じている〉かもしれません。
 第七段落の「肺に潜り」から別の類推もできます。「灰」「肺」から連想すれば真っ先に思い浮かぶのは〈煙草〉です。現在喫煙する際には喫煙所や喫煙室に赴かなければいけませんし、家の中であってもキッチンやベランダ等決まった場所に移動する人が多いはずです。そして〈吸う/吐く〉ではなく〈潜る〉の使用に、本来向き合うべきものや居るべき場所から体も心も距離を取っていることを読み取っても良いでしょう。同時に、吸って吐いての反復による消耗を重ねた描写でもあるかもしれません。

 以上のことをまとめます。「僕」は「君」との不和について、悩み、目を背けることを日常的に繰り返します。その問題に取り組みますが、過ぎゆく時間を止めたいという方向へ解決を求め、本質から逸れてしまいます。それは「白昼夢の中で」、昼夜が逆転し(一般的な意味合いにおける)生活からも逸脱するほど「僕」を消耗させているようです。


〈正〉〈偽〉の解消

 終わりに近づいてきました。まだ深く触れていない第六段落と第九段落まで考えてみます。
 第六段落「目も口も~開かない」について、解釈は別れるかもしれません。ここは特に〈私の〉意見だと受け止めてくれたら助かります。
 「目も口も意味がないほどに塞ぎ込んで動けない僕を」には「僕」の思考の偏りが強く表れています。「僕」は波のように反復する思いに圧倒され、疲弊していました。〈秒針を噛み〉にみられたのは、溺れまいとして手足をばたつかせることで一層力を失っていくような様子です。そのように全てを投げ出してしまいたくなる時間が、繰り返すサイクルの中に含まれています。困難に陥り〈どうにかしたい〉と考えながら〈どうにもならない〉と痛感した時に、歪んで狭窄した思考が極端な結論を導くことは往々にしてあります。諦めや嘆きが生んだ際限のない自責思考を「動けない」には感じられます。
 ただ、ここは両義性を持たせた描写かもしれません。つまり「動けない」のは「僕」の意志ではなかったか、ということです。
 「目も口も」その器官としての「意味」を失うほど「塞ぎ込んで」いますが、一方で〈意味がないほど強く、目と口を塞いでいる〉とも考えられます。その時に、ただ目と口を閉じるのではなく両手で覆っているのではないでしょうか。そして「塞ぎ込んで」は〈目と口〉だけでなく、「僕」自身にも掛かっているはずです。以前の記事、タイトルから得られる印象を探る中で「起床」について触れました。どうしようもなく辛い時に一時的な退避として布団に潜る行為は、(私にとって)不思議ではありません。「僕」は布団にくるまって横になった状態の中、両手で目と口を抑え、立ち上がることができなくなっているのかもしれません。〈心理的にも身体的にも〉「塞ぎ込んで動けない」と言えそうです。
 ただし、「僕」の苦しさはそこに留まりません。救われる道を理解しつつも積極的にそれを求められないからです。なぜ塞いだのは目と口なのか、と考えれば理由がはっきりします。この二つが〈受け取る〉だけの器官ではないためです。「僕」は本心では助けを欲するものの、〈自責思考〉によって相手に何も言えません。あるいは、その先に別れがよぎってしまうのかもしれません。どんな思いを抱えているとしても「僕」は「口」だけでなく「目も」「塞ぎ」、涙を流すことさえ自分に許しません。

