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誕生日を忘れられて拗ねている

多分誕生日を祝うのって、人間限定でしょ。地球では。1年また生き延びた、良かったね〜!っていう、個人的なお祭りのことを誕生日というのかな。とにかく、その人が生まれたことを喜んで、いてくれてありがとう!大好きだよ!って伝えるのが、誕生日だろうね。違う?

と、思ってたんだけど。ボクの相棒は明日がボクの誕生日だっていうのに、皮膚科の予約を入れた。15時から!その電話を横で聞いていたボクは…ええ〜?!とシリカ水を吹き出しそうになった。1週間くらい前に「そういえばもうすぐニコの誕生日だね」って向こうから言ってきたじゃないか。知ってるでしょ?うっかり忘れたの?

相棒とボクは知り合ってから8年目。だから、知り合ってから8回ボクの誕生日があったはずなのだが、そういえば、何だかあまり誕生日に二人でどうこうしたとかすごく祝ってもらって嬉しかったという記憶がない。

そうだ、去年は友だちのシゲちゃんがたまたま来て、インド人がやっている本格カレー屋に連れて行ってくれて、祝ってくれた。それで、相棒も一緒に来てみんなで美味しいカレーを食べたんだった。そうだ、そして相棒はボクに誕生日のプレゼントとして、でっかいスイカを丸一個、贈ってくれた。ボクはスイカが異常に大好きだし、毎日暑くてウンザリする天気だったから、嬉しかった。でもさ、よく考えてみたら、シゲちゃんがお祝いしてくれると聞いて、自分は何にもしないのはヤバイと考えて、慌ててスーパーで買って来たに違いないスイカだったよね。それでも、ボクはその気持ちが嬉しかった。来年も、スイカ頂戴!って思った。

今、書いてて、「自分、小せぇ〜」って思って笑っちゃうんだけどさ。どうでもいいじゃん、誕生日にチヤホヤされないからって、子どもか!!って突っ込まれそうだけど、でも、誕生日って、家族だったら、一大イベントじゃないの?少なくともウチの実家はそれなりにそうだった気がする。最近、友だちの盛大な誕生会に招待された身としては、我が身の哀れさに落ち込むのである(人と比べると不幸になるという典型)。そんな盛大な誕生会などもちろん望んでいないがせめて、いちばん身近な家族くらい、注目してほしいわけよ。大人なのにそんなこと思ってるボクはバカなのかもしれないが。

まあ、もともと「夏休み生まれ」のボクは学校でみんなに「おめでとう」とか「今日、誕生日だよね」とかチヤホヤされることもなく、誕プレの山が机の上に展開することもなかったのだが。ボクに密かに惚れている何人かが、匿名のプレゼントを郵便受けに入れてくれたり、電話で呼び出されて、家の近くの空き地で誕プレを手渡されるという、青春の胸キュンもあったことはあったが、それはまた別の話で、とにかくボクは、一番近い人くらいはチヤホヤしてくれてもいいじゃないかと恨んでいるのである。

ボクは、考える。反省する。誕生日だから祝って〜。こっちが催促しなくても、「誕生日だね!」「君のためにこんなこと考えたよ!」「一緒にお祝いしよう」ってボクのこと考えてて欲しかった。そんな身勝手な期待と要求は「相棒はボクの誕生日より皮膚科の予約の方が大事」という事実によって打ち砕かれてしまった(皮膚科は急を要さない、いつでもいい予約)。

しかし、人生を昇華しようと考えるとそれは、誕生日を人に祝ってもらえないから、忘れられたからって拗ねるとは、どんだけ「クレクレ君」なのか!恥を知れ!という自己反省に繋がる。クレクレ君とは、いつも「かまってクレ」「教えてクレ」「何かしてクレ」「助けてクレ」「金をクレ」「クレ…!クレ…!」と、いつも欲しがってる輩のことだ。だよね。子どもじゃないんだから、どこのどいつが、自分の誕生日を家族が(ていうか人生の伴侶だけどさ)忘れたからって、拗ねてるのさ。って話。

