ウマ娘3期は2話が大失敗だったという話

ウマ娘3期について書きたいことは先日おおよそ書いたんだけど、2話について自分と同じ感想を持った人が少ないなーと感じたのでちょっと残す。


2話の概要

1話で皐月とダービーで負けた主人公キタサンブラック。
憧れのテイオーさんが制したこの2つに負けた。
そして何よりその2つを勝ったドゥラメンテにテイオーさんを重ねてしまった。

皆を惹きつけるスターである父親みたいに、強くて綺麗でかっこいいテイオーさんみたいに、そういう存在になりたかった。
でもなれなかった。落ち込むキタサン。

その後、ドゥラメンテが骨折で菊花賞離脱確定。
ますますテイオーの時と同じ流れ。

ドゥラメンテがいないのなら菊花賞勝てるかもと思ってしまうキタサン。
しかしスピカの先輩たちはドゥラメンテがいなくてキタサンは落胆しているんじゃないかと誤解しており、急に自分が情けなくなる。

そこへ通りかかったナイスネイチャが事情を聞いてあげ、同じ境遇だった自分にはその気持ちは分かると慰める。

それが効いたのかキタサンは完全復活。
見事菊花賞を制するのだった。

ダメなところ

この2話、ウマ娘3期の中では相対的に好評な回である。

キタサンの悩みを視聴者が納得できるものとしてしっかりと心理描写が描かれている。
その悩みを解決するのがアニメ2期で同じ境遇になったナイスネイチャという前作ファンサービス。
解決の成果が「勝利」という結果に表れ、喜ぶ主人公が描かれている。

(普通のアニメならわざわざ褒めるところではないポイントもあるが)
1つの話としての完成度は高い部類だろう。

だが、このエピソードを作ったことでウマ娘3期の方向性が確定してしまったとも言える。

①キタサンブラックの性格

ライバルが怪我で次戦出られなくなったことを喜んでしまい自己嫌悪。
この時点で「明朗快活なお祭り娘」という設定は消えた。

ほ、本当に良いのかそれで…?
主人公にそんなセコい悩み方させる必要あったのだろうか?
無理やりナイスネイチャと絡めるためだろうか?

どこかで心機一転して強くなる覚醒イベントの前振りなら分からなくもない。
グレンラガンのシモンのような。
だが3期は結局この性格のまま進んでしまう。

主人公の性格というのは作品の評価に直結する要素では…?
今後もちょっとアレな言動を繰り返して好感度を下げ続けることになるキタサンだが、制作陣の中でそういうキャラで行こうという合意があったのだろうか。

②チームスピカの存在意義

落ち込んだキタサンに対してスピカが関わらなかった。
関わったけど解決に至れなかったのではない。
一切関わらず、別のキャラ(ネイチャ)が解決する脚本にされたのである。

この時点でスピカというチームは意味を為していない。
1期から続いてきたスピカという魅力的なチーム設定は途絶え、2期から仕込んできたテイオーとの関係も切れた。

大袈裟な話ではない。
この2話はストーリー上、キタサンブラックにおける最大の挫折と言っても過言ではない。
夢破れ、自信を無くし、自分の卑屈さに絶望しているシーンなのだ。

最も近くにいて、本来支えるべき立場でありながらここで力になれなかったという事実はあまりにも重い。
今後何を言ってもその言葉は数段軽くなってしまう。

何なら、この土壇場でテイオーが放った言葉は「キタちゃんなら大丈夫だよ」である。無責任極まれり。
偶然ネイチャが通りかかっていなかったらどうなっていたのだろうか。

よく「ネイチャは2話まではよかったけどそれ以降は蛇足」という感想を見るが、2話にだけ登場させるなんてことは作劇上あり得ない。
最大の挫折を解決したのがネイチャになってしまったのだ。
次に何か悩んだら、ここで何の力にもなれなかったスピカではなくネイチャを頼るのは至極当然の流れだ。

それほど、この2話で「どういう悩み方をさせ」「誰に解決させるか」は今後の展開を大きく左右するターニングポイントだ。
「ライバルが怪我をして次戦出られなくなったことを喜んでしまい」「ナイスネイチャが解決する」のは本当にストーリーを吟味した上での最善の展開だったのだろうか?

③スポ根の否定

ネイチャに相談乗ってもらった後、菊花賞は普通に勝利する。

史実では菊花賞の前にもう1戦挟んでいるが、アニメ的には前走はダービー14着である。
そこから一切の特訓描写もなく、何となく菊花賞に勝ってしまうのである。

これでスポ根要素も完全に排除された。
アニメ1期で強烈に打ち出し、アプリの完成度にも多大な影響を与えたスポ根要素がである。

2話に限らず、ウマ娘3期には特訓や成長といった要素は極めて薄い。
まあ、この菊花賞を境にキタサンは安定した好戦績を残し続けるため成長を描くのは確かに難しいかもしれない。

だからこそ、このダービー14着→菊花賞1着は主人公の成長・変化を描ける唯一無二と言っていいほどのタイミングだった。

史実でもキタサンブラック号陣営はダービー大敗を受けて距離不安を疑われる中、馬を信じて調教を続け菊花賞制覇をもたらし周囲の声を黙らせたという実績がある。

また、ウマ娘には「夏合宿」という短期で集中的なトレーニングを行う、夏の上がりウマや菊花賞単冠ウマ娘を描くのに最適なイベントもある。

こういったスポ根向きの描写をことごとく避け、何となくネイチャにメンタル面のケアをしてもらっただけで何となく菊花賞を勝たせてしまう。
そういうウマ娘3期の方向性を決定付けた回になってしまっている。

④ドゥラメンテとの関係性

ドゥラメンテが怪我をしているなら菊花賞勝てるかもという発想は、裏を返せばドゥラメンテには勝てないと言っているようなもの。

それほど強大な存在に映ったという解釈も分からなく無いのだが、ドゥラメンテは翌年の宝塚記念(5話)で引退してしまうのだ。
マキバオーとカスケードのような徐々にライバルとして認められていくという過程は踏めない。
なのに2話時点でその認識ではあまりにも関係が遠すぎないか?

案の定、5話開始時点でもまだ覚悟が決まっておらず、ライバル関係どころか初対面をここで済ませ、全く盛り上がらない宝塚記念を走り、なし崩し的に「いつもの友人グループとは別の知り合い」程度のポジションに落ち着いてしまう。

主人公と全く関係が構築できていないまま出番が終了してしまったキャラクターの末路がこれである。

ドゥラメンテが物語終盤でダンベル上げ下げbotになっているのも、元を辿ればこの2話時点で距離が遠すぎたのが原因だろう。

まとめ

「ウマ娘は序盤まだ見れたけど終盤微妙だった」という人もいるが、自分の考えは違う。
序盤で物語の土台を作れていないから終盤盛り上がれなかったのだ。

卑屈な性格の主人公、存在意義の消失したチーム、役に立たない憧れの先輩、スポ根要素の排除、薄すぎるライバルとの関係性…。

はっきり言ってこの2話の時点で半分「詰み」である。

2話でネイチャと絡ませるアイディアを持ってきたのはシナリオディレクターとのことだが、この展開をやった後のことまで考えていたのだろうか。
瞬間的な「エモさ」だけを追求して、3話以降のことまで考えていなかったのではないだろうか。

そういったウマ娘3期全体における構成の稚拙っぷりを象徴する回だと思う。


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