第12回六枚道場 前半感想+α


グループA
「青い燈台」田中目八さん

●全体を貫く世界観が、今回も非常に素晴らしいです。伝奇的想像力を刺激されます。神や神聖なものたちと、水のイメージが響き合う、大いなる連作です。
・渡り漁夫千年つづる波紋かな
 暮らしの営みは今から昔へと、果てしなく続く。水に関わる漁夫たちの営みが波紋に託され、悠久のときへいざなわれます。
・大客船深きに生る黒あげは
・尼寺の木乃伊くらます半夏雨
 これらの句は現出した光景にただただ惚れ惚れします。「尼寺の~」半夏雨は田の神が昇天するときの雨だそうな。夏のひとつの景色のうらに、聖人と神とが邂逅している。「くらます」という語の選択によって神聖さのベールが降り、いやはや惚れ惚れします(2度目)。
・放生会しじまにいのち満たしけり
・地上にはゐない魚なり冬みかづき
 こちらも言葉の美しさを楽しみました。
・澪つくし尾びれのごとく海市へと
 澪標を尾びれという生命に例え、人の営為が大きな命へ、そしてまた生の営みたる市へと往還する。たっぷりした時間の流れへと開かれ、連作は閉じます。堪能しました。


「部屋」相垣さん
・自由からいっとう遠いえりゅしおん繭のなかみは順番に啼く
 エリュシオンはギリシア神話に登場する死の楽園とのこと。命めばえる途中か、あるいは死んだ塊なのか、いずれにせよ閉じられた繭は自由から遠いもの。
・祝福に鈍いあなたと疎いぼく明日は今日とか昨日のドリー
 ドリーとはドリー撮影のことでしょうか。今日からカメラを振ったさきに昨日明日。日々の連続性をこう捉えることも出来るのか、なるほど、と思います。
・靴寄越すあなたが阿保かくずなのか判然とせずでも靴はある
 どういう靴の寄越し方をしたのか……。ごろんと転がされたような印象の一首で、投げ出された靴とだぶります。
・密閉をしないと分解されるのでふたつの余韻を内から綴じる
 余韻はやがて消えるもの、というより始めから消えつつあるもの。それを保持しようと「綴じる」行為には、なにやら儚さがあります。内とはどこか、「ふたつ」とは何か。主体の分からなさが、かえって繊細な壊れ物のような余韻を作っています。
・硝子戸を締めても仕様がなくなって羽化に向かない冬はつとめて
 冬は布団から出られませんね。幾つもの閉じられた空間が示されたなか、最後は暮らしと地続きの「出られなさ」。冬はつとめて、という表現をもってきたところの洒脱さが素敵です。


「死んでる場合か」短歌よむ千住さん

●俳句よむ千住さんですね(既出ですが、どうしても言いたかった)
とにかくもう、生きるための迫力に満ちています。生き切るためには迫力が必要なのだ。力をくれッ!

・死にたいと叫ぶ両手にアオリイカ
 何があったんだ……。漁船上だとすると悲しい連想も働きますが……
・一握の砂を投げ捨て五月晴れ
 繊細で後ろ向きな一握の砂をぶん投げて(一握の砂についての私の解釈なのでアレですが)カッと晴れている空。生きる。ウダウダうるせえッ、おらッ晴れてるぞッ、という迫力が清々しくかっこよく。
・だれにでも起こりうる死のイクラ丼
 これは天才的な接続のように思います。死の、イクラ丼…。どうやって発想するのかとても気になります。
・凍傷として学歴は輝いて
 「学歴」の、傷としての特性と、輝きとしての特性、それぞれをバチコンと捉えていて、とても傷みます。
・凍滝の中で呼んでる大先輩
 「大」先輩という語彙選択が素敵です。しかし凍滝のなかにいる大先輩、この世のものか、人なのかどうか。死んだものとしては妙なアグレッシブさを感じますので、呼ばれた先は死地ではなく、なんかハチャメチャに働かされる未知の世界のように思えます。大先輩というワードが凍滝の静謐さや状況の不穏さを粉砕していて、すっごく好きな取り合わせの句です。
・地に足をつければ止まる半仙戯
 なかば仙人になるような気がするからブランコ。なのだが……足をつけたら止まった。仙人でない我が身の悲しみを思います。


「読みかけのディケンズ」夏川大空さん

●……なんだこれは!
(動かしてみて)
ああ、これは面白い!
度肝を抜いたという点では随一です。
実験大好きなので、これが「読みかけのディケンズ」であることにも、
ときめきます。

グループB
「黒い靴のままで」Yohクモハさん
 考えてみれば当然なのかもしれませんが、この世は全時間においてどこかで喪中なのですよね。ユーモラスな喪中もあれば、大きな時間を折りたたんだ組み合わせの喪中もあり。喪を前提として黒い靴で踊る。繰り返しからの最期の連が本当によくて、すごくベストな言葉で終わっているのではないかなあと思いました。

