禍話リライト:たんすのいちばんうえのなか

 彼は幼い頃から同じ夢を何度か見ていた。初めて見たのは幼稚園児か小学生のときだろうか。目覚めたあとは一時間程度は覚えており、「またあの夢か、なんだったんだろうな」と反芻するのも珍しくなかった。
 しかし、人間とは忘れる生き物だ。口に出して誰かに話す内容でもなく、彼も時間が経過すれば忘れていった。
 これは彼がいつもの夢の中身を覚えてしまった話である。

 よく見る夢には大きな木製の箪笥が出てきた。十も二十もある引き出しが重なり、とにかく現実離れした高さがあった。バランスも当然悪い箪笥の横に、彼は長い長い脚立をかける。箪笥に見合った長さの脚立を登りながら、下から一段ずつ引き出しを開けていくのだ。ひとつひとつ確認する彼の様子を、下から女の子が見守っている夢だった。
 引き出しの中身は彼が口頭で女の子に向かって伝えるのが夢でのルールだ。たとえばビー玉があれば、彼は「ビー玉」と口にする。すると、下にいる女の子も「ビー玉」と答えて確認を取る。その繰り返しだった。
 最初は体も小さい幼児の頃だ。短い手足で拙くも一生懸命登り、報告していく。しかし五段六段ともなれば高さに怯えて怖くなり、これ以上は進めなくなる。小学生、中学生と成長するとともに高所にも恐怖は薄れて体も成長し、その先へと登ることができた。見慣れた夢で脚立を登り、引き出しを開けて確認しては声を出して、下からの返事を聞く。
 そのうち「あんまり天辺まで行くのもな」と、彼は思い始めた。唯一身を預けている脚立は不安定で、万全な状況ではない。常に一番上まで行かずに、そこそこの高さで終わるようにしていた。大学生になっても同じ夢を見続けていたが、やはり脚立はぐらぐらと固定に欠けており、落下を恐れた彼は行こうとはしなかった。
 社会人になり、彼の日常に恋人ができるという変化が起こった。結婚への運びを予想させる仲になったが、互いの事情や様々が重なり、二人は破綻してしまった。相手との人生設計を考えていた彼の肩は大きく落ちて心に深い傷を負った。
 これからの未来に対して自暴自棄になっていた彼は、またいつもの箪笥の夢を見た。大人の自分が脚立を登っては引き出しの中身を下の女の子へ報告する。
「ビー玉」
「ビー玉」
 しばらく応答は続いてく。
「折り紙が四つ」
「折り紙が四つ」
 いつになっても意味がわからないやり取りだった。従来ならばキリのいいところで止めて目覚めていたが、今の彼は破局した影響で精神がやさぐれていた。
 体格も体重もある大人の今なら最後まで登りきれる可能性がある。脚立も相変わらず不安定で揺れやすいが、多少の怖さは傷心特有の投げやりの精神に振り払われ、彼は天辺を目指して登り続けた。
 彼はいつの間にか、上から二段目の引き出しまで到達していた。開けると藁半紙のような物が大量に入っている。だが、新しいものではない。紙は全てくちゃくちゃにしわが寄っていた。まるで何かを何重にもくるんでいた名残が目に見えてわかった。
 何だこれと動揺した彼に女の子が問いかける。
「なにが入ってんの?」
「何かを、くるんでいた藁半紙が何枚か」
 女の子は繰り返した。
「藁半紙が何枚か」
 これで次は最後の一番上の引き出しと意気込むところだ。が、唐突に夢の中の彼は思った。
 やめよう。
 今から開ける中に何が入っているのか、大体わかったらしい。理由はわからない。しかし、入っているだろう物の映像は頭に浮かんだ。
 大量のリスかネズミかの小動物が尻尾を複雑に絡ませあったまま、ミイラ化したもの。
 ぐちゃぐちゃに固まった死骸は想像だけでも吐き気がした。実物など拝みたくもない。万が一、かろうじて一匹が生き残っていたとしても、自分の目で確かめる勇気はなかった。
 いつまで経っても開けようとしない彼を女の子が急かした。
「なんで開けないの?」
