答えはあるのか

もう少しで1年経つので、少し気持ちを整理するついでに、文章にしてみようと思う。

かなり長くなるので、いくつかに分けて書く。

2020年の3月23日の15時45分、私のスマホに1件の留守番電話が入っていた。発信元は母。
時間まで正確にわかるのは、その履歴を消せないでいるから。

その日は朝から研究室にいた。
下についてる当時の3年生2人が飼育に行き、私は研究室に残って必要なものを準備していた。
すると、1人が血相抱えて帰ってきて、ラットが2匹死亡していたと報告してくれた。
急遽、病理解剖をすることになり、全てが終わったのは15時近くだったと思う。片付けを終え、自分のデスクでお茶でも飲んで、少し休んだら明後日の解剖の手順を3年生と相談しようとしていた。

そこで不在着信と留守番電話に気が付いた。

廊下に出て留守番電話を聞く。

焦りながら誰かと話している母の声が聞こえるだけだった。

母は一度、狭心症の疑いで救急外来に掛かったことがあるから、また発作のようなものが出て、助けを求めて電話してきたのかと思い、急いで電話を掛けた。
すると、不安そうな声で母が電話に出た。
でも具合は悪くなさそう。
……じゃあ、誰が?

お母さんが具合悪いのかと思って…何かあった?

お兄ちゃんが部屋で倒れてて、今救急車で病院に向かってるの

「お兄ちゃん」とは母の弟、私たちの叔父のこと。
物心ついた時から「叔父さん」とは呼んだことがなくて、ずっと「お兄ちゃん」と呼んでいる。

いつ倒れたかはわからないけれど、部屋で意識がない状態で倒れているのを母が見つけ、救急車を呼んだらしい。
私のスマホに留守番電話が入っていたのは、救急隊の人と電話でやり取りしている時に、気が付かないうちに私に電話を掛けていたようだ、ということだった。

そこから私は、父と姉に連絡して、研究室の先生に事情を説明し、急いで叔父と一緒に住んでいる祖母の元に向かった。

電車の中は泣きそうになるのを必死に抑えていた。
意識がないと言っていた、死んじゃったらどうしよう…
余計なことは考えないように、姉と今晩どうしようか連絡を取り合い、乗り換え駅の商業施設で家族みんなの夕飯を買いながら祖母の家に帰った。

叔父は脳内出血だった。
手術室が空くのを待って23時頃から手術が始まった。

祖母を1人にするわけにいかないので、買ってきた夕飯を食べてから、祖母宅から徒歩10分ほどの我が家に、姉と祖母と私の3人で歩いて帰った。

祖母と手を繋いで歩いたあの光景は、多分忘れないと思う。
夜も更けた暗い道に、姉と祖母と私の3人。
祖母の不安な気持ちが、繋いだ手から伝わってきた。


祖母と姉と、川の字に布団を敷いて寝た。
祖母はずっと家族の話をしていた。姉はそれに相槌を打っていた。
私はとても疲れていたので、瞼が重くて仕方なかった。
私って案外図太いなと思った。


深夜になって、父と母が病院から帰ってきた。

手術自体は上手くいった。叔父が目覚めるかは定かでない。


次の日、私は解剖の準備を3年生に任せ、研究室を休んだ。
父と姉は仕事に、母は病院に行くから、祖母を1人にしないように、祖母宅にいた。
しかし、正直その日何をしていたのか、ほとんど記憶がない。
3年生からLINEが来て、色々指示を出していたのは覚えているけれど、肝心の叔父がどうとか、母が何をしていたとか、祖母がどんな様子だったかとか、まるで記憶にない。
上の空だったんだと思う。

叔父の意識は戻らず、しばらく入院するという話を聞いたことは覚えている。
3月23日の前日、22日の24時ごろ叔父の部屋がある2階から大きな物音が聞こえた、という祖母の話から、どうやら倒れてから12時間以上経って母が発見したという話も。
あー。それじゃあ意識が戻るのは難しいかもな。
と妙に冷静な気持ちで考えていた。

家中がそわそわ落ち着きなくて、みんな不安そうで、私の気持ちも暗くて、そんな感じで1日が過ぎた。


明日の解剖早く終わるかなぁ、準備無事に出来たかな、解剖嫌だなぁ、と考えながら寝た。

案外、私は図太いらしい。


否、多分現実を見たくなかったのだと思う。

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