ラストダンスが悲しいのは嫌だなと思った話

今作、葬式の話ということで「死」に触れた話を。

中学2年のスキー教室から帰って来たら、ベッドの上で父が死んでいた。

読んでくださってる方が感情移入しやすいように、父の話を。

父は画家で、フランスで絵を描いていた。だから7歳までパリに居た。母はモデルをしていた。こっちはパリコレにまで出たらしいからそこそこ売れていた。父はどうしようもなく売れていなかった。

父は借金を沢山していた。人からお金を借りるのが大好きな人だった。友人、母、父の母、父の兄、いろんな人からお金を借りるのに勤しんでいた。フランから円までいろんな通貨を借りていた。子供ながらに、本当にお金を借りるのが好きな人なんだなと思った。

父は子供が5人いる。バツも5個ある。俺が1番下で、全部腹が違う。1人の女性に1人づつ均等に子供を持たす主義の人なんだと思う。父の名誉の為に言うが、きっちり浮気もしていた。だからきっともっと子どもが居ると思う。俺は父が56歳の時の子だ。よく頑張った。

子供の頃、知らない女性に俺を会わせた。あの謎の女達。謎の女達にあった後は必ず高いものを俺に食べさせた。だから母にも黙っていた。

凄く嘘を吐く人だった。大学に出てると言ったが。まず高校も出ていなかった。船を持っているとも言ってた。深作欣二と友達とも良く言っていた。だから父と最初に観た映画はバトルロワイヤルだった。父はそれを観て笑っていた。だから俺も灯台の女子高生達が一気に死ぬシーンを観て笑った。次に観たのは吉原炎上だった。

夜、アトリエに行くと、父が母のヌードを描いていたのを目撃したことがあった。ちゃんとしたトラウマである。父が裸の母を描くと言うアブノーマルさ。ならセックス目撃した方が良かった。

父の好きな話で、給料日に給料持ったままパリの街を歩いていたらホームレスにぶつかって怪我をさせてしまい、給料袋をそのままホームレスに投げつけて、20キロ近くの帰路を歩いて帰って来て、母親に殺されかけた話が好きだ。

母の、いけない葉っぱを吸いながらスイスにワニを密輸しようとして国境警察と揉めた話の次に好きな話だ。

本当に父は優しかった。特に俺には本当に優しかった。

日本に帰ると、父と母はようやく正式に離婚をした。この4年後、父は死ぬ。

晩年の父は完全に頭が狂い始めていた。日本に帰ると、父のお金を借りる癖は歯止めが効かなくなり、知らない大人達からも借りてしまっていた。

父は俺に向かって「パパな、今ピカソをな、ピカソを殺してやろうと思ってるんだ!」と仕切りに言っていた。現に死んだ父の枕元には「ピカソをぶっとばせ」と言う原稿が置いてあった。父は借金で自分の実家をシェルターに改造していた。家に防空壕を作っていた。

今思えば、ゆっくり終わりに向かっていたのだと思う。

父はいつもお腹を空かせていたので、母の作った夕飯を少し残して、よく父の家にこっそり持って行っていた。捨て犬を隠れて飼っていた子供のような生活をしていた。父は持って行ったスパゲティを頬張り、しょっぱいと言った。

父との最後の言葉を覚えている。「そこにあるクリームパン、さっき買ったんだが腐ってるから駅前のセブン持って行って金返してもらってこい!」「分かったよパパ」が、最後の会話だ。父の家を出て、家の前のゴミ捨て場に薄皮クリームパン5個入り(一個父が食べた)を投げ捨て、スキー教室に向かった。

もっとドラマチックな会話をしたかった。

「なあ、おまえが人生で辛くなったらパパのこと思い出してくれよ?」「なんだよ突然。」「いや、なんでもない。スキー教室気をつけてな?」が良かった。クリームパン腐ってるから取り換えてこい!は嫌だ。だが仕方ない。もう死んでしまったんだ。更新されることはない。それが父との最後の思い出だ。

スキー教室から帰り、父と連絡が取れなくなり、不安になった俺は父の住む要塞に警察と行った。京極夏彦の「魍魎の匣」の箱施設を想像してくれたら分かりやすいと思います。ほぼアレです。

施設のシェルターを開けて防火扉を開けると、ベッドの上で父がいた。触れると腹が3センチほど沈んだ。

父の死を目の当たりにした時、隣にいた警察は茫然とする俺をよそに、少し下腹部が腐っていたことを電話で上司に4回も伝えた。そんなに伝えるか?と思ったら絶望の中で笑いが生まれた。人が死んでも笑ってもいいんだと思った。

部屋は暗くて冷たくて、立てなくなって、「ピカソをぶっとばせ」の原稿のタイトルを茫然と見つめる俺と、完全にパニックになってる若い警察官が1人、その中で安らかに眠る父。あんな面白いシチュエーションはない。

父の葬儀は母と2人だけで執り行なわれた。静かで本当に悲しい葬式だった。死ぬとはこういうことなんだと思った。

人より沢山作った子供も、沢山いると言っていた友達も、誰も来なかった。父の死はなんの言葉も感情も交わされずに終わった。静かに悲しく。

大好きな父の「死」に触れた話。

次回作のタイトル「ラストダンスが悲しいのはイヤッッ」

死んだ父の葬式のリベンジマッチ。

最初に言いますが、物語上で人は死にます。でも絶対に、何が何でも幸せな話にします。

絶対に全員幸せにします。ラストダンスが悲しく無いように、楽しい葬式のお話になります。

大好きなお父さんへの鎮魂歌。

興味が湧いたら是非。お越しください。

東京にこにこちゃん        萩田頌豊与


追記。

本公演をご覧頂きましたお客様、誠にありがとうございます。また、文章だけでも読んでいただきましたお客様も誠にありがとうございます。

有難いことに沢山のお客様に観ていただき嬉しい限りです。父も草葉の陰で喜んでるかは分からないですが、観ていたなら確実に褒めてくれたと思います。父は俺がやること何でも褒めてくれて、特に風邪の時に薬を飲むと「お前は薬飲むの上手いなー」と褒めてくれましたし、予防注射とか打たれた時も泣かないでいると、「お前は注射打たれるの上手いなー」と褒めてくれました。何でも良かったんだと思います。

感謝も込め、父の墓参りに行ってきまして、所沢なんですが、父の兄もそこには埋葬されているので、生前の父とも来た場所で、懐かしさに少しセンチになって父の墓前に手を合わせたんですか、あの時って何考えます?なんか恥ずかしくないですか?死んでるのに、目の前にいないのに、なんか久しぶりに父にあったようなあの感じというか、元気だった?なんて思ったりしちゃって、おお、元気だったか?なんて勝手に父の返事をして、死んでるのに。死んでしまったら思い出にしかならなくて、その先のその人の物語はもうないから。結局公演好評だったよ。なんて俺が思っても、結局自己満足なのかとかいろいろ考えて、でも、前述したとおり本当にたくさんの方がいらっしゃって、物語を見てくれた。俺と母しかいなかった父の葬儀。少し遅くなったけど、ド派手にやってやりましたよ。だから意味がなかったわけじゃないんだと思います。

あの物語で父の物語を少しでも多くの人に知ってもらえたことが嬉しかった。だから『ラストダンスが悲しいのはイヤッッ』は大切な作品で、ようやく手応えを感じた作品がこの作品で本当に良かったと思った。もう少し大きくなったらさらに大きな場所でまた。

長々とすいません。

明日、上映会です。3日間の限定配信となりますが。是非観てください。宜しくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?