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次男が【重症心身障がい児】であることを宣告されたときの話

はじめまして、ふくたろうです

突然ですが
皆さんは障がい児と交流したこと、ありますか?

「ある!」という方は少ないんじゃないかと思います。私もそうでした

そんな我が家に産まれた次男は【重症心身障がい児】です
生後5ヶ月で「歩くこと」「喋ること」「長く生きること」全てが出来ないとされる病名を宣告され、障がい児として生きていくことが決まりました

このnoteでは次男が病名を宣告され【障がい児として生きていくことが分かった時の私の気持ち】をそのままつづっています

長文を書いたのは初めてなので、読みにくい部分もあるかと思いますが、障がい児を育てる家族の気持ちはどういうものなのかということを、少しでも伝えることができたらと思い、このnoteを書きました


全文無料で読めます

一応値段もつけてみましたが、全文無料です
ふくたろうの夢を「ちょっと応援してやってもいいかなー」という方がいらっしゃいましたら、購入していただければ飛び跳ねて万歳三唱します(/・ω・)/

ふくたろうTwitter⇒@hukutaro1234

長くなりますが、お付き合いいただければ嬉しいです


ー登場人物の紹介ー
ふくたろう(私)=ママ 夫=パパ わんた=長男 つーた=次男


次男が【重症心身障がい児】であることを宣告されたときの話


ー妊娠中ー

わんたが産まれてから数年後、つーたの妊娠が発覚
パパの転勤もほぼ同時に決まり、慌ただしい日々を過ごしていました

妊娠6週頃からつわりが始まり、トイレの住人になりました
わんたの時もなかなか酷いつわりでしたが、つーたの方がかなり酷かった

吐いて吐いて吐きすぎて
吐くものないけど吐いて
ついでに血も吐いて

最終的に水さえも受け付けなくなったので、入院することになりました

実家から近くのとっても綺麗な産院
完全個室で入院自体は快適だったけど、わんたと離れて過ごすのは初めてで寂しいし、ひたすら気持ち悪いし、この頃は辛くて辛くてネガティブなことしか考えられませんでした

救いだったのは、母が毎日わんたを連れてお見舞いに来てくれたこと
パパが毎日来てくれて励ましてくれたこと

家族のありがたさを感じました

3週間ほど経った頃
どうにか流動食を食べられることになったので、退院して実家へ戻り静養
妊娠5ヶ月を過ぎた頃、ようやく落ち着いたので転勤先に向かうことになりました

新しい土地で新しい生活
初めての実家から離れての生活で、さらに妊娠中
大変でしたが新しい友達も出来たりして楽しい日々でした

つーたの性別も判って、兄弟を希望していた私もパパもわんたも大喜び
うちの母は女の子希望だったから残念がっていましたが

妊娠7ヶ月を過ぎた頃、切迫早産ということで転院した大きな病院で【赤ちゃんが小さめ】と告げられました

小さめだけど、特別小さい訳じゃない。頭が小さくて足が長い、スタイルの良い赤ちゃんだね

先生はそう言ったけど、平均よりもちいさいつーたに少し不安になりました


ー出産ー


臨月に入る少し前、実家に里帰りしました

切迫早産だったということもあり、あまり遠出し過ぎないように慎重に過ごしていました
「なかなか産まれんな~」と思いつつも、推定体重は2900gを越え、とりあえず一安心

結局産まれたのは39週。誘発分娩でした
2時間かからずのスピード出産
パパも立会い、私より号泣していました

推定体重より小さい2600gでの出産でしたが、元気な産声をあげてくれて一安心

久しぶりの新生児は、めっちゃ小さくてめっちゃめっちゃ可愛かったな

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寝顔がパパと長男にそっくり

家族みんなで写真を撮ってほっこりしていたのも束の間、看護師さんがやって来て『つーたくん、片方の睾丸がないみたい』と告げられました

その時は訳が分からず、「え?え?」と同様しましたが、あとで調べたところ停留精巣という症状があったみたいです(これに関しては生後2ヶ月で問題ないとなりました)