「読みかけのディケンズ」草野理恵子さん
・原典を知らないため、ただ読んだ印象のままに。
 幻視者・草野さんの眼と手の揺ぎ無さ、そこにある光景にただ惹き寄せられました。「黒い子守」「大量のボタン」など特に尋常ではないイメージで、この光景を生み出せる書き手を本当に羨ましく思います。いやあ私、草野さんのように書きたいな。「青いネクタイ」の「私は信号機だった」にかなり悩みました。
 黒白の世界、生と死、誕生することの後ろめたさ。言葉の連なりによって黒く暗いイメージが喚起する、印象を伝えるちからにも感嘆します。

グループC
「マグロ大王殺し」笹谷爽さん
●……なんだこれは!
 こういうの大好きです。
 マグロ大王の倒し方がアクションゲームみたいで笑いました。くすぐりどころの多さと、筋書きが意外ときっちりしているギャップも面白いです。高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」を何となく思い出しましたが、きっと的を外した連想です。ポップな感じが。

「劫火の終わりに摂氏世界を孵化させる、再生と順接の神、環化su蛾花」ハギワラシンジさん
●かっこいい~~~これはド傑作では。
 言葉から文脈や意味を剥いで、新しい響き・かたち・並びを作り出しておられる点に、氏の小説に驚きをもって読んでいます。
 本作では例えば、「彼女(園原?)」についての不可思議な遠近感、その遠近感が「顔」に接続すること(どんなに遠くにいても近くにいても遠すぎることはなく近すぎることもなく、彼女の顔はかわいい)。これは絵として表現するのは不可能に近いけれど、文字として読み手の想像力に委ねてしまえば、印象としては成立するかもしれない。その不可解さが凄く好きなんです。謎めいた遠近感が、パースペクティヴの強くつくものではない「顔」を対象としているという未知もまた良い。脳の中のあやふやな印象でのみ成立しているものを捉えたい私は、ハギワラさんの表現で行われる未知と未知の接続に、ただ感服するのみなのです。
「彼女の歩き方はリボンをつけている。僕の歩き方はリボンのあとをつけている」
 後に「その影に触れるか触れないかぐらいのところまで歩く」とありますが、「影」を異なる言葉で表現したものが「彼女の歩き方」(リボンをつけている影)なのだとしたら、「歩いている影」を指して「彼女の歩き方」と呼ぶそれは、やっぱり未知の表現です。

「読みかけのディケンズ」吉美駿一郎さん
●前半「読みディケ」では草野さんと双璧を為すディケンズ・リスペクト。
「信号手」の要素の活かしっぷりが見事です。それでいてディケンズからも自由に羽ばたき、「彼女」と「男」の物語として力強く着地しておられる点も見事です。
 読みかけたものが人生に食い込んでいる。
 それは読書という行為の本質にも、どこか結びつくように思います。
 「信号手」の夢を打ち消したのも「彼女」の夢、病院での出来事を食い止めたのも「彼女」。きっと素敵な女性なのでしょうが、決定的瞬間に突如として現れる「彼女」には、なにか神・超常的な印象を受けました。


グループD
「睡魔」松尾模糊さん

・子悪魔のディティールの細やかさ(角の柔らかさ、世話のあれこれ)を楽しみました。眠っている間に発生したかもしれない両親の変質、悪魔の恩返しなのか、それとも何か悪いできごとなのか。淡々とした筆致が成功していると思いました。かなり好きな一篇です。

「河」麦倉尚さん
●タイトル通り「河」を見る「A」の小説。流れる日々のなかで、何に対して何を見出すのか。個人の価値観の発見と、それが生活にもたらす小さな動きを、覗き見る。とてもいい文章だなと思いました。ぱしっとした終わりも決まっています。

「読みかけのディケンズ」化野夕陽さん
・分かれ分かれの男女それぞれに上巻と下巻を……一大ロマンスの香りではありませんか。着想が非常に優れていると思います。途方もなく柄の大きな小説へと伸ばしていける予感がひしひしとします。これは傑作の芽、というやつではないでしょうか。

グループE
「読みかけのディケンズ」苦草堅一とかいうやつ

間違いを告白します。
×誤「新宿鮫Ⅱ『毒猿』」
〇正「『毒猿』新宿鮫Ⅱ」
以上です。
お読みくださった皆様、本当にありがとうございます。

「Each other」黒塚多聞さん
・内面の公園というワードと、ナイーブな世界観が魅力の一作です。
 個人的には、会話のぎくしゃくした感じと、終わり方とが、かなり不思議です。なにかこう、どんどん離人しているような感じがします。
 語り手もいつの間にか作家として大成していますし、なにか不可解な読み心地のまま宙に投げ出され、それも込みで透き通った印象があり、なかなか忘れがたい一作です。

