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Life can be so sweet.

テレビは、あまり見なくなった。
子どもが生まれる前は、
仕事から帰ってきたら、まずはテレビをつける。
見ていなくても、テレビはつけて、音は流しておく。
見たいテレビは、録画予約。
週末は、予約しておいた番組を見て過ごす。
そんなテレビっ子だった。


しかし、息子が生まれてからは、
私がだらだらテレビを見ることがなくなった。
息子に長時間、テレビを見させたくないな、とは思っていた。
ある日、
「きゃんぺんちゅー」と言い始めたので、
これは、吟味しないと大変だと思ったのが、1番の理由だ。

「え? きゃんぺんちゅー?」

それほどテレビは見させていなかったのに、
子どもは、スポンジのように、身の周りの言葉を吸収する。
観察してみれば、多くのコマーシャルの最後は、
「きゃんぺんちゅー」で
終わっている。
「さすがだな!我が息子。」
と感心した。


コマーシャルだけでなく、バラエティー番組やドラマ、ニュースに、報道、
ネットも含めて、すべてのコンテンツは、
作成者の意図がある。
社会のバイアスがある。
時代の人権意識や社会規範、
ありとあらゆる考えに対する価値が反映されている。
そういった「作られた価値感」と膨大な情報を、
テレビを通して、柔らかい頭脳にインプットしていると思うと、
ちょっと、怖い。
私自身も、その「作られた価値感」を、
当たり前のものとして受け取り、つい最近まであまり意識していなかった。親がメディアリテラシーやネットリテラシーに敏感であることは、子どものリテラシーにも大きく関わる

自分の頭で考える力や、批判的に考えることのできる力が育つまでは、
テレビを安易に見せたくないなあと思う。



しかし、
しかしだ。やっぱり、忙しい時は、神様、Eテレ様、NHK様だ。
朝ドラの『カムカムエブリバディー』は、
この1か月、私と息子で見ている。
もちろん、この1か月で
「くらやみでしか、みえないものがある。けんざっ!」
と、キッチンからおたまと、菜箸をもってきて、ふりまわす息子がいる。
しょうがありません。
おかあさん、見たいんだもん。


昨日、3月9日の『カムカムエブリバディー』は、心に響いた。
主人公ひなたと交際していた五十嵐に、
ひなたの父錠一郎が話した過去の自分の話。
私の数年前の思いと重ねてしまい、思わず涙があふれてしまった。
「私もつらかったんだ。」
「私も暗闇で光を探していたんだ。」
と気づく。


「暗闇にかすかな光が見えた。るいの手をつかんで歩き始めた道の向こうに。そしたら、生まれてきてくれた。まぶしい光の塊みたいな、ひなたが。」

「カムカムエブリバディ」NHK


人生は短い。
人生という船の操縦士は、自分だ。
時には嵐や台風の夜もある。
それでも、穏やかな海に必ず戻る。
止まない嵐はない。朝のない夜はない。
与えられた人生の船を、
希望の航路に向かって、私は操縦したい。
と、涙を拭きながら思うのでした。




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