それよりも気になったことはつーた、頭ちっちゃくない?ということ

産まれたばかりのつーたの頭位は30.5cm。男の子の平均が33.5cmなのでかなり小さめです

気になった私は看護師さんに一応確認したのですが『全体的にちっちゃめだからね~』という答えでした

そうなの?大丈夫なんかな?
一応納得したものの、心はもやもやしたままでした


ー出産後ー

出産を終え、特に問題もないということで無事に退院
産後1ヶ月は実家でお世話になりました

二人目なのである程度余裕も持てたし、つーたもよく寝てよく飲む子だったので『お世話が大変!』ということはありませんでした

むしろ泣かなさすぎて大丈夫?と思ってた
わんたが赤ちゃんだった頃は、2~3時間おきに泣いてたし、寝る時も抱っこでした

対するつーたは夜は6時間ほどまとめて寝るし、布団に寝かすと勝手に寝る
目覚ましをかけ、無理やり起こして飲ませる日々
眠くて飲んでくれないことも多々ありました

手足はバタバタよく動かしたし、こっちを見てるな~ということもあったので、おとなしい赤ちゃんなのかな?と自分を納得させてました

そんなこんなであっという間に時間が経ち、出産した産院で1ヶ月健診を受けました

体重もきちんと増えてたし、診察も特に問題はないということで家に帰ることに

ずっと気になっていた頭囲は少しずつ成長して、一応成長曲線下限ギリギリに入り込みました

先生も『小さいけどきちんと成長してるから問題ないでしょ』と言ってくれて安心したのを覚えています

新生児は出来なくて当たり前だから、この時は違いに気づけなかった

いや、可愛くて可愛くて、愛しくて大事な存在だったから違うと思いたくなかった
でもこれからつーたは他の子と違う、という気持ちがどんどん膨らんでいくのです


ー生後1ヶ月ー


里帰りを終え、パパの待つ家に帰りました

家の整理にわんたの幼稚園、つーたのお世話
バタバタの日々でしたが、つーたは家が変わっても特に変化なく、元気いっぱいでほっとしました

この頃、私はつーたの酷い向き癖に悩んでいました
いつも右側を向いていたので右耳がぺっちゃんこ

頭の形も少し歪んでしまったので、向き癖防止クッションなるものを購入したのですが、すぐに向きを変えてしまうので効果は全くありませんでした

この時は向き癖だと思っていましたが、これ、反り返りだったんです
【脳に障害がある子は反りが強い】つーたの場合はこれでした
無知な私はその事にまだ気づけませんでした

生後2ヶ月になり、予防接種をしに小児科へ
完全予約制で注射前にしっかり時間をとって診察してくれました

先生はつーたをベッドに寝かせ、うつ伏せさせたり、おもちゃを使って視線の動きを調べたり、抱っこしたりして反応を見ていました

『お母さん、つーたくん抱っこしにくいことはない?目とかはちゃんと合うかな?』

先生から言われた言葉

当時、何も考えてなかった私は「大丈夫です~。寝てる時とか目が合うとにこっりしてくれます」と呑気に答えました

『そっか、なら知らない場所に来て緊張してるのかな?』

オブラートに包んでましたが、この時先生はつーたと他の子が違うことに気づいてたんやろなと今になって思います

同じ月齢の子をずっと見てきた先生にとって、つーたはこの頃から普通ではなかったんやろな、と


ー生後2ヶ月ー


先生の言葉が心に残っていたものの、生後2か月のつーたはそれなりに成長していたのでそんなに心配はしていませんでした

この頃のつーたはにこっと笑ったり、名前を呼ぶと声を出したり「この子賢いな!」とさえ思っていました

でも、この頃から気になりだした事が1つありました

授乳を嫌がるようになったのです

つーたは完母で育ててましたが、授乳をしようとすると泣いて嫌がる
お腹が空いてるはずなのに、授乳の時間になっても全力で顔を反らし、ぎゃーーーー!!と泣きわめきました

これが毎日毎日続くのでさすがに私も疲れてきました

わんたが赤ちゃんだった時は授乳が大好きで、あげればいつでも飲んでくれたのに・・・。つーたはどうして嫌がるんやろ?

わんたとは全然違うつーた

外出先の授乳は特に苦痛で、他の人に嫌がるつーたの姿を見せるのが辛くて個室の授乳室にしか入れませんでした

迎えた生後3ヶ月
再び予防接種を受ける日がやって来ました
以前言われた言葉が頭に残っていたので〔また何か言われたらどうしよう)とドキドキしながら病院に向かいました


ー生後3ヶ月ー


2度目の予防接種
先月と同じ小児科で、この前と同じ女医さんでした

『つーたくん元気でしたか?』
「はい、元気なんですけどあんまり母乳を飲んでくれなくて」
『そうなんですね。とりあえず診察しましょうか』

先生は先月と同じようにつーたを診察台に寝かせ、うつ伏せにして首すわりのチェックをしたり、おもちゃを使って追視の確認をしていました

『つーたくん、体重は増えてるし母乳に関してはそこまで心配いらないと思います。ただ、少し物を見る力が弱いのと首すわりが遅いかな~と感じます。反り返りもちょっと強いかな。家ではどうですか?』
「私やお兄ちゃんの姿を追ったりはしていますけど・・・首すわりはまだまだな感じがします」
『お母さんが心配なら大きな病院を紹介しましょうか?あ、でももうすぐ4ヶ月検診があるね。私が担当だからそこまで様子見てみよっか。お家でおもちゃを見る練習とかしてみて』
「はい、分かりました」

予防接種を終え、会計をしてから歩いて家まで帰りました
つーたは抱っこひもの中で相変わらず首をぐんっと反っています

つーたは普通じゃないのかな?
もしかして病気や障がいがあるのかな?

先生の言葉と、今まで感じていた不安が合わさり、歩きながら涙が出てきました

なんで?なんで?

【つーたは大丈夫!絶対大丈夫!】と信じたい気持ちと【あれも出来ない、これも出来ない】という気持ちで心が毎日揺れ動いていました


ー生後4ヶ月ー


不安な気持ちのまま迎えた四ヶ月健診
わんたを幼稚園に送ってパパと3人で会場に向かいました

つーたに何もありませんように
神様に祈ったりもしましたが、まだ首もすわっていなかったし、3ヶ月からそこまでの成長は感じられなかったので(何か指摘されるんやろうな)と覚悟もしていました

会場にはたくさんの赤ちゃん
ママに抱っこされてる子、寝ている子、泣いてる子
一見、つーたとさほど変わらないけど

あの子はもうおもちゃを持って遊んでる
あの子はママの髪を掴んでる
あの子は足首持ってごろんてしてる

対するつーたは仰向けに寝て横に手足をバタバタさせるだけ
差は歴然でした

身長、体重、頭囲、胸囲を計測。心配だった頭囲は標準
身長も体重も小さめではあるけど標準内
少し間を空けて保健師さんによるチェック

うつ伏せで顔をあげましたが、頭は小刻みに揺れ、コントロール出来ません
おもちゃを見る追視のチェックは音のなる方をちらっと見たけど、動きを追うことは出来ませんでした

最後に先生の診察があり「⚫⚫つーたくん」と名前を呼ばれ、診察室に入りました
部屋にいたのは予防接種でいつもお世話になっている女医さんでした

『つーたくん久しぶり!調子はどう?』
「あまり変わらずです」
『そっか。じゃあちょっと診てみるね。ベッドに寝かせてくれるかな?』

病院と同じようにうつ伏せや引き起こしで首すわりのチェック、おもちゃを使った追視のチェック、足を叩いて反応を見たりしました

『首はしっかりした気がするけどまだちょっとぐらつくね。ここじゃ詳しくみれないから大きな病院で一度ちゃんと見てもらおうか
「異常があるってことですか?」

ずっと黙っていたパパが質問しました

『現時点ではなんとも言えないんです。何かあるにしろないにしろ、早くみてもらって早めに対処した方がいいと思います』
「分かりました。じゃあ行ってみます」
『では、紹介状を書きますね。ここら辺やったら⚫⚫病院か○○病院がいいんちゃうかな?』
「ありがとうございます」

つーたを抱えて診察室を出ました
人がたくさんいたので、泣かないように出来るだけ明るく振舞いました

「やっぱり再検診になったね」
「そうやなぁ、けどまぁそれは分かってたことやん?とりあえず早めに病院行こうか」
「そうやね」
そのあと保健師さんから色々話をしてもらい、紹介状をもらって健診を後にしました

この頃の私の不安は二つ
つーたに異常があるのかそしてつーたに病気や障がいがあってもパパはつーたを愛してくれるのか

パパは妊娠前から障がいのある子を育てる自信がないと言っていました

わんたは健康だったし、二人ともこの時はまだ若い方やったから、まさか障碍を持つ子が産まれるなんて思ってなかったんやと思う

私はこのとき、既につーたが大好き可愛くて、何かあったら嫌だけど【愛しいという気持ちに変わりはない】と思っていました

けど、パパはどうなんやろ?
パパから否定されたら私はどうすればいいんやろ?

あまりにパパが楽天的だったので、この事についてはまだ聞けませんでした


ー医大での診察ー


わんたを幼稚園に送った後、紹介状を持ってパパとつーたと病院に向かいました

県内で一番大きな大学病院。建て替えしたばかりでとても綺麗で大きな病院

初診は予約が出来ないので、少し待たなきゃいけないということでパパは仕事に戻りました

一人で待っていると、どうしても周りを観察してしまいます
こんな大病院に来ているということはみんな大変な病気なんやろうな、と思いました

つーたもそうなのかな、と

1時間ほど経過したところで、つーたの名前が呼ばれました
「失礼します」
診察室に入るとそこにいたのは、ベテランっぽい優しそうな男性医師
ここに来た経緯とつーたの今の状態を説明しました

『分かりました、じゃあとりあえず診てみましょう!つーたくん、ベッドに寝かせてもらえる?』

診察台につーたを寝かせ、首すわりや追視、足の開きなどについてじっくり診てもらいました

『確かに首すわりは甘いけど、視線は合ってるような気がするね。おもちゃも目で追うし』

練習の甲斐があったのか、確か前よりは追視が上手くなったつーた
先生の言葉に少し安心しました

診察を終え、椅子に座ってドキドキしながら先生の話を聞きました

『まだなんとも言えないけど、首すわりが遅かったり物をきちんと見えないと言うのは脳神経に関係してる場合が多いんです。MRIを撮ってみないと分からないし、撮っても分からない場合もあります。ただ成長が遅いだけという可能性もあります』

脳神経?脳になにか問題があるってこと?

『専門の先生に診てもらいたいね~。今日まだ時間大丈夫ですか?』
「はい、大丈夫です」
『じゃあちょっと待ってて』

先生が出て行った後も、心臓のドキドキは止まりませんでした

つーたは脳の病気なんやろうか
ただ成長が遅いだけであって欲しい

つーたの手を握りながらそう願いました

5分も経たないうちに先生が戻ってきました
『小児神経の先生が診てくれるので一緒に来てもらえますか?』
先生に連れられ、つーたと一瞬に小さな個室に移動しました

ここで、つーたの初めての主治医となる先生に対面しました

『はじめまして、〇〇です。つーたくんですね、こんにちは』
その先生はとても明るく優しそうな女医さんでした
『●●先生から話は聞きました。診させてもらってもいいですか?』
「はい、お願いします」

先ほどと同じように、首すわりのチェックや追視の確認をする先生

『これ、見えてるんちゃうかなー?だって顔見るもん、ねぇ先生』
『そうなんだよね、見てるよね』
先生達のやりとりがしばらく続きました。私はその光景を黙って見てるだけでした

診察が終わり、つーたを抱っこして先生の話を聞きました

『●●先生から説明があったと思うけど、首すわりとか追視っていうのは脳の命令が上手く作動して出来るようになるのね。だから脳からの指令が上手くいかないと目で上手に追えなかったりするの。これだけで判断するのは難しいからMRIを撮ろうか。ちょっと予定が詰まってるから来月になっちゃうけどいいかな?』
「はい、お願いします」
『じゃあ予約取るね。何か質問はありますか?』
「大丈夫です」

色々ショック過ぎてもう帰りたい!という気持ちでいっぱいでした
本当は色々聞きたいこともあったけど、何も言えずにつーたと一緒に家に帰りました

なんでつーたがこんなことになんの?つーたは大丈夫なの?