だが、ボクはモヤモヤする。ボクは人間ができているフリをするより、自分の未熟な気持ちを表現してみようと試みる。軽い気持ちではあるが、正直に言ってみたら何が起こるか、興味があった。だって、誕生日だよ?誕生日。ほんと?これ、フツーのこと?世間のみなさん、ボクがオカシイ人なの??って気持ちがまだある。そして相棒のことを理解するためにも、ちょっと観察しつつ、カードを切ってみることにした。

ニコル「明日、ボクの誕生日なのに、急ぎでもない医者の予約入れちゃって、祝う気持ちないの?」

ザック「え?、あっ、おめでとう。(慌てて)医者は30分で終わるから、映画でも行く?」

ニコル「別にいいよ、忘れてたんでしょ? 興味ないんでしょ? 無理しなくていいよ」

ザック「そういうわけじゃないけど、何していいかわからないんだよ。どうして欲しいか言ってくれればそうするけど?」

ニコル「どうして欲しいとかじゃなくて、全然気にも留めない気持ちが寂しかったんだよ。君のママとかには、もうすぐ誕生日だね、何か欲しい?とか電話してるじゃない?」

ザック「それなら、何か買ってあげようか?」

ニコル「いらない。そういう意味じゃないんだよー。気持ちだよ、キモチ。何して欲しいとか、何か買って欲しいとか、そういうことでは無いんだよ。ボクを大事に思ってるのが感じられるだけでよかったんだよ。だいたい、こっちから言ってやってもらっても嬉しくないよ。」←どんだけ身勝手(笑)?

ザック「オレ、何していいのかわかんない」

ニコル「わかるでしょうが。子どもの頃、誕生日のお祝いしたことないの?」

ザック「ない。クリスマスとかそういうのも一切無かった」

ニコル「えーっ?! 君のママ、美容師で忙しかったから…?」

ザック「そういうわけでもないけど、必要ないと思ってたみたい」

ニコル「えーっ、信じられない! そうなの?!」

ということで、相棒は心の底から、誕生日だから何かをする必要性を感じていないらしい事が判明。悪気はなく、ただ、そういう考えの家庭に育ち、フツーにそれを受け入れてきたからで、彼にとってボクの拗ねた態度は道端でチンピラに絡まれた感じの、理不尽な出来事だったかも知れない。

調べてみると「一人一人の誕生日を祝う」というのは明治以降に少しづつ始まり、現在では一般的になったが、日本では古来、年齢を数え年で数え、一年の初めに全家族が年重ねの祝いをしたそう。

そうかー。

ボクは自分を恥じた。誕生日なんだから、きっと祝ってくれるかもと勝手に期待して、相手が自分の期待通りではないとわかると、ひどいじゃないのと言いがかりをつけて拗ねてた。考えてみれば、ザックはいつも優しくて、良くしてくれてる。毎日が誕生日並みの待遇だ。ボクもそれに応えようと頑張っているが、どっちかというとボクの方が薄情かも。

ボクは明日、自分で自分を祝うことにする。そして、ボクに優しくしてくれる彼や家族や友だちに、改めて感謝する日にしよう。

このところ本を読む時間すらないので、溜まってしまった本を読んだり、大事な人たちに手紙を書いたり、これからの自分の行く道を思い描いたり。

ボクの拗ねた気持ちは、こうして持ち直した。人は違う。全然違う。ひとりひとり違うし、家庭によっても違う。誕生会もクリスマスも何もないというのは衝撃だったけど「必要ない」と思ってる人がいたって別にいいと思う。

そう思うと、毎日が特別な日だし、毎日の愛情表現で十分なのだ。

ボクは、誕生日じゃなくてもケーキを焼くし、プレゼントもするし、誰かを喜ばせようと考よう。毎日が誕生日みたいに、楽しく過ごそうと努力しよう。

たとえ、誰も周りにいないひとりぼっちになったとしても、毎日、自分の誕生会していよう。

はっぴーばーすでー!


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