脳梗塞になってしまった

 2023年は,我が人生最悪の年であった。脳梗塞(正式には,延髄梗塞)を発症したのある。連休初日の4月29日の夜,右の鼻の奥が非常に痛くなり,鎮痛剤をのんだのであるが,目まいと同時に嚥下障害を感じたのである。水がうまく飲めず,自分の唾液を飲み込むこともできなかったのである。休日だったので,市の休日診療所へ行ったが,目まいの薬を処方されただけであった。(この段階で,脳梗塞と分かれば,もっと早くに治療を開始できたはずであるが,目をつむって両手を前に出しても,どちらの手も下がらなかったので,脳には異常がないと判断されたようである。入院中も,しばしば,看護師さんに,目をつむって両手を前に出すように言われたものである。大脳以外の梗塞だと,どちらかの手が下がるか下がらないかは梗塞の診断基準にならないