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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』3「合併後も残る原風景」群馬県高崎市〜倉渕村〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。
弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
今回は、7月号掲載の第3回です。北関東、群馬県の高崎市で出会った素敵な風景と、その地にまつわる歴史をお届けします。ここでは、カラー写真でご紹介です!
今後の連載も、ぜひお楽しみに。

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『合併後も残る原風景』

 私の中での高崎市といえば,県庁所在地の前橋市には止まらない新幹線が停車する駅であることだとか,かの有名なハーゲンダッツのアイスクリーム工場があるだとか,知っている人からすれば当然の知識かもしれないが,それを精一杯の雑学として,高崎市のことを知ったつもりになっていた。それが完全に崩れ去ったのは,倉渕村(くらぶちむら)の景色に出会ってからだった。

 平成18年から21年にかけて,高崎市では7つの市町村が合併している。高崎市に加えて多野郡の吉井町(よしいまち)と新町(しんまち),さらには群馬郡の群馬町,箕郷町(みさとまち),榛名町(はるなまち)。そして,唯一の村であった倉渕村だ。倉渕村は高崎市の西部に位置し,村の中心部から高崎市の中心部(高崎市役所としよう)までは約25km離れている。電車や新幹線は通っていない。よって,主な交通手段はバスか車であり,観光客からすれば特別な目的がなければ,訪れる機会も限られるかもしれない。

 だからこそ,同じ高崎市でありながら,まったくの別世界が広がっていることに,驚かずにはいられなかった。村の中心には烏川(からすがわ)と呼ばれる利根川水系の一級河川が流れていて,川の近くは木立や渓谷などはなく,なだらかな川の流れのままに,景色が完全にひらけていて,段々畑が広がっていた。ゆるやかな斜面に積まれた石段と,一面に畑が広がる景色。その光景のなんと牧歌的で美しいことか。
ぼくは心から感動した。


▲なだらかな烏川を中心に景色がひらけている。

もちろん,遠くを見渡せば高い山並みが連なっている。山を越えれば,上毛三山の榛名山や妙義山も近い。そうした群馬県らしい景色が近くにある中で,倉渕村の景色は唯一無二であった。

 烏川のそばには,小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)という幕末を生きた人物の墓が立っている。
小栗上野介は幕府の遣米使として海外の先進文化を持ち帰ったが,反逆の企てがあるとされ,無念にも故郷のこの地で命を落としたとされている。日本の近代化のために尽くしたはずが,無実の罪を着せられてしまったのだとすれば,どれだけ無念だっただろうか。江戸末期から明治という激動の時代を生きた小栗の生涯を想像しつつ,ぽつんと立つこの墓が,穏やかな倉渕の景色に溶け込んでいることを静かに感じたのだった。
合併を経て,どのような暮らしの変化があったのかを,ただ訪れただけで知ることはできない。しかし,日本には倉渕村のように,合併を経てもなお,原風景としての素晴らしい景色がまだ多く残っているということを教えられた気がした。

(かつお╱Katsusuke Nishina)


仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
Twitter/Instagram @katsuo247


本内容は、月刊『戸籍時報』令和5年7月号 vol.841に掲載されたものです。