どうにかして不安を打ち消そうとするけど消えてくれない
早く結果を知りたいけれど知りたくない

そんなことばかりを考える毎日でした



ーMRIー


不安な気持ちのまま1ヶ月が過ぎ、ついにその日がやってきました

パパに休みを取ってもらい、わんたを幼稚園に送ってからつーたと3人で病院に向かいました

小児科で受け付けを済まし、身長と体重を測って血液検査のために採血へ
小さな小さなつーたが痛がって泣くのを聞くのは本当に辛くて
採血時は親は子供から離されるので、つーたの姿は見えず絶叫だけが聞こえるのがまた辛かった

私はつーたにごめんね、ごめんねと謝るしか出来ませんでした

MRIを受けるためには眠らせなければいけないので、真っ赤な目のつーたを抱っこして睡眠薬を飲ませました

そのまま検査室に移動し子供用の検査着に着せ替え、ベッドに寝かせてつーたが眠るのを待ちました

お昼寝がまだだったこともあり、すぐに寝たつーた
看護師さんに知らせ、すぐにMRIに入ることになりました

技師さんから『途中で起きてしまうと正確にデータを撮れないから中断することになるかもしれない』と説明を受けました

「大きな機械に一人で入るの怖くないかな?どうか最後まで寝たままでいられますように」

一緒に中に入ってあげたいけどそんなことは出来ず、パパと二人で外の椅子に座って待ちました

30分ほど経ち、『終わりましたよ』と声をかけられ、急いで検査室に入るとそこにはぐっすり寝たままのつーた

「良かった、起きなかったんや。偉かったね」つーたを抱っこしましたが、薬の影響か目を開けてもまたすぐに眠ってしまいました

検査の結果が出るまで時間があったのでつーたをベビーカーに寝かせ、昼食を食べました

実はこの日、主治医の先生がインフルエンザでお休みだったので「検査の結果は後日にしてもらえませんか」と言われました

でも、パパが「技師さんでも診断は出来るはずやから、結果だけでも教えて欲しい」と食い下がり、他の先生から診断結果を受けることになりました

迷惑やからやめとき!と止めた私でしたが結果的にこの日に聞けて良かったなと思いました

だって実際に宣告を受けるまでの心の準備が出来たから

ちなみになんでパパが食い下がったかというと「なんもないと思ってたから早く結果を聞いてすっきりしたかった」だそうで

夫婦の温度差ありすぎですよね


ーMRIの結果ー


お昼ご飯を食べた私たちは、再び小児科へ
周りには誰もいなく患者は私たちだけ

パパからの『主治医からの説明がなくても今日結果を聞きたい』という希望は伝え、了承してもらっていたのですが、再び看護師さんが来て『主治医が説明したいので来週では駄目ですか?』と言われました

今思えば中途半端に説明するには重すぎる病名やったのかなと思います
おまけにマイナーな病気なので小児科医であっても、知らない人も多いみたいやし

それでもパパが「結果だけでも聞きたい!」と言いはり、別の先生に結果を説明してもらうため診察室に入りました

最初に
『すみませんが私は神経担当ではないので詳しくご説明は出来ません。技師からの結果のみをお伝えしますので、来週主治医から詳しくご説明します』と先生から前置きがありました

この時点であ、何か異常があったんやなと思い、心臓がバクバクするのを感じました

先生はレントゲン写真を見せてくれました

『つーたくんのMRIの写真です。ご覧の通り、脳にある皺の数が普通の脳に比べてかなり少ないです。医学的に判断すると滑脳症という診断になります』

医師から告げられたのは聞いたこともない病名

(かつのーしょう?それ、なに?大変な病気なの?)

アホな私はどこが普通の人と違うのかさえも分かりませんでした

でもパパは
「確かに違いますねこれは今後どんな影響があるんですか?。診断名は確定で間違いないんですか?」
と、すぐにつーたの脳に異常があるということに気づいたようでした

『すみません、詳しいことは神経の専門ではない私からは伝えられません。
詳しくお話させていただくために予約をとっていただけますか?」

分かったのは診断名だけ
私はそれがどんな病気かも分からず診察室をあとにしました

会計を済ませ、パパが車を回して来るというので待ち合いのベンチに座ってスマホを取り出し【滑脳症】と検索しました

滑脳症

遺伝子の突然変異または胎児期の感染症により起こる脳奇形
○予後は非常に致死的
○大多数の患者が3歳以前に死亡する

○大多数の患者が生後3-5か月レベル以上の発達を示さない
○ 食事摂取障害がある
○難治性てんかんが起きる
○脳に関しての治療の余地はない
○けいれんに対しては治療し、 食事摂取障害が強ければ胃切開によるチューブ栄養となる
○嚥下および呼吸器疾患が最も多い末期症

スマホを持つ手が震えているのが分かりました
検索しても検索しても、悪いことしか出てこない

なにこれ?どういうこと?
歩けないの?喋れないの?
つーた、死んじゃうの?

