夏なので、水まんじゅうを飼う。#01

8月13日(火)。たぶん天気は晴れ。
 弟と飲みの予定があるため、本日の観察日記は休む。代わりに、今週までで感じたこと及び我が家の水まんじゅうやその飼育方法についてを語ろうと思う。

 つい一週間前に飼い始めた水まんじゅうだが、随分大人な目つきになり、動きも落ち着いたように思う。
 水まんじゅうの飼育方法には様々あるが、私は一人暮らしの独身女性であるため最も簡素な水中脱酸素飼育法を用いている。
 水まんじゅうの寿命は1ヶ月ほどと言われているが、せっかく飼うのであればできる限り長持ちさせたいのが親心というものである。そのためにも持続可能な飼育方法を実現することが飼い主の責任だろう。丁寧な暮らしが、必ずしも命を繋ぐとは限らないのだ。

 水まんじゅうは夏の風物詩と言っても過言ではない。現代では飼う人も少なくなってしまったが、古歌からは水まんじゅうが古い人々の心を癒していた様子がうかがえる。だがその水まんじゅうであっても、現代の夏は堪えるようだ。実家で数年ほど金魚を飼っていたのだが、夏場の玄関の暑さで水温が高くなり、動きが鈍くなっていたことを思い出す。というか、ほぼ死にかけていた。
 現代の日本の夏は古い日本人の見ていた姿とは大きく変わってしまった。今の日本に古い詩人たちがやってきたら、一体どんな歌を詠むのだろう。肌で古夏を感じられない我々は、ただ空想の中で彼らの紡ぐ言葉に酔いしれる他ない。

 さて、話がそれてしまったが、主題は水まんじゅうを飼い始めたことである。水まんじゅうの生態については各々調べて頂き、特に活きのいい小学生諸君は夏休みの自由研究にでもすると良いだろう。
 なぜ私が水まんじゅうを飼うことにしたのか。一人暮らしは寂しいだとか、生き物の温もりが欲しいだとか、温もりとか言っておきながら涼やかな水まんじゅうで夏の暑さを凌ぎたいんだよね〜とか、そういった風情のある理由ではない。端的に言えば、暇だった。暇で暇で仕方がなく、しかし長期的に生き物を飼うほどの時間の余裕はなく、であれば寿命の短い水まんじゅうが最適だと。ただそれだけの理由である。生き物を飼う人間として、好ましくない理由であると自覚してはいるが、たとえ短い命でも最期まで責任を持って飼育できるのであれば、理由を咎める筋合いは誰にもないだろう。

 思っていたよりも長くなってしまったが、今回はこのあたりでお暇することにしよう。空想の物語をさも現実のように語ることに嫌気が差したとか、ネタが無いとか、そもそも水まんじゅうについて知識がねぇわとか、そういう理由ではない。私の家には間違いなく水まんじゅうがいて、今日も元気にプカプカしている。

 次週はちょうど水まんじゅうの入れ替えの時期なので、水まんじゅうの入れ替えについて解説する。人も水まんじゅうも、適度にガワを取り替えてかないとやってらんないわよね!的な話をしていきたい。

 ここまで読んだ皆様は、相当に根気強い方か非常にセンスの優れた方であると推測する。そんな皆様であれば、まずは本記事のタイトルに「いや水まんじゅうって食べ物だよな?」とツッコミを炸裂させたことだろう。皆様のツッコミのクオリティについては、一度棚に上げるとして。
 次に思うのが、水まんじゅうというのは別の動物の名前で、実際は犬や猫や、それこそ金魚のような生き物を飼い始めたのか?ということだろう。はっきり申し上げて、実在のなにかを水まんじゅうと仮称して日記をつけているわけではない。想像していただく姿は紛れもなくあの水まんじゅうであり、これからもこのさきも、水まんじゅうは当たり前に涼し気な夏の食べ物である。否、ここで水まんじゅうが食べ物であるということについて言及するのは、うむ、やはりナンセンスってやつだろう。

 8月はこの調子でやっていくので、飽きず読んでいただけたら嬉しい。

ではこれで。

ティーナ

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