禍話リライト:なんでの家/なんでの夢

 語り手は言った。
 この話は、夢を見たくなければ聞かない方がいいかもしれない――と。


  ◇  ◆  ◇


【なんでの家】

 昭和の頃にとある繁華街があった。
 人の集まりは開発や年代によって流行りに差がある。無情だが、あれだけ賑わいを見せていた場所も時が経つにつれ寂れていった。近くの駅が改築され、周辺にできたものが人気を集め始めたのだ。
 店は客足を求めて次々に移転し、徐々にシャッターが降りたままの店舗や廃墟が増えていった。古くからの酒屋やたばこ屋は転々と残っているが、集客があるとは言えない状況だった。
 繁栄を過ぎて廃れた街には大きなホテルがあった。交通の便がいい頃には『連れ込み宿』としても使われたらしい。
 最盛期には周囲の土地や建物を取り込み、違法建築を繰り返した。バブル期による弊害の産物とも言えるだろう。有り余る資金を投資した結果、ずいぶんと入り組んだ構造をした場所になった。例えば、階を移動するために階段を探して、廊下の角を何度も曲がり続けなければならないらしい。
 場所の衰退とともにホテルも宿としてのピークを過ぎた。無論、経営は立ち行かなくなり、一時的に格安で住宅として貸し出され始めた。
 廃墟に親しい街へ住処を借りにくるような者に、日向で生きる者は少ない。腹に傷を持つ者。浮浪者。違法滞在者。表で口に出すのは憚られる連中ばかりが肩身を寄せ合うようになっていった。
 幸い、立地は今の繁華街からは離れている。警察も事件や騒ぎがなければ目をつぶり、一種の掃き溜めとしてホテルは存在していた。様々なお目こぼしや時代背景もあり、体裁良ければ温かい目、真実をつけばおざなりな態度もあって五年ほどは持ったらしい。
 だが、警察も無視できない事件が起こった。住民同士などの傷害ならまだしも、困窮した一家が関係する救いのない重く苦々しい殺人事件だった。
 事件以来、ホテルでは死んでしまった家族の幽霊が出ると噂が立った。父親、母親、一見の性別が不明瞭なほど幼い子ども。殺された彼らが確実に出るようになった。遭遇しても死ぬことはないが、あまりの恐怖に影響が出るほどだった。
 どれほどのものかといえば、ホテルに住んでいた弱者だけでなく、弱者を餌にして生きていく者も一様に退去してしまったほどだった。
 だが、取り壊すにも巨大なホテルには相応の資金が必要になる。異様な噂を残した建物は、手をつけられぬまま放置されていた。

