こころとカラダの話<その2>

前回からの続きです。
今日は「聖なる予言」と「第十の予言」から私が得たことを交えてお話しましょう。
文中には、自分のバースビジョンを思い出すことにより、自分が何のためにこの世界に生まれてきたのかを知ることが出来ると書かれています。

私は子供の頃から精神世界に惹かれる傾向がありました。
思春期には、自分がなぜ生きているのか?どうしてここにいるのか?ということを良く考えたものでした。

成人して社会人となり、日々の忙しさの中で、そんな思いも途切れがちになってしまいましたが、ここ最近起こっている世界規模の様々な出来事が、再び精神世界への学びを深めるきっかけになりました。

話はバースビジョンに戻しましょう。
私たちは自分の両親を選んで生まれてくると言われています。
私も自分がどうしてその両親を選んできたのか、いまだに深い理解には至っていません。

私は、あまり仲の良くない両親のもとに生まれました。
母は、自分の思い通りに人が動かないと気が済まない傾向のある人でした。
半面、父は自由人で家族や家庭にはあまり興味のない人でした。
母にとって、家庭に無関心な父は常に不満の種でした。母の愚痴を聞かされて育った私は、結婚して自分の家庭を持つということが、人生の重要な選択だとは思えなくなっていったのです。
それどころか、両親の傾向を受け継いだ若いころの私は、恋愛もあまり長続きしませんでした。

私が背負ってきたカルマは何なのか?
いまだに理解できていないことも多いのですが、そのひとつは自分のエゴと向き合い、人を変えることは出来ないということを学ぶことだったのではないかと思っています。

人を変えることは出来ません。
変えることが出来るのは自分自身だけ。
自分が内なる自分と向き合うことによって、自分の中の光に触れることが出来るのです。そのことをセラピストという仕事や、今までの人間関係で学ぶことだったように思います。

夫とは50歳を過ぎてから知り合い結婚しました。
彼はバツイチで、最初の結婚に失敗しています。
私たちの結婚は互いをリスペクトし、今までの家族関係で学びきれなかった家族愛を学んでいくことではないかと思っています。

パートナーへの不満は、見つけようと思えば、いくらでも見つけることが出来ます。
でも、そんなものを見つけたところで相手は変わりません。
だったら、良いところをたくさん探して、相手へのリスペクトを深めていくことの方が大切なのではないでしょうか。

離婚した親を持つ子供も離婚をすると良くいいますが、これも離婚というカルマから抜け出せない現象なのだと思います。

職場での人間関係でも同様です。会社の上司や同僚への不満を募らせているばかりでは何も変わりません。変わることができるのは、あなた自身です。

私たちの現実は私たちの意識が作った世界です。
私たちが存在する物質世界はすべて波動でできています。
(これは近い将来、量子物理学の分野ではっきりしてくることと思います)

不平不満や愚痴などを言葉にすると一瞬にして波動は下がります。
言葉には「魂」が宿っています。先人たちは言葉を大切にしてきました。
それは発する言葉によって、愛にも毒にもなることを知っていたからではないでしょうか。

今という時代はSNSの発達により、様々な情報で溢れかえっています。
また動画というツールが発達したために、かつての活字での情報から、動画を通じ発信者の言葉を耳にすることが多くなってきました。
私たちは波動を下げるネガティブな情報に振り回されないためにも、情報は自分で取捨選択していくことが大切です。
そのためにも内なる自分に繋がり、直感力を磨くことです。

知っておいて欲しいのは、芸能人や政治家、また大手メディアやYouTubeで発信している人は(全員がそうとは言いませんが…)すべてそれが発信元の収入源であり仕事だということです。

低くなってしまった波動は、さらに重さを増し毒となって、こころやカラダを蝕み始めます。
だからといって、私たちは仙人ではありませんから、ネガティブな思いを抱くことも当然ながらあります。それはそれでいいのです。
ネガティブな思いに捕らわれた時には、ネガティブな自分を認め、その周波数を手放していけばいいのです。

私たち日本人は『調和』というDNAを持つ民族だといわれています。
でも、その『調和』を間違って使っていないでしょうか。
『調和』とは、自分と同じことを人にも求めることではありません。
『調和』とは、相手を尊重し協調していくことです。
人の行動にフォーカスするのではなく、内なる自分へフォーカスして、まずは自分自身を愛すること。それができてこそ、自分以外の人や動植物に対して真の思いやり『愛』が生まれるのではないでしょうか。

最後に動物のホメオパシー医、森井啓二さんの著書「光の魂たち」の一文をご紹介して終わりたいと思います。

自分の中に内在する光
あなたのためにそこに至る道を明らかにしよう
満開だった花は散り、葉も落ち、木には何も残っていないように見える
それと同じように外見からでは、見ようとしても見えないものがある
見えないものを視なさい
そして、見える見えないに囚われずに超越しなさい
囚われから開放されれば
あたかも逆様に牛の乗って仏殿に入るような
外観に囚われない自由自在の境地に至るであろう
自己に内在する光は、このように超越したところに在る

光の魂たち 植物編
森井 啓二著
(株)きれい・ねっと

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