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世の中は、応援で作られている

私の息子は、たくさんの人に可愛がられている。
知らないおじいちゃん、おばあちゃんにもよく声をかけられる。
今日、息子は、知らないおばあちゃんに、
クリームバナナパンを頂いた。
これには、ながーい前置きがある。

今日、昼食に食べるパンを買いに、パン屋さんへ行った。
パン屋は、幼児を連れた家族には、
なかなか足が向かない場所のひとつではなかろうか。
うちの息子は、行動力があり、自己主張の強いので、
静かにパンを見つめることなんて、
まあ、できない。
目の高さに、見たことのない物体が置いてあれば、
 ①なんだろう
 ②触ろうとする
 ③親にダメと言われて、行動を否定される
 ④泣く、わめく
 ⑤即退場
となる。

お店に入る前に、
「お手てを繋いで、ママと一緒に歩くんだよ。」
「商品を触ったら、帰るよー。」
「うん。」
とお話をした。
スーパーでも、少しずつ静かに買い物ができるように
なってきていたから、「できるかも」と少し期待をした。
しかし、母の期待はすぐに裏切られる。
私の手を振り払い走り始めた息子を諭しても、もう何も聞かない。
抱っこをしてお店を出ようとする。
しかしその強制終了が気に入らなくて、
泣きわめく声は更に大きくなる。


泣く息子をあやしながら、駐車場を歩いていたら、
知らないおばあちゃんが、
「孫だ。孫とおんなじ。自分の孫は遠いところにいるから。」
と言って、クリームバナナパンを息子に渡してくれた。
丁寧に断ろうとしたが、おばあちゃんは息子にパンを渡し、
自転車に乗って
「孫だから。」
と言って行ってしまった。


きっと、あのおばあちゃんは、
お店の中で、息子と私のやり取りを見ていたのだろう。
店内で泣く男の子と、困っている母親。
お店のお客さんの中には、
「泣くのが分かっているなら、連れてこなけりゃいいのに。」
と思っていた人も、きっといただろう。
「迷惑を考えているのだろうか。」
と、息子の親である私を冷ややかな目線で見ていた人も、
きっといたと思う。


じゃあ、連れてこなければ、よかったのか。
今日の私の判断は、
息子とパン屋に行き、息子にも選ばせたかった。
何回かのお店での失敗で、
連れて行かなかったこともあったし、
今でも連れていかない場所もある。
そんな中で、今日は、
このお店で息子とパンを選ぶという経験を共にしたかったのだ。
判断としては、もしかしたら、誤っていたかもしれない。
でも、連れていかなければ、
息子はまだパン屋で静かに選ぶことが難しいこともわからない。

そんなことを考えると、子連れで行ける場所とは、
誰が「行ける」と判断しているのだろうと考えてしまう。

周囲の目か。
いや、周囲の目の一部と化してる「親自身の目」か。


そんな複雑な思いで、駐車場を歩いている息子と私に、
パンをくれたおばあちゃん。
おばあちゃんは、ただ、息子にパンをあげたかったのかもしれなかったが、
「がんばれ。がんばれ。大丈夫だ。パン屋においで。」
と言っているように私には思えた。

世の中は、応援で回っているのかもしれない。
誰かが、誰かの応援することで、
笑顔が戻り、不安が安心になり、心強くなる。
優しい気持ちが連鎖し、穏やかな気持ちになれる。
その心の元気が、世の中をまわす源になっているのかもしれない。
今日、おばあちゃんに頂いたパンは、
少なくとも我が家を今日一日笑顔にしてくれた。
母も息子も笑顔でパン屋から帰ってこれた。
息子は車の中で、パンを一口食べただけで、
あっという間にご機嫌になった。
おばあちゃん、本当にありがとう。
おばあちゃんのクリームバナナパンは、
私にいろんなことを考えさせてくれた。
きっと、ずっと忘れないと思う。









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