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なぜお笑いで素直に笑えないのか

お笑い好きの友人に、この芸人のこのネタめっちゃ面白いから見てと言われ、見てみたところ、笑えなかった。

笑うべき箇所は分かる。

私は、お笑い番組を見てもあまり面白いと思えないことに定期的に悩むことがある。

笑いに厳しいとかそういうわけではない。
ただただ“お笑いを見て笑う”ことが苦手なのだ。

関西人なのにお笑いが苦手なのである。

M-1とかキングオブコントとかはほとんど見たことがないし、
芸人のネタを見ても「ここが笑いどころか」となぜかハエの視点になってしまうことがある。

お笑いは楽しめた方が絶対にいい。
おもしろいものをおもしろいと素直に笑えた方が絶対に楽しい。

というわけで、お笑い嫌いを考えることで解決のヒントを得ようと思う。

お笑いのなにが嫌なのか

まず、笑わなきゃいけないという見えない圧力を感じてしまうことだ。

そこで笑えないとセンスがないと思われるような。
分かってないと思われてしまうのではないかという恐れがある。

それに、いじりという文化が苦手なのかもしれない。

体張る系や暴力系もあまり好きではない。

面白いより先に、大丈夫?って気持ちになってしまうのだ。

痛そうとかつらそうな姿を見てあまり笑う気になれないのだ。

笑ったらおしりをシバかれる番組も"痛そう"が勝つのであまり好きではない。

あとは、芸人さんがウケた時、笑わせてやったぜとなぜか得意げなのが腹が立つ。

かといって、"笑われる"ことに徹底していて、道化と化している芸人さんも、なんだか冷めてしまう。

なぜそんな風に思ってしまうのだろう。

"おもしろくない"に対する恐怖

お笑いというのは、なにも芸人さんだけが特別出来るものというわけではない。

ウケることは、教養や一般常識の一部として世間では認識されているように感じる。

多少なりとも面白いことを言えない人は、あれ?この人大丈夫?という目線で見られてしまうのだ。

面白いことが言えない人は、友達グループから外される。
面白いことが言えない人は、仕事ができないと思われる。

極端な例かもしれないけど、こういった風潮をわたしはいつも感じてきた。

だから私は、ウケるキャラを必死で作っていたんだと思うし、みんなそうだと思う。

ウケるキャラ作りが昔からしみ込んでしまっているから、いざお笑いを見た時にいたたまれない感じがして笑えないのかもしれない。

天国に笑いはない

岡田斗司夫さんがYouTubeで言った言葉だけど、笑いの本質はきっとここにある。

お笑いには、多かれ少なかれ、他人や自分を馬鹿にしたり、差別したり、いじめたりする要素が必ず含まれている。

よくよく観察していると、確かにそうかなと思う。
バカな人に賢い人が突っ込むのも、疑似的にいじめが再現されているとも言える。

いじめは人を笑顔にする。
お笑いはいじめや攻撃にならない、スレスレの感じが見ていて面白いのかも。

自分が、これ面白いな、笑っちゃうなと思った後で、ハッとして、
これは人を馬鹿にしたり、差別したり、いじめたりそういうことなのか
と考えてしまうのも笑えない原因の一なのかもしれない。


でもここは天国じゃないから。
人を馬鹿にしたり、差別したり、そんなことを少しくらいしていかないと生きられない。

笑わないとやってられないことばかりだ。

だからお笑いってずっと人気で、メディアは、お笑いブームっていつも言っている気がする。

どうせなら楽しめたほうがいいのだけど、笑いの本質について考えるのもそれはそれで面白いと思う。

さて、私の好きなお笑い芸人はバナナマンです。
ぜひおすすめのお笑い芸人を教えてほしいです。

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