  *  *  *

「今からそこに行きまーす」

 前振りとして話を行った男の口調は、重々しい内容とは逆に紙より羽よりも軽いものだった。あまりの軽薄な計画だ。聞かされたメンバーは止めようと試みる。
 暴力団関係者が駄目だと退却する場所は、絶対に駄目だろう。人の生死など問わずためらわない職業が幽霊の存在を確信するならば、本当に居る確率は高い。
 それでも首謀者は退かずに、意見する彼らを「まあまあ」となだめるだけだった。結局、説得はできなかった。首謀者を含めた数人全員でホテルに向かうことになってしまった。
 さすがに丑三つ時に来る度胸はなく、夜の九時、十時あたりに到着した。それでも聞かされた話や電気もなく闇と同化する巨大な建物を目の当たりにし、恐怖は煽られる。一行は各自で懐中電灯を片手に、いわく付きの内部へと進んでいった。
 中は暗いうえに階段や廊下が入り組み、ゴールのない迷宮と化していた。主に使われる最も広い廊下から枝分かれする細い廊下がいくつもあるのだ。
 ひとつを曲がり、進めば倉庫らしき部屋に突き当たる。また別の廊下から部屋を通り抜けようとすれば、行き止まりになっている。ここに詳しくない者、いわば初見の彼らが下手に動こうものならすぐに迷ってしまうだろう。
 心許ない明かりを携えて小道を散策できるほど図太くはない。首謀者によれば、広い廊下であれば階段にも通じているらしい。進めば言うとおり階段があった。一階、二階とだらだらと探索を続ける。
 しかし坂らしい立地と、つぎはぎだらけの気持ち悪い構造のせいだろうか。大通りしか歩いていないのだが、歩けば歩くほどに自分たちがどこの階に居るのかあやふやになってきていた。
「何階建てなの、ここ」
「もう隣の建物に行っちゃってるから……けっこう高いとこにきてるよ?」
 口々に言いながらも、彼らは奥の方まで進んできていた。異様な廃墟だが、殺人事件があったと称される部屋は見つかっていない。事件があった痕跡さえもなかった。立ち入り禁止の黄色いテープもなく、異臭も感じない。
 ここらが帰りどきだろう。あまり深く進み過ぎて、引き返せなくなるのは怖い。そもそも不法侵入だ。細い廊下まで入って出られなくなり、警察から厳重注意を受けるのは避けたかった。
 踵を返して、来た道を戻り始める。途中まで戻ってきたとき、先頭が急に足を止めた。
「急に止まるなや」
「なに、なんか見つけたの?」
 先頭は妙なことを言った。
「声が、するよね」
 後方に続くメンバーが話しているのだ。声が響いても仕方ない。彼も全員の会話だとはわかっているようで、言いたいことは違うらしい。
「女性の声するよね?」
 重ねて妙なことを言う。ここにいるのは男性だけだ。
「俺ら以外、入ってるのかな」
「いやいや入ってないだろ」
「ちょ、ちょっと全員黙ってもらっていい?」
 言うとおり、先頭を含めて全員が静かになった。ざわつく反響も無くなり、当然辺りは無音に包まれる――はずだった。
 前方から本当に女性の声が聞こえた。しかも、少しずつ彼らに近づいてきていた。付近にはもう少し進んだ先に階段がある。おそらく、そこから昇ってきているのがわかった。
 微かに聞こえてくる声に、全員が疑問に凍り付いた。
「怖いね」「なんだろね」と肝試しを怖がる怯えのある声であれば、まだ理解ができる。しかし、声はひとつの言葉を繰り返しているだけだった。