「えっ……いや、あの……止めとくわ」
「なんで?」
 女の子は脚立に手をかけて揺らし始める。
「危ねぇ危ねぇ、止めろよ」
「なんでぇ?」
 仕方なく、彼は脚立に跨がったまま答えた。
「嫌なものがあるとわかって開ける奴はいないよ」
 答えを聞いた女の子は随分と拍子抜けしたようだった。
「うーん……そっかぁ……」
 至極残念そうな表情を見て彼も罪悪感に苛まれたが、見たくないものは見たくない。
 胸中で謝罪しつつ断腸の思いで脚立を降りた彼を待っていたのは、泣き始めた女の子だった。微かに聞こえる涙声に罪悪感はより重みを増し、彼に突き刺さる。
「ごめん、ちょっと嫌なもんが入ってるから」
「開けてほしかったのになぁ……」
 女の子は開けてほしかったの一点張りで、見ている側が痛ましく感じるほどにしくしくと泣き続けた。
「でも、グロテスクな物が入ってるからさ。ちょっとああいうのは、ちょっと……ね?」
 泣きながらも女の子は食い下がらず、彼に約束を取り付ける。
「じゃあ今度、今度なかに入ってるのが何かわかんなかったら、開けてくれるんだよね?」
「ああ! 何が入ってるかわからなかったら開けれるけど、今は入ってる物がグロいってわかってるから開けられないや」
 ここまで流れるように答えてから、彼は我に返った。自分の返答の違和感に気づいたのだ。いわゆる明晰夢という状態に近く、段々と自分で何を言っているのかと奇妙に思えてきた。
「次、何が入っているかわからない精神状態だったら開けてくれるんだよね?」
「ん? お、おう? おう!」
「よかったぁ」
 安心したような女の子の返事を聞いて、彼は目を覚ました。
 今のはなんだ。覚えている夢の内容に焦る彼は、全身から滝のような汗を流していた。シーツがべちゃべちゃになるまで濡らすほどだが、室温はさほど暑くもない。むしろ過ごしやすいくらいだった。
 慌ててシャワーを浴びながら、もう一度さっき見た夢を反芻する。
 なんだあの夢は。大量の尻尾が絡み合って死んだミイラ? グロい。気持ち悪いにもほどがある。なんだこれ。
 衝撃的な内容にダメージを受けながらも、部屋に戻って時計を確認する。針は夜がまだ明けきってはいない時刻を示し、まだ眠れると教えてくれている。
 寝直そう。彼はもう一度電気を落とした。部屋には既に朝日が薄く射し込み始めているが、見なかったことにした。
 やれやれとベッドに潜り込んで目を閉じた、そのときだった。
 木の引き出しを思い切り引き出す鋭い音がして、彼は思わず飛び起きた。
「うわっ!?」
 有り得ない音だった。彼が住んでいる部屋には観音開きのクローゼットしかあらず、勢いよく引かなければならない引き出しはどこにも存在していなかった。
 絶対に聞こえるはずもない音が響いた部屋に、誰しも一分一秒たりとも居たくはない。その日、彼は異様に早く出勤して警備員に驚かれた。仕事など全く残してもいないのに、理由を付けて中に入った。

「次もし覚えてなくて開けちゃったらね。グロいの見ちゃうんだけど、それ以上のことが起きるかもしんないしやだよな……誰か同じような夢見てる人いませんかね」

 そうして締めくくった彼はこうも思い始めているらしい。

「その子はちっちゃい子なんじゃなくて、ただ単に背の低い大人の女性なんじゃないかって」


(終)

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この文章はツイキャスでほぼ毎週配信されている、怖い話が聞ける『禍話』のシン・禍話 第二十五夜(2021/08/25)にて約29:57から語られたものを書き手なりに編集および再構築、表現を加えて文章化したものです。

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