見出し画像

英語を教えていて

 大学入試のための英語を教えていて感じていることは、文章解釈も重要ですが、何よりも知識(教養)の吸収が必要だということです。第1段階は英単語暗記や文章解釈。第2段階は文構造解釈。第3段階は知識(教養)の吸収。この第3段階にどれだけ生徒に貢献できるかが講師の務めでもあります。
 第1段階と第2段階は勉強という感じがしますので生徒自身が達成感を味わえます。しかし、第3段階の知識吸収は、範囲が広すぎて英文読解に役に立つのか、役に立たないのかが分かりづらく重要視しにくい分野でもあります。確かに内容がたわいのない会話、誰かの日記などはその内容の吸収が必要ではないと思いますが、経済、政治、生物、工学などがトピックであれば大いに役立ちます。例えば、MBAやその他欧米のビジネススクールの打ち出している重役プログラムなどは受験生(高校生など)が触れる機会の少ない分野です。ある程度知識があればそこまで不安になりませんが、試験本番でこのような内容をいきなり読まなければならないとなると至難です。また、マッコウクジラの調査やコーダクリック、犬の環世界、リーマンショックの流れ、SNSでの誹謗中傷と煽り運転の繋がりなどに関しての文章も然りです。問題が解けた解けなかった、解説を読んで分析をすることで終わらずに、解いた英文を読み込んで第3段階の知識吸収まで取り組めば総合力が上がり読解がしやすくなります。
 生徒は「英語を解くこと」ばかり行なっていますので、正解、不正解への傾向が強いです。至極当たり前のことですが、読解問題を解けたら英語ができる、解けなかったら英語ができない、と解釈します。数字で評価されますので仕方がないことですが、本来の目的は、「会話や情報収集を英語で行う」ことだと思いますので、受験勉強、数字を上げること以外にも情報収集をする感覚も待ってもらいたいと思っています。その情報収集のために英単語、文章解釈力を身につけているのだと認識できれば、目的が英文読解の上位になりますので意気込みが変わります。そしてその対応が出来れば上位の大学入試問題にも対応が出来てきます。


 知識を伝える必要性がかなり高まってきていると感じています。英語を教えていて日本語解釈ができてもその内容自体が日本語でも理解できない、内容から自分の意見を持つことができない。文章に対して賛成なのか、反対なのかを英語の勉強では意識しませんので軽くしか意見が言えない。たとえ言えたとしても1、2個くらい。例えば「インドの貧困層に各家庭に補助金を与えて教育費に使ってもらおうとしたがうまくいかない。何故でしょうか」と問いかけてもなかなか意見が言えません。恥ずかしいから意見を言わないのではなく、ただ単にどう思考し、論理展開をし、どういった情報を繋げれば良いのかがわからないと言うことです。その中でもやはり情報量が一番の要因です。
 こういった事例を見てきていますので、知識の伝達は重要だと考えています。英語の文章解釈力、問題構成の見抜き方、対比や逆接などの論理構造などの土台を蔑ろにせず、その上層部に位置する知識の伝達にもパワーをかけていく必要性があるとしみじみ感じています。
 
 
 

バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。