「――んで? ……なんで? ……なんで? ……なんで? ……なんで?」

 一定の声色で。一定の間隔で。「なんで」だけをひたすらに繰り返している。
 やばい奴が来る。
 彼らは怯え、慌てた。自分たちのが人数は多いが、明らかにおかしいとわかる相手は怖い。このままだとはち合わせるのは確定だ。彼らは一旦安全なルートから外れて、ひとつ奥まったところにある部屋に逃げ込むことにした。
 寝具をしまうリネン室らしきところに男数人がぎゅうと入る。必死に息を殺し、やり過ごそうと一様に口を噤んだ。
 案の定、女は近づいてきた。
「なんで? なんで? なんで? なんで?」
 声が近くなるほど、なぜか呟く言葉の間隔が狭まっていった。狂気をはらんだトーンは揺らがない。むしろ、より常軌を逸している。彼らの膝は震え、全身から冷や汗が吹き出る。まとわりつく布地の気持ち悪さなど、今は気にしていられない。立っているのがやっとだった。
 呟き続ける女は廊下を進み、奥へと声が消えていく。
 逃げるなら、今しかないだろう。廃墟で物音は避けられない。だが、できる限り慎重にかつ、全速力で駆け抜けるしかない。
 彼らは一斉に部屋から飛び出し、無言のまま力を振り絞ってホテルから脱出した。新鮮な空気を取り込もうと肩で呼吸をし、逃げ遅れがいないかを確かめる。
「おい! 一人いねぇぞ!?」
 最後尾にいたはずの、首謀者がいない。酷い話だが、放置して解散しようかという話になった。それはさすがに可哀想だと意見もあがったが、内部であんな女性に遭遇した直後に迎えに行く勇気はない。
 相談ののち、夜が明けるまで入り口付近で待つと意見はまとまった。近くのコンビニで買い出し、交代をしながら見張る。悲鳴があれば救出に動けるようにしていた。が、建物はただ静かに佇んでいる。一応周囲も回って様子を見ても、闇を留める窓に動く明かりは無かった。
 そのうち朝日が昇り、不気味なホテルにも陽光が当たり始める。やはり出て来ない首謀者を探すため、メンバーは重い腰を上げて再び内部へと踏み入った。
「おーい! どこだー!」
「おぉーい!! 大丈夫かー!?」
 朝になれば明るさも手伝って、怖さも幾分と和らいでいた。出しやすくなった大声で呼びかける。
 深部に進んでいくと、またどこからか声が聞こえてきた。
「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
 聞き覚えのある声は、細い廊下のうちのひとつ、その奥まった一部屋の中から漏れていた。怖々とたどり着いた部屋は、特出して空気が澱んでいた。廃墟特有の黴と埃にまみれた息苦しさよりも一層濃く、抜きんでて重く感じる。
 首謀者は延々と謝り続けていた。揺さぶってみても、激しく声をかけても答えない。のっぺりとした虚ろな表情で、左右の目はばらばらにあらぬ方向を見ていた。
 これは普通じゃない。急いでホテルの外へと連れ出し、とにかく声をかけ続ける。早朝の静かな時間帯もあって、大声はよく響いていたらしい。地域の交番にいる警官が騒ぎを聞き、駆けつけた。
 彼らは正直に不法侵入を謝罪し、現状と至った理由を話して助けを求めた。
「これはよくないなぁ」
 警官は彼らを勤務する交番へと案内する。そこには人ひとりが休憩できるスペースがあり、寝かされた首謀者は警官の声でやっと我に返った。
 助かった、怖かったと叫ぶなり、彼はわんわんと子どものように泣き出した。大の男が嗚咽を隠さず、一時間ほど泣いていた。
 余程の恐怖を味わったことは想像に難くない。落ち着いたところで何があったのかを訊くと、首謀者は逃げ遅れたあとの出来事を話した。

  *  *  *

 自分以外のメンバーが逃げ出したとき、彼も同じように足を動かしたつもりだった。しかし動いた瞬間、最後尾だったはずが誰かに首根っこを掴まれた。息が詰まり、苦しかったことまでは覚えている。だが、掴まれた後の記憶は飛んでいた。
 ふと気がつけば、どこかの部屋の前で胡座をかいていたという。何時間も座っていたように足がしびれていた。見知らぬ通路の細さから、細分化した廊下のひとつだとわかった。ひとけのない廊下に座らされていた事実に狼狽えつつ、彼は痛む足でゆっくりと立ち上がろうとした。
 すると、目の前の部屋の中に人の気配を感じた。
 ――え?
 思わず視線を向けると、ふたつの人影が向かい合って座っていた。どうやら手遊びをしているらしく、両手を合わせている。
 せっせっせーの、よいよいよい。
 懐かしい節回しが付きそうだが、朗らかに楽しむ声はない。無音だ。だんだんと目が慣れてくると、影は男性と小さな子どもだとわかった。暗い室内で黙ったまま、何のかけ声もなくひたすらに手を合わせあっている。そんな親子らしき人影におかしいと思わない人間がいるだろうか。
 彼は動けなかった。金縛りにでもあったかのように場に縫いつけられ、様子を見続けるしかない。
 何をしているんだとよく見ると、脳が状況を判断し始める。二人はぐっちょりと濡れていた。明かりのない場所で色はわからないが、血だと直感した。手遊びだと思っていた動きも違っていた。
 どうやら互いに酷く傷ついた部分を触り合い、笑っているのだ。子どもが父親だろう相手の胸部に拳を押しつける。男は音もなく笑った。今度は自分の番だと、相手の華奢な首周りを調子よく触る。子どももはにかみ、楽しそうに小刻みに揺れた。
 血塗れの親子がテンポよく、交互に致命傷を触り続ける光景が繰り広げられる。目の当たりにした彼からは言葉が出なかった。情報量の洪水とあふれる感情は、恐怖という一言で表せるほど簡単なものではない。
 父と子は自分たちのやり取りにしか興味がないらしい。気づかれていない彼はこれ幸いにと、逃走を試みた。こわばる足を気力で動かし、姿勢を持ち上げたとき。とん、と背中に何かがぶつかった。見えもしないのに足だと思えた。
 反射的に振り向いてしまった先には、見知らぬ女性が立っていた。突然現れた存在に彼は絶句する。愕然とする相手を見下ろす女はぎょろりと目だけを動かして室内を見て、また視線を下げる。

