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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』7「まちのシンボルに魅かれて」北海道大空町〜東藻琴村〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回は、11月号掲載の第7回、北の大地、北海道の東藻琴村から、大切にはぐくまれてきた、美味しくて愛されるまちのシンボルに関する記事を届けてくださいました。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『まちのシンボルに魅かれて』

今年の北海道の異常ともいえる暑さは道民の方々こそ肌で感じているだろうが,オホーツク地方でも厳しい残暑が続いた9月初旬の日,藻琴山(もことやま)のそばを通って旧東藻琴(ひがしもこと)村に入った。峠を上っていると,屈斜路湖(くっしゃろこ)が青空と山を映し込んでいる。

下り坂では一面鮮やかな芝の丘が現れたので,スーパーカブを停めて,景色の雄大さを味わった。やがて黒土の畑が広がったかと思うと,今度は緑のカーテンのようなものがいくつも並んだ畑に出会う。そのときはわからなかったけれど,その緑のカーテンは長芋畑だった。

村で最初に訪れたのは,「ひがしもこと乳酪館」。村の開拓は1906年に始まり,1924年には乳牛がやってくる。1979年には牛乳の供給が需要を上回ったことで,有効利用を図るためにチーズづくりが始まった。2年後にはチーズ製品の出荷がスタート,やがて村おこしのシンボルに。

1996年にはこの乳酪館が開館し,2023年現在も地場産業の魅力を届けている。館内でカマンベールチーズソフトを販売していたのでお土産と一緒に注文すると,店頭の女性と少し雑談できた。出身は東藻琴だという。地元の方と話ができたことがうれしくて,ついお土産も追加で買い込んでしまった。

乳酪館から道を直角に曲がり中心街へ入ると,碁盤目状の住宅街に青や緑の屋根をした家や,長方形のずんぐりした家が並んでいる。北海道らしいまちなみだ。

東藻琴総合支所の近くでは,車のヘッドライトが反射する小さな反射板の上に,ひょこっと可愛いらしい牛のキャラクターが乗っていた。たとえば街灯にまちの特色を表したデザインが施されていることは多々あるけれど,反射板にオリジナリティを見るのは初めてである。さらに沿道には赤,青,黄,ピンク……と色鮮やかに花が植えられていて,育てている人のやさしさを感じた。


▲ 小さな反射板をよく見ると,牛のキャラクターが可愛らしげに乗っていた。

北海道は平成の大合併で市町村の数が212から179に減っており,以前ぼくはその合併前のまちを巡ったけれど,今回特に心が安らいだまちが,旧東藻琴村なのだった。

しかし,いい話だけではないだろう。
乳酪館の店頭の女性も仰っていたけれど,東藻琴でも人口は減り,高齢化が進んでいるという。2006年に旧女満別町(めまんべつちょう)とともに合併し,新しく大空町が誕生したことで,東藻琴という地名もやや見えづらくなった。それでも,乳酪館やチーズ製品という,人々の努力によって築かれたシンボルがまちに存在し続けることで,土地の名前がこれからも残っていってほしい。

                                                                (かつお╱Katsusuke Nishina)


仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247


本内容は、月刊『戸籍時報』令和5年11月号 vol.846に掲載されたものです。