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あなたは人生をトータルで考えますか?──競艇を愉しむための序章

「ギャンブルなんて、儲からないでしょう?勝ったときだけ調子よくても、トータルしたらマイナスなんでしょ?」という人がいます。それは、その通り。あなたが正しい。議論の余地もありません。
一縷の望みとして、トータルでプラスにできるとしたら麻雀かな、とは思います。にしても、それに費やす時間と労力を、自身のキャリアアップとか有意義に使ったら、その収支はやっぱり赤字決算かな。
競馬には馬券師と呼ばれる生粋のプロもいますが、それはかつての本業を捨て、血の滲む努力の結晶として今がある、という気がします。勝手な想像ですが。それとて資質にかかわることで、道を極めるには、相応の覚悟が必要でしょう。
それはさておき、われら小市民は、競馬に、競輪に、競艇に、栄光とロマンに満ちた明日を、愛と青春の旅立ちを賭すのみ。
この日のための500円で10万円貯まる缶詰を開き、いざ年末総決算の中山競馬場をめざす、あの高揚感。そして、レースに参加するために、投票券という名の招待状を手に入れる。わたしたちがギャンブルに求める幸福は、まさにその瞬間にほぼほぼ完結しているのでは、と思います。レースの結果は、大売出しのガラガラポン。醤油を買ってハワイ旅行が当たっちゃう人もいるわけで。
劇作家であり歌人であり、馬主でもあった寺山修司は、冒頭のトータル論について、均して考えるのはドラマの否定である、という主旨(言葉は正確ではありません)を語っています。
重要なのは、長い年月を顧みて「預金金利ほどのプラスは確保できたナ」ということではなく。求めるもの、それは、ドラマであるのだと。ある瞬間に限定された、命運の獲得なのだと。
3勝7敗の中にも、輝きが散りばめられていたという記憶。とりもなおさず、生きる証とはそういうことなのでしょう。
競艇についても、トータル論はさておき。少なくとも、投資などという了見は持たない方が身のためです。
とはいえ、そこそこ儲けたり、損したりしながらも、永い年月を愉しめる趣味として「手の内に入れる」のは、それほど難しいことではありません。聞いたふうなことをいわせてもらえば、大切なのは流されない頑固さと、耳を傾ける柔軟性。自分自身のセオリーを、ひとつずつ確かめながら積み上げていくことかと思います。
わたしは本職は競艇、競馬は趣味というスタンスで向き合っています。本職といってもそこは言葉のアヤ、もちろん本業は別にあります。
競馬はここのところG1のみの参戦ですが、競馬ラボの水上さん、ネット競馬ドットコムのメシ馬さんや卍さん、井内さん、そしてユーチューブのエルコンドルさんの予想を参考にしています。それぞれ血統や調教の専門家であったり、門外不出のセオリーを確立していたりと多士済々。消していた馬に重い印を打ってたり、まあよく当ててくれます。何人かの予想は有料ですが、それでもワンコインレベルです。
草競馬流浪記の著者でもある作家の山口瞳さんは、競馬で勝ったらスーツを新調するのだとか。わたしもそれに倣い、儲かったときには凝った意匠の椅子だとか、どこそこの絨毯だとか、日常の半径内で使うようなモノを選んでました。深手を負ったときなど、これってあのときのあれだよな、とそれらの戦利品を眺めているだけで明日への勇気も湧いてこようというものです。
いまは、ネクタイも黒と白が一本ずつあれば間に合うシンプルな暮らしにつき、旨いものを食べに行くくらい。
これは〇〇選手に買ってもらった腕時計。今日は〇〇選手のおごりで廻らない寿司屋ヘ。なんていうのも、ささやかなドラマではあります。

なにはともあれ。
ゆったりとコーヒーでも飲みながら、好きな音楽をBGMに、競艇を愉しみましょう。あわてる古事記は女神を逃す。コクと風味に満ちあふれた趣味として、ときどきの幸運が降ってくることを祈りながら─。

予想について─。
だいじなのは「競艇ってこういうものなんじゃないだろうか」といった、いわゆる概念らしきものなのではと考えています。
競馬、麻雀、囲碁、将棋、ボードゲーム─種目を選ばず、それぞれの遊びの建て付けへの理解が、手の内に入れることの道すじなのではと。
あなたのセオリーも、1世紀半もの構築途上にあるサグラダファミリアのごときもの。当サイトの予想のエッセンスが、その完成予想図に組み込まれますように。

イラストは、「コーヒーを飲む猫」。このコラムで言いたかったことって、この一枚で言い尽くされてる。うーん、やっぱり絵の力はスゴイ。作家に感謝。


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