「読みかけのディケンズ」こい瀬伊音さん
・これは変化球。「読みディケ」企画を、ここまで現実に近いところに取り込んでくるとは思いませんでした。
 肉体についての感覚的な描写が圧巻です。本当に凄かった。詩のようなリズムが、切迫感を高めています。4枚目後半の畳みかけるような激情もかなり好きで、とにかくもう文圧がある。
 ここまで追い詰められた日常を送ることが無くなるように、本当に奇跡でも起きないかなと思うこの頃です。
「作家志望だとか言って、小さなパソコンを叩いている。
 言葉をたくさん持っているくせに、私の輪郭は撫でるだけだ」
 あっ、イタタタタ。似たようなことは言われたことがあります。刺さるなあ。

「アバウト・ア・ガール」 かかり真魚さん
・ああ、これは上手いですね。情報の出し入れが巧い。閉じ方も文句がないです。笑いとして示されたミッフィーの置時計が、ラストに至って悲壮な意味を持つ。とにかく構成の妙が光ります。過不足のない描写も素晴らしいです。


グループF

「やうやうばなし」正井さん
 自分が書いたのだったら、「俺もなかなかやるじゃないか」って思うだろうなあ。そんなふうに羨ましく読みました。
 音・視覚・身体の感覚の散りばめかたが巧みで、登場人物のおかれた状況をこちらも実感できます。あの手この手の睡眠導入の描写は、本当に頷くところばかり。
 するりと「きみ」との記憶に物語はスライドし、それが途切れるところで目が覚め、寝ていたことに気づく。緩やかに眠っていく感じが構成そのものでも表現され、なんてテクニカルなのだろうと舌を巻きました。不眠や語り手の陥っている状態のせいもあっての、霞がかったような印象を「やうやうばなし」「うらぶれてやぶのなか」といった正体不明の言葉が増幅します。
 本当に素晴らしかったです。

「プレイステーション東京」奈良原生織さん
 なにかを拒むような、熱はあるがしかし距離もあるような、緊張感のある文体がいいです。
 どんな異物でも、大量のオブジェクトに紛れこんでしまえる場所が東京。そんな風に思います。紛れることは染まることなのか。東北や外国といった「外」、あるいは敷島先輩のように人生の常道の「外」からの流入者は、東京の狂騒に染まってしまった東京の一部のように(作中では)思えます。そんななか、語り手はまだ東京に反抗している感を受けます。簡単に出ていくことが叶わず、プレステのゲームぐらいにしかフィールドがなくなった東京の息苦しさを感じました。
 とにかく文章がメチャクチャかっこよくて響きました。
「道場」奈良原生織さん(ボーナストラック的に)
(二回しか参加してない私が言うのもなんですが)
 「道場」といえば武闘派な印象があるものですが、こと六枚道場は優しい。鍛錬するのはあくまで書き手であり、入門者たちはお互いにその研鑽を称える。他の人々の練習を見て、自作のインスピレーションにしたり、書く気を奮起したり……。道場が得難い空間であったことが、暖かい筆致によって示されます。
 最後はもう涙なしには読めないのだー。書きましょう。書きます。
「プレイステーション東京」から続けて読んだのですが、奈良原さんの文章は本当にカッコよいなあ。道場の雰囲気が抜群に良いですし、帰り道に子供と出会うくだりもとてもいいんです。


「ケツ穴☆浪漫譚」海棠咲さん
・ケツ穴実験小説。それ「キラリン」て読むんだ!
 ケツ穴を連呼し、ケツ穴概念そのものを解体するかに見えて、ケツ穴という部位そのものと真摯に向き合い、ケツ穴から笑いも幻想も奇譚も、なにもかも取り出してみせる。まさしく神話である【ケツ穴☆3】がお気に入りです。

「読みかけのディケンズ」至乙矢さん
 他の世界の出来事を記事にするジャーナリスト。見てきた他の世界から、彼の世界に少年がやってくる。
 他者は書かれたものだし、私もまた他者に書かれたものである。そういうことになるのでしょうか?
 私たちが書くたびに世界は増え、出会えるものたちも増える。読むこと、書くこと、世界を作ることには痛みがあり、でも救いも絶対にありますよね。読む人の、書く人のための物語のように思え、前半中の「読みディケ」のなかで最もこのタイトルが相応しいように私は思いました。
 まだまだ読みかけの世界が私たちには待っている。
 読まれることを、書かれることを、待っている。
 ……あれ、感動のあまりポエムを書いているな……とにかく、すごく嬉しい1作でした。

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