「ねぇ? なんでぇ?」

 直後、半狂乱になり記憶はまたないのだと首謀者は語った。再び気づいたときには、すでに介抱されていたという。
 僕はいい友達を持ちました。さめざめと締めくくる都合のいい彼に、警官は懇々と説教を始めた。
「あのな。本当洒落にならへんて、あそこは。きみ『これ』でよかったよ」
 警官曰く、先輩の経験談になるが、前に酔っぱらった馬鹿の集団がホテルに侵入した。
 詳細は省いても結果としてはおかしくなり、ビール瓶を割ってお互いを刺しあう惨事にまで発展したらしい。
「でも、ここ取り壊せないんだよね。権利関係でさぁ」

 被害を受けた首謀者は余程怖かったのだろう。道祖神に手を合わせるほど信心深くなるまで、性格が矯正された。


  ◇  ◆  ◇


 語り手は話を怖いと思った。怖いと思うと同時に、耳で得られる情報が足りないとも思った。

 それが、いけなかったのかもしれない。


  ◇  ◆  ◇


【なんでの夢】

 ホテルにまつわる恐怖譚を聞いた語り手は怖いなと思いつつ、口惜しく思ってもいた。入り組んだ内部がどうなっているのか想像ができなかったのだ。人に語る際、どういうイメージなのかはっきりしなければ伝えることができない。内部が伝えられない一点が、語り手の矜持として悔しかった。
 どういった建物なのか疑問に思ったまま、彼は寝床についた。
 瞼を閉じて一分も経たないうちに、鋭い耳鳴りが響いた。悲しくとも異常に慣れている思考は強制的に金縛りにされたと気づいた。
 すると、頭に映像が流れ込んでくる。

「……なんで? ……なんで? ……なんで?」
 聞いた話に出てきた女の視点だった。
 右手で手すりを持ち、呟きながら階段を昇っていく。一、二階昇ったところで廊下に出た。手すりから右手を離し、今度は窓枠を撫でながら歩いていく。
 こんな内装かとわかったのはいい。だが、まだ映像は続いた。
 窓が終わり、次は壁を触っていく。どうして彼女は右手だけで物を触っていくのか。視点は固定されていないらしく、語り手は左手をちらりと確認できた。
 左手には、滴るほどにびちゃびちゃに血にまみれた包丁が握られていた。
 ぶわっと肌が泡立った瞬間、女の呟く間隔が早くなる。
 なんで。なんで。なんで。なんで。
 父と子がいる、例の部屋へと向かっている流れに違いない。
 とにかく目覚めたいと、助けてくれと彼は必死に考えた。

 目が覚めるまで、僅か五分足らずの出来事だった。


 この話を聞いてしまったら。
 ホテルがどういった構造をしているのか、あまり考えないほうがいいのかもしれない。

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この文章はツイキャスでほぼ毎週配信されている、怖い話が聞ける『禍話』のTHE禍話 第32夜(2020/03/07)にて約46:25から語られたものを書き手なりに編集および再構築、表現を加えて文章化したものです。

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