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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』9「カーフェリーに乗って佐渡へ」新潟県佐渡市〜佐渡島〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回は、令和6年1月号掲載の第9回、新潟県が誇る歴史ある離島、佐渡島を訪れた記事を届けてくださいました。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『カーフェリーに乗って佐渡へ』

離島には,いろいろな特徴がある中で,とりわけ取り上げられることが多いのは「島と観光」だろう。『ないものはない』のキャッチコピーで知られる隠岐(おき)諸島の海士町(あまちょう)や,世界自然遺産である屋久島や小笠原諸島,サイクリストの聖地と呼ばれる,しまなみ海道の島々など,島には普段なかなか出会うことのできない,非日常の魅力がある。

今回訪れた佐渡島もまた観光地が多い島だ。トキの森公園や,ユネスコの世界遺産暫定リストに登録された佐渡金山,佐渡名物のたらい舟もある。とはいえ,まずは圧倒的な面積を誇る島であることを忘れてはいけない。山手線一周は40㎞ほどだが,佐渡島の外周は200㎞を超えるのだ。離島の中では人口も多い。すなわち,第一は生活者にとっての島である。

ぼくは観光地もだが,佐渡島の生活の雰囲気が好きだ。新潟港と両津港を結ぶカーフェリーは1日5便ずつ運航している。新潟港朝6時発の第1便に乗ると,乗船後,地元の方々であろう乗客の多くが,慣れた様子でフロントから毛布を借りて仮眠をとり始めた。移動中にリラックスすることを誰しもが当たり前と思っている雰囲気で,そこには島生活独特の時間軸があった。

平成の大合併が進むまで,島には10の旧市町村が存在していた。それらを巡る中でも,それぞれのまちの,ごく自然なまちなみがとても好きだった。
家屋に統一感があったのだ。多くは黒色の瓦で,壁材は集落によって若干異なるものの,そのまちなみには安定感がある。当時,島では建築材料が不足しないもの,もしくは補えるものでつくる必要があっただろうし,日本海から吹きつける強い風にも耐え得るものでなければならない。これによってまちなみも似ていったのではないだろうか。

もちろん,全国で見られるような一般的な住宅もあったが,島全体では昔ながらの雰囲気のあるまちなみの割合が,とても高く感じられた。日本中の市町村で思い浮かべても,佐渡島は昔ながらの家屋が数多く残っているなあ,と感じる。

江戸時代に北前船交易で繁栄した「宿根木(しゅくねき)」のまちなみは,その品のよさがほんとうに素晴らしくて感動したけれど,一方で南東部に位置する赤泊(あかどまり)や,羽茂(はもち)の集落など,観光が主な産業ではないような地域のまちなみも,十分に味のある雰囲気なのであった。


▲ 黒い瓦の家々が多く,別の集落でも同じ瓦屋根が現れるとホッと感じるようになった。

観光客は島を観光の目線で捉え,生活者は生活の視点で島を見ている。もちろんお互いにとって地域に対する印象は異なるだろうけれど,もし佐渡島のことを聞かれたら,ぼくは島全体に広がる,ごく自然なまちなみが好きだと答えるだろう。佐渡島の各地域に広がる心落ち着く風土が好きだ,と。

(かつお╱Katsusuke Nishina)



仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247


本内容は、月刊『戸籍時報』令和6年1月号 vol.848に掲載されたものです。


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