何が何だか分からず、でも目からは涙が溢れました

パパが迎えに来たのでスマホを戻し、つーたと一緒に車に乗り込みました

帰り道、黙ったままのパパに「滑脳症って検索した?」と聞きました
「した。でもまだ確定ではないからなぁ」

私は後部座席にいたのでよく見えませんでしたが、時折聞こえる嗚咽でパパが泣いてるのが分かりました

ある程度つーたに何かあるだろうと感じていた私より、何もないと思っていたパパの方がショックは大きかったのだと思います

「そやね、来週主治医の先生に説明を受けるまではあんまり気にせんとこうか」

気にしない、なんて無理だったけど、私が暗くなるとわんたもつーたもパパも不安になるから。出来るだけ明るく振る舞おうと決めました

【結果は変わらない】そう分かっていたけど、きちんと宣告を受ける前にこの時間を持てたのはラッキーだったな

MRIを撮ってからの1週間はパパと色んな事を話しました
色んな事を調べました

いくら検索しても明るい言葉は出てこなくて、落ち込んでしまう日々でしたが、同じ病気の子でもご飯が食べれたり、物に掴まって歩いたり、お座りしたり、短命の子もいれば20歳を越えた人もいるということを知りました
その子によって成長は全然違うんだなぁと思いました

寝たきりでいる可能性もある、医療行為が必要になる可能性もある
けど、出来ることが増えていく可能性もあるなら、私はこの子のためになんでもやってあげたい

もし、つーたと過ごす時間が短いというのであれば、つーたの笑う顔がたくさん見たい
家族みんなで笑って過ごして、つーたがいて良かった!そう思えるように過ごしたい

そう思えたのは、同じ病気のママやパパが書いているブログがみんな愛に溢れていたから
色々大変そうだけど、子供と楽しく暮らしている姿が見れたから
そして、うじうじ悩んで暗い生活を送るより、私もそうありたいと思ったから

次の診察までの間、先生に聞きたい事を毎晩パパと話し合ってまとめて書いておきました
「違うかったらいいけどね~」
「そうやな~」
なんて言ってたけど、二人ともある程度の覚悟はしてその時を待ちました


ー告知ー


パパに有給をとってもらい、わんたを幼稚園に送ってから3人で病院へ

話が長くなりそうだったからなのか、私たちは午前の一番最後の診察でした周りに誰もいなくなった頃、名前が呼ばれました

パパはつーたを抱っこして、私はノートとペンを握りしめ診察室へ入りました

『先週はごめんね~。急に休んでご迷惑おかけしました』
明るく話しかけてくれる先生。その横にはつーたのMRI写真がプリントされて置いてありました
「いえ、大丈夫です」
『じゃあつーたくんのMRIの結果を詳しく説明していきますね。先週他の先生から説明があったと思うけど、つーたくんの脳はここが他の子と違っているのね』

先生は比較のために同じ月齢の子の脳の写真を並べて出してくれました
先週は何も分からなかったけど、こうして比べてみるとハッキリ違いが分かりました

診断名としては滑脳症です
「これはもう確定なんですね」
『はい、そうです』

あぁ、つーたとこの先一緒に歩いてお散歩したり、お喋りしたりすることは出来ないんや

分かっていたはずだけど、聞いた瞬間に涙が出ました
横を見るとパパも泣いていました

レポートに沿って先生の話を聞きました。ネットで調べたこととほとんど同じで

おそらく遺伝子異常によるものであること
重度の身体、知的障害
経過により医療行為が必要になる
今後、てんかんが起こる可能性が非常に高い

という説明でした

てんかんについての対処法を質問したり、今後どのような暮らしをしたらいいかなどを相談したりしました

そして、最後に聞きたくないけど、聞かなきゃいけない質問をしました

「先生、ネットでこの病気の子は3歳までに亡くなるって書いてたんですけど、つーたもなんですか?」

『そうですね、つーたくんの場合は合併症もないので今すぐどうこういうのはないと思います。この病気の子は感染症が重症化しやすいので肺炎で亡くなったり、てんかんが起きたら状態が悪くなってしまう可能性もあるので、そこら辺は注意が必要です。でも20歳まで生きてる方もいるみたいですしね!」