 一方で「目も口も」を考えると耳は塞いでいないようです。「僕」が意識しているか否かはわかりませんが、「救い」の道すら自身で作っています。「僕」の思考は自分が完全などん詰まり状況でないことを、どこかでメタ的に理解してしまっているのです。「みつけないでほっといてくれないか」という呼びかけ、つまり〈応答を待っている〉形になっている点にも確認できます。ただ、「みつけないでほっといてくれないか」には鍵括弧が付いていませんから、実際には呼びかけていないと考えていいでしょう。
 ここにはまた、「僕」がどれだけ弱り歪んでいるのかも読み取れます。もし「僕」の発する〈呼びかけ〉に肯定的な応答があれば、〈偽り〉が強化されます。もし否定的な応答(見つけるほっとかない)があっても、現状では「君」への「疑」いが強化されます。そして、どちらの場合でも「僕」は「僕」を追い詰めていくでしょう。
 内側に抱えた本心すら〈否定されることで救われる〉という屈折を孕む消極的な願いの形であり、繕ったところでスパイラルは止まらない。結局、「僕」は〈何もしないしできない〉ことで悪化を緩やかにします。この〈静的〉な思いが反転することで「ガンガン砕いた」にみられる破壊衝動へと繋がっているようにも思えます。

 第九段落「誰のせいでもないこと 誰かのせいにしたくて」は、〈自責思考〉と繋がっていきます。単純に考えれば「君」に責任を押し付けてしまっていたと自認する場面でしょう。しかし、「誰」とあえて言うのは、「僕」もそこに置き換えられるからです。「誰のせいでもない」と素直に受け止めるわけにもいかず、「僕」自身にも多くを背負わせました。〈そんな僕〉をそれでも気遣ってくれる「君」に一種の疑念を抱き、問題の一部を「君」にも負わせてしまいます。

 「「僕っているのかな?」 本当は わかってるんだ」の問いは、〈必要か?〉と〈存在するか?〉の二重に意味があります。「動けな」くなってしまう「僕」にとって、自分の存在、存在意義は「君」に問うことでしか確認できませんでした。「「疑うだけの 僕をどうして?」」との繋がりを考えれば、「僕」を肯定してくれる返事があったはずです。ただ、「本当はわかってるんだ 見放されても信じてしまうよ」が簡単に繋がりません。「いるのかな?」という自身の問いの答えを「本当はわかってる」のなら、「見放されても信じてしまうよ」に少し歪さを感じます。
 以前の説明で、この二つの疑問の間にある第十段落「奪って 隠して 忘れたい」には〈空白〉の中身に〈転換〉があるとしていました。まず、それぞれの動詞の目的語に〈本心〉を補うことで〈逆説的な解決〉を欲し、「肺(灰)に潜り」「秒針を噛み」のように問題の本質を外した解決策を求める「僕」の様子もわかりました。これは「誰のせいでもない」種類の問題が引き起こすスパイラルに囚われていた結果でした。
 それが第十段落で〈転換〉を迎えます。以降、目的語に〈偽り〉を補うことで、「僕」が「君」と正面から向き合えるようになった様子、負の連鎖からの脱却を読みました。「形のない言葉」が「救いきれない嘘」と、より直接的な表現へと移行しているのにも〈転換〉があったことは確認できます。
 ここで注目したいのは「本当」「疑う」の語です。先ほどから繰り返す〈転換〉の内容が具体的になるはずです。
 「本当」が登場するのはここで二回目です。第三段落「「本当」を知らないまま」では鍵括弧によって〈正〉と〈偽〉の区別や、より対象化された状態を表現していました。それが第九段落では鍵括弧が外され、「本当はわかってるんだ」と対比的な構造をとって表れます。注意するべきは〈第十段落で逆転し、第十一段落以降で本当を知った〉のではないことです。
 ここまで「君」と「僕」の両者が〈正〉と〈偽〉を持ち、このズレが問題であるように書いてきました。そのため〈転換〉を〈本心の共有〉と考えたくなります。しかし先ほどの注意から、少なくとも「君」の本心は「僕」に伝えられていたことが明らかになります。「僕」が「君」に本心を明かさず苦しさを抱えていたのは確かですが、「君」が「僕」にそうであったとは言えません。「君」における〈偽〉も〈正〉も、実際には「僕」の〈疑い〉が生んだ虚像でした。〈転換〉とはつまり、〈信じる〉〈疑わない〉思考への変化だったということになります。
 以上の分析を「見放されても信じてしまうよ」が補強してくれます。「僕」がどのように追い詰められていたのかは前述しましたが、〈「君」の本当〉も〈「僕」の本当〉も「疑」によって隠され、果てには自身の存在すら曖昧になっていました。「君」の存在「君」を「信じてしまう」自分の弱さだけが取り残され、むしろそこに立脚した〈転換〉を迎えます。ここで、「僕」自身が区別していた〈本当と「本当」〉は「知らないまま」から「わかってる」に改められています。
 他にも「確信犯」や「デタラメ」「見放」などに表れる猜疑心は、「疑うだけの僕をどうして?」に集約され解消へ向かいます。それも疑問への応答如何ではなく、「疑」を自覚したという事実によって着実に進んでいくと解すべきでしょう。

