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なながつになって。

草木も眠る丑三つ時... もとうに過ぎ、四時を回って空が白み始める。

雨音は止まず、月が沈むまで湿気を連れてくる。

眠れない私は、ソファーと電灯の消えた真っ暗な部屋に沈む。

夜は沈むもの、眠りは落ちるものなのだと、最近思った。

眼を閉じて浮かぶのは訥々と脳裏に在るつぶやきにも満たない何か。

涙があったような気もする。怒りがあったような気もする。

全部よふかしの中に置いて行って、昼には行灯に見られていたいから、

連れてこられた湿気と一緒にここにしたためる。

手癖のままに文章を書くとこのようになって話が遅々として進まないので以下はなるべく通常の文体で進める。

7月に入って初めての夜→朝の時間に眠れずぬぼーーーっとしているばかものがここに一頭いるわけなのだが、この自粛期間の間に、自分の生活はあまりに自堕落なものになった。

眠れない夜を超えた先に待っていたのは、何やら希望めいたものではなく、底抜けた眠気に他ならなかったわけで。

当然あらがえるはずもなく。もともと私は眠気に弱いたちなのだ。

まあ当然それが続けば夜が主戦場の吸血鬼様のような生活になってしまっているのは自明の理といわざるを得ないだろう。

こないだゼミを寝過ごしたときは久々に本気で反省したわ。

反省した結果が朝も早よからパソコンに向かっている現状ということは...  つまり、そういうことさ。ということで。

7月。ありきたりな言葉で言えば1年の半分が終わった。

今月には教員採用試験があるわけなのだが、はっきり言って合格の目はほぼない。そもそもこんな生活しとる教員が存在するのはまずありえないので、残(念ながら)当(然)というところである。

人並外れた努力が必要な私は、人並みの努力もしていない。知識が足りない。意欲が足りない。言葉が足りない。器量が足りない。何よりも努力と、継続が足りないのだ。

誰かは就活に東京に出向き、誰かはオンラインで面接をする。

誰かは卒論を書き、誰かは働いている。

そしてまた誰かは、勉強をしている。

自分は何をしてきただろう。自分の1か月を、2か月を、3か月を、振り返ってみた。

空白だった。色すらそこには塗られていなかった。

なんの思い出も、努力も、結果も。

無駄にしていった日常という無味乾燥な最上級のぜいたく品が、私のこれまでを空っぽにしていた。

初めてここで、「死にてえな」という感情が芽生えた。

嘘である。本当は久々過ぎて思いだすのも困難なレベルだっただけである。

そもそも私は、「死にたくないからお前が死ねやァーーーーッ!!!!! 」

という人間なので、という人間として生きているので、という人間でありたいと願っているので、こういう直球な自殺願望というか、自分から自分へ向けられたネガティブな感情は久しぶりだったのだ。

久し振りのしし唐のアタリが激辛なように、この感情は実に、効いた。

私は今何をしているのだろう。その一点において、私の中ですべてがわからなくなってしまったのだ。

よくオタクの言う「なんもわからん」の万倍わからんくなった。

まじめに何もわからなくなってしまったのだ。なんで俺は頑張りもしないのにこいつら(教採受けるグループの人たち)とつるんでんだろう、なんでほとんど意味をなさない講義の動画を無音にして流しながらゲームしてんだろう、なんで自分は眠れないんだろう、なんで私には何もないんだろう、

なんで、なにも掴んでこなかったんだろう。

こんな具合である。嘔吐まではいかないが気分はすこぶる悪かった。

今も、ここまでひどくはないが、結局何にもわからない。

人生こんなもんか。と思うと同時に、それは記憶のかなたに吹き飛んでゆく。何も考えてこなかったから、何も考えないことしかできないのだ。

何物にもきっとなれないのだろうと口先と心の表層では雄弁に語りながら、その奥底では無限に湧き出る根拠のない自信と傲慢さがある。

それが自分なのだと、知った。

何かになれそうな誰かをうらやみ、うらやむだけで何もしない。

それが自分なのだと、少しだけ知った。

口からは出まかせと気休めを吐き、本音との境目は本人にさえあやふや。

それが自分なのだと、僅かに、知った。

それだけは、ちょっとわかった。

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