先生は明るく答えてくれました
はっきりしない答えではありましたが、とりあえずすぐにつーたがすぐにいなくなる可能性は少ない、そう聞いてほっとしました


ー告知後ー


次回の予約をして診察が終わりました
帰り道、パパと何か話した気もしますが正直覚えていません
ただ、隣に座るつーたの手を握って泣いたことだけは覚えています

昼食を済まし、預かり保育に預けていたわんたを迎えに行きました
わんたが帰って来てからは、私もパパもいつも通りに振舞いました
夕飯、お風呂、心の中は揺れっぱなしだったけど、している事はいつもの日常と何も変わりませんでした

平日は私一人でしていた寝かしつけ、この日はパパも一緒でした
子供たちが寝静まった後、ベッドで眠るわんたとつーたを見ながらパパの手を握って言いました

「ごめんね」
パパは泣き始めた私を抱きしめて
「なんでやねん」
と言って泣きました

「私が妊娠中に気を付けていればこんなことにはならなかったかもしれない」
「そんなん関係ないって」
「でも、悪阻で何も食べれんかった・・・、入院もしたし」
「遺伝子の問題なんやからそれは関係ないやろ。そんなん言うたら俺に原因あるかもしれへんやん」

嗚咽交じりの声を聞いて
あぁ、パパも悩んでいたんやな。自分だけじゃなかったんやなと思いました

しばらく二人で抱き合って泣きました
こうやって同じ気持ちを共有出来る人が夫で良かった、そう思いました

「みんなで思い出たくさん作ろうね、私、頑張るわ」
「うん、頑張ろうな」

ドラマのようなセリフですが、これは現実

すっぴんでパジャマで号泣するアラサーなんて残念な絵面やったに違いない
けれど、この日きちんと二人で泣けて良かったなと思います

私だけでなく、パパだけでなく、二人一緒で良かった


つーたの病気が分かってから、夫婦で話し合うことが増えました
つーたのことはもちろん、わんたのことも

私たち家族が笑顔で過ごすためにはどうしたらいいのか、二人で考えましたつーたはこんな風に夫婦の絆を強くしてくれました

告知を受けてから1年が経ちました
今でも朝起きると、つーたがちゃんと息をしているか確認します
『あぁ、今日もこの子は生きてる』私の1日はそこから始まります

つーたは今日も私の傍で笑ってくれています
私もつーたの笑顔を見て笑っています

家族みんながずっと笑顔でいるために、これからも私が一番笑っていよう!毎日そう思っています

この日々がずっとずっと続くことを願って




ーあとがきー


つたない文章で、読みにくいところも多々あるかと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございます!
告知を受けてから約1年。長いようであっという間の1年でした

この1年、今までにないくらい夫婦で色々話しました

その間、つーたの初めての発作や入院などがあり【私たち夫婦だけでわんたとつーたを育てるには無理がある】と痛感しました

パパは実家の近くに転勤出来るように頼んで、私たちは再び引っ越しました
今は両親たちの支援を受けて、不自由なく暮らしています

そしてつーたを育てていくうちに、私にも夢が出来ました

障がいを持つ子とその家族が、より楽しい人生を送れるようにサポートしたいという夢です

障がいを持っていると、どうしても普通のお店に行くのをためらってしまいます

『髪を切る、外でご飯を食べる、写真館で写真を撮る』

そのためには車いすでお店に入れるのか、受け入れてくれるのか、周りに迷惑をかけないか、たくさん調べなければいけません

断られることももちろんあります

普通の人ならなんでもないことが、障がいを持っていると【とてつもなくハードルが高いことに】になるんです

私はそういう負担を少しでも減らすため『うちなら障がいがあっても大丈夫ですよ!』と受け入れてくれるお店や技術を持った方と、障がいを持つ方やファミリーを繋げていけたらと思っています

今はブログを書き始め、夢への実現へ向けてがむしゃらに進んでいます


では、再度にもう一度

お読みいただき、ありがとうございました!!!!


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次男が【重症心身障がい児】であることを宣告されたときの話

ふくたろう

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