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悪い本

大人になったな、と思う瞬間。

昔は理解できなかった本が、今は読めるようになっていた時。

こんなに深い意味があったのかと、うれしくなる。

表の意味だけでも面白いのに、裏にもこんなに詰まっているとは…。

すると調子に乗って、過去のそうした本を引っ張り出し始めてしまう。

あるいは悪夢的な部分だけが印象に残っていて、あれは何だったのか、確認するために読み直すことがある。

「悪童日記」(アゴタ・クリストフ)がそうだ。


この本も図書館で出会った。

大判の画集の棚の、柱を挟んだ隣、図書館の中でも最も静かな一角に海外文学の棚があった。

そこは窓からうっすら陽があたって暖かく、いつも埃っぽいにおいがする。

子どもには、日本の作品も海外の作品も関係がない。

タイトルに惹かれて立ち読みしてみる。

いま思えば海外の作品にしてはとても馴染みやすい文章で、すらすらと読んでいった。

だが残念ながら当時の自分には、肝心の話の背景がわからなかった。

戦時中であることは確かだが、日本のそれとは大きく異なる。

まず日本には陸上の国境がない。想像がつかない。

さらに子ども向けの本とは違い、悪いことばかりを容赦なく語りかけてくる。

何よりも…読んだことのある人にはわかる、うさぎっこの衝撃のシーン。

咄嗟に本を閉じ、触れてはならないものに触れたと感じ、心臓がバクバクとした。

間違った、悪い本を読んだ、と思った。


悪い本を読んだというもやもやは、その後も続いた。

知らなかったことにはできない。

怖い、でも知らないままで終わるのはきっともっと怖い。

ある日の図書館で、周りに誰もいないことを確かめ、もう一度開いてみる。

でも駄目だった。

言葉は理解できるのに、この本の言いたいことがつるつると掴めず、悪い夢のようだった。


たくさんの本を読んでたくさんの免疫がついたころ、改めてあの本は何だったのか?と考えた。

悪夢はまだ後味を残していた。

調べてみると実は有名な本で、三部作であると初めて知った。

もう理解できる頃合いだろうと、意を決して三部すべてを買ってみる。

借りるのではなく買うという選択肢が増えたところも、大人だなと思う。


本が改めて語ったことは、心をぶつような衝撃だった。


言葉で成されたものなのに、まったく言葉にできない。

読んでよかった、読めるようになってよかった。

今まで本を読み続けていたのは、ここにたどり着くためだったのではと思うほどだった。

きっと、また数年後に読んだ時に今の自分にはわからない真意が見えるのだろう。

怖くても悪くても、きっと物語は最後まで知ったほうがいい。