 「救いきれない嘘はいらないから」に傲慢さを感じる方がいるかもしれません。私にとって〈ずっと真夜中でいいのに。〉が魅力的に見えるのは、「ようやく問題を直視できた」場面でこのような強さや鋭さを発揮できるからです。また、ここで「僕」が「君」におずおずと感謝を述べたとして、それを〈喜ぶ〉方がずっと傲慢ではないでしょうか(個人の意見です)。


「ハレタ レイラ」

 長い長い考察の末に、「ハレタ レイラ」はどのような意味になるのでしょうか。既存の考察を参照すれば大体が〈晴れた〉と〈(アラビア語で)夜、女性〉として独自に解釈しています。語が指す意味はそれに拠るとしても、それだけでは説明し得ない部分があるように思います。(はじめに書いた通り、私はそれらを否定するつもりはありません。ただ、同じように独自の解釈をしているだけだと改めて付しておきます。)

 実際に、MVに付けられた字幕の中国語を選択すると「ハレタ レイラ」がおおよそ〈晴れた〉〈夜空〉のような意味を持っているのだろうと分かります。そのため意味の解釈は脇に置いて、なぜ〈晴れた〉と表記しないのか、なぜアラビア語を用い、「レイラ」とカタカナで表記したのかという疑問から考えます。
 日本語のみで詩を書くこと自体は今も珍しくありません。日本語以外を用いる場合は英語や韓国語等の馴染みがある言語が多く、その中間に外来語として共有されている言葉も用いられるでしょう。逆に言えば、ここでアラビア語を取り入れたのは〈言語としての馴染みがなく、外来語としても共有されていない言葉〉である必要があったからではないかと考えられます。ただ、文字までは取り入れず、どの言語を使用したのか明示することはしません。そして、〈晴れた〉も直感的な理解の回避と同時に成り立たせるために二語をカタカナで表記したのだろうと思います。カタカナの使用によって「秒針を噛む」の「僕」と「君」の間にあった〈疑いによる理解不可能性〉、意味のレベルでそれが〈晴れる〉ことを表現したと言えるでしょう。
 意味を汲み取るなら、〈晴れ〉だけではなく〈夜空〉にも触れるべきかもしれません。「僕」は〈転換〉を迎え、雲によって遮られていた広がりを再確認します。それは二人にとって新たな出発点であり、さらに〈これから夜が明けていく〉広がりを持たせています。


おわりに

 前回までの記事とは違いしっかりと読解に入れました。解釈のまとめを行わなかったのは少しもったいなかったかな、と思います。でも次回以降の構成もあまり検討していませんし、アルバム全体を論じる際に再度考えてみることにします。
 〈読解〉である意味が分かっていただけたでしょうか。こじつけと言われてしまえばそれだけですが、〈ACAね〉さんは私の考察以上に時間をかけて生み出しているはずです。この記事もかなりのボリュームになりましたが、まだ書き足りない部分、それでも省いた部分、単に見逃した部分があります。伝えきれないことも多くあったかと思います。
 ぜひ、皆さんもそれぞれ好きになって、考えて、思ったことを言葉にしてほしいです。
 『正しい偽りからの起床』の読解はまだまだまだ先があります。次回は「ヒューマノイド」を対象にします。 



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