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1978年7月10日、東京。快晴。

最高気温は31.1度。最低気温は25.7度。1週間ほど前に梅雨が明けてから連日30度を超える日が続く。暑い夏が始まっていた。

 山手線田町駅を降りて改札口を出ると、三田口ではなくて芝浦口へ、つまり渋谷から新橋に向かって右方向に曲がる。
 芝浦口の幅の広い階段を降りていくと、慶應の大学生やサラリーマンで賑わう三田口とは正反対に、人気のない広場のような所に出る。駅前からは幅の広い道が走っていて、20分ほど歩けば芝浦埠頭がある。田町駅と埠頭の間には運河がいくつか流れている。ここは港の町なのだ。運河にかけられた橋を渡ると古い会社が立ち並ぶ一角があり、その向こうのトラックが行き交う湾岸道路を渡ると、大きな倉庫や工場がある。そういった界隈で働く人々が使うのがこの芝浦口だった。
 広い道の両側に歩道があり、左手には交番、小さな商店、立ち食いそば屋などが立ち並び、右には工業高校があった。そして最初の交差点を渡った右側の角に、アルファレコードの白い六階建てのビルがある。
 ビルの一階には、喫茶店「バン」が入っている。ルノアールのような当時よくあった普通の喫茶店だ。後に『テクノデリック』の1曲目〈PURE JAM〉で「こんな醜いパンなんて見たことがない」と歌われたジャムトーストを出す店がある(実はそんなに不味くもないのだが、アルミホイルでクシャクシャと包んだだけで持ってくるので、見た目が悪かったのだ)
 「バン」の横にあるスロープを少し上ると、細い縦長のガラスのドアがあり、そこが株式会社アルファレコードの入り口である。
             中略
 スタジオにいる人も機材も、茶色い扉もネオン管も、彼らを待っている。
 そして栄光と激動に満ちた日々も、三人の主人公が訪れるのを待っている。
 細野晴臣、31歳。高橋幸宏、坂本龍一、ともに26歳。
 さぁ、イエロー・マジック・オーケストラのファースト・レコーディングが始まる。
(YMOのONGAKU)

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