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② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(3)

🔸 日蓮大聖人の祈り。仏教で行う祈りは、仏法の道理でもある。

日蓮大聖人も教化の一助として、時に応じ加持祈祷を行ったことは御遺文からも伺えるしこの事は明白である。たとえば、伊豆流罪の折に地頭伊東八郎左衛門の病悩を祈祷『船守弥三郎許御書』に見るをしたり、母のために病気平癒の祈祷『可延定業御書』を見てもその事が伺える。

されば日蓮悲母をいのりて候しかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。

『可延定業御書』定本番号=163/祖寿=54/文永12(1275)/対告衆=富木尼/著作地=身延/真蹟=中山法華経寺/真蹟現存(完存)

このご遺文は、富木尼の病気を知った日蓮大聖人が富木尼に手紙を送り、自筆で姓名と年齢を書いて知らせてくれば日天月天に祈願をすることを伝えた手紙である。尚、末文には、伊予阿闍梨日頂聖人が、心配をして法華経の自我偈を読誦して日月天に祈りを捧げていることまでも書かれている。日頂聖人は、富木常忍の養子であり富木尼の身内という事になる。

命は三千にもすぎてそうろう。しかもよわいもいまだたけさせたまはず、しかも法華経にあわせたまいぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命や、あらをしの命や。御姓名並びに御年をわれとかかせ給ひて、わざとつかわせ。大日月天に申しあぐべし。
伊予殿もあながちになげき候へば日月天の自我偈をあてそうらんずるなり。恐恐謹言。

『可延定業御書』

日本の佛教は、印度とも中国ともまたは他の国々ともその特色は異なるものであり、日本の風土や歴史、その中にも人々の暮らしとともに独自の佛教文化を築いてきたものである。かのチベット仏教ですら、もともとあったインドの仏教とは異なり、活仏というそのチベット特有の宗教思想からして大きく違いがある事からも見てとれる。
よって日蓮宗、法華門下の木剣と名付けられる法具も大聖人ご入滅後に世間大衆の声と心に求められてきたものであり、それらに応ずるは釈尊の柔和にして種々に法を説き、三車火宅(下部画像参照)を方便として、それらの御心は牛車の一乗へ衆生を導こうとされた事は、求めるを感じて之を与えるの教摂理である。仏法の道理である。佛は仏九界の衆生の意楽に随って説くところの経々を現じたるに同じことである。
祈祷、祈りとはお題目を忘失しているには非ず、むしろ法華経への信心を強大に増幅している勇猛精進の顕れである。
であるからこれらを非難されるも受けるも、その理由は全く無いのである。

② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(4)へ、つづく。
🔸 普段から数珠を用いてご本尊、仏、法、僧の三宝の印相を僧侶に関わらなく檀信徒も示している。


①【日蓮宗のご祈祷の事】
🔸日蓮宗法華の修法意義とその起因

②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(1)
🔸日蓮宗の木剣加持修法の正当性

②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(2)
🔸 日蓮宗で広く使われているお札の形と木剣の関係性


『妙法蓮華経譬喩品第三』に説かれた喩えはこんなお話し。釈尊は方便を用いて導き救った。