禍話リライト:甘味さん譚【肉のメモ】

 廃墟を巡ったり、そこで宿泊するのを趣味とする『甘味さん』と呼ばれる女性がいる。スリルを味わいたい肝の据わった人物だが女性であることも踏まえて、廃墟探索に関して怖いと感じている部分がある。
『人がそこにいること』らしい。
 廃墟に人の存在を感じたとき、おおよそ男性だという。何故女性がいないのか。女性も住めばいいと、変わった男女平等を謳う甘味さんの感性もどうなのか。不衛生で立地条件もよくない生活起点を選ぶ女性がいるのか、真偽はさだかではない。予想できる状態以上の何かを背負っている可能性がある。
 もしかすればいるかもしれないが、居た場合の女性とは。
 今回はそんな話だ。

 甘味さんが訪れたのは、山間にある温泉施設だった。バブル時代の施設は見晴らしもよく、さぞ人気もあっただろうと容易に予想できた。弾けた後の経営状況も、想像に難くない。芳しくなかったのだろう。夜逃げしたと一見でわかるほど物がそのまま残されていた。食器も重要そうな書類も、もう誰も持ち出さない代物が永遠に散乱している。
 管理もされていないため人は入り放題だ。室内は荒らされて壁紙や天井も朽ちている。それでも宿泊用の部屋はそのまま綺麗に残されていた。
 聞いて気軽に行ってみると、拍子抜けするほど怖くない。閉鎖した年代もわかっている。多人数が散々出入りして、狼藉を働いた様子もある。施設の奥まで行けば人の手が離れてしまった恐怖を感じられるか、と思いきや探索した形跡が残されており、簡単に現実に戻れてしまう。日の高いうちに訪れて薄ら寒さのひとつも感じないならば、夜に来ても期待は見込めないだろう。
 ただひとつ、気になる点があった。玄関を過ぎてからずっと紙の断片が床に散らばっているのだ。メモ用紙のようなものが細かく破かれ、四方八方にばらまかれていた。閉鎖した当時のものとは思えない。残されている書類たちとは明らかに質感が違っていた。
 普通は汚れや衛生を考えてしないと思うのだが、甘味さんはその内の一枚を拾い上げた。
 白い小さな紙面には『リスト』という文字があった。
 何かのメモだろうか。買い物リストかと甘味さんは思った。しかし、周囲にスーパーなどの商店は見当たらない。それはやってきた彼女がよく知っている。
 何にせよ、ノートをちぎって散らかしているようにしか見えなかった。全部を手に取ることはしなかった。似たような内容かもしれないと、そのときはチラ見をするだけに留めた。
 紙片が散らばるフロアが続いていたが、全体の中盤にあたる階で変化があった。紙があることは変わりない。が、これまで念入りだったちぎり方が大雑把になっていた。今までのが何回も裂いていたとするならば、一回、二回ぐらいで終わっているような大きさだ。
 この大きさであれば、読めるかもしれない。甘味さんは何気なく拾って読み、浅はかな行動を後悔した。
 下の階で予想したとおり、買い物リストらしい。だが、書き方がとにかく気持ち悪い。

『ヒキニク こまぎれ肉 ひき肉』

 カタカナでわざわざ書かれた文章に意味があるのか。今回は少し離れた場所に落ちている紙も拾い上げる。
『ヒキニク こまぎれ肉 ひき肉』
 同じ内容が書いてあった。
 ――もしかして此処にある紙、全部同じ、とか。
 辺りに散らばっている紙に全て書かれている想像をして、心の底から嫌になった。
 読めるようにしてあるということは、此処にいるんじゃないか。甘味さんはそう思った。
 甘味さん曰く、化け物と人間が持つ気配は違うらしい。化け物なら、なんとなく室内全体に感じるそうだ。逆に人間は、気配が無い。いないと思って角を曲がった瞬間に、はち合わせることもしばしばあった。
 気配がわからない以上、出会いたくないなと思いつつ奥に進む。
 元温泉施設という室内は意外に明るかった。窓からちゃんと明かりが差し込むように設計されているうえ、血気盛んな人間がドアを蹴破っているので視界自体は良好だ。しかし廊下の奥だけが妙に暗い。誰かが故意に遮らなければ、ああも暗くはならないだろう。
 人間は心理状態によって眩しさを忌避する傾向がある。今いる場所とこれから向かう場所との明暗の差に、やはり誰かの気配を感じずにはいられない。
 それでも思うだけで帰るのは、癪に触った。甘味さんは奥の暗がりに近付いていった。誰かがいたら帰ればいい。軽い気持ちだった。
 別の廃墟で、壁に向かって延々と酒盛りをしているホームレスを目撃したこともあった。虚しいを通り越して辛い場面は、彼女のなかで悲しい出来事と位置づけられている。そのホームレスを見つけたのも急だった。とある部屋に入ったら音量のつまみを一気に回されたように、わっと声が聞こえたのを記憶している。
 似た状況になるのは嫌だった。危機感がありながらも、甘味さんは足取りを止めない。距離を縮めていく奥の部屋からは案の定というべきか、物音が聞こえてきた。
 女性の声だった。
 甘味さんは自分を棚に上げて、素直に珍しがった。前述のとおり、廃墟に住むのは酒盛りをしていたホームレスしかり、男性が多いのだ。元々さほどなかった物音を殺し、忍び足で声の聞こえる方へゆっくり近付いていく。
 声の調子から中年女性だ。間延びした粘着質の話し方で、なにかを言っている。

「ん~~~~ひき肉……んぁ~~~~、ひき肉? んぁぁ~~~~こまぎれ肉ぅ……?」

 気持ち悪さに普通の探索者であれば異様さに踵を返すだろう。彼女は違う。同時に、こうも思ったのだ。
(声的に、勝てそう)
 声の正体もだが、甘味さんも相当意味がわからない。
 肝が据わっていると褒めるべきか。感性が鈍いと呆れるべきか。
 胸中では豪語したが万が一に備え、彼女は入り口から素知らぬ振りをしてそっと覗いた。
 室内は人為的に光量が抑えられ、暗くされていた。窓には無理矢理貼られたとおぼしきダンボールや板がべたべたと敷き詰められている。視認できる光が限られているなか、甘味さんは、見た。
 長い髪をぼさぼさにした、耳で受けた印象通りの女性がいた。片手を白いレジ袋のなかに入れて確かめるようにまさぐっている。
 逆に部屋が暗くてよかったのかもしれない。探られている袋は、はちきれんばかりに水っぽい何かが限界にまで詰め込まれていた。手を忙しなく動かしているのか、ぐちゅぐちゅと耳に残る音が反響して歪に聞こえる。
 そして、女性はずっと呟き続けていた。

「ぅぅん~~~~ひき肉ぅ……ぅんぁ~~~~、こまぎれ肉ぅ……」

 甘味さんは有無を言わずに引き返した。
 撤収時に下からもう一度外観を見直したとき、やはり女性を見た一角は様々な資材で覆われていた。

 甘味さんは、様子を振り返って言った。

「喧嘩になったら勝てるかもしれないけど、刃物とか持ってたらやだし……そこに泊まるのは、止めました」

 そんな話だった。

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この文章はツイキャスでほぼ毎週配信されている、怖い話が聞ける『禍話』の禍話インフィニティ 第二夜(2023/07/08)にて約17:05から語られたものを書き手なりに編集および再構築、表現を加えて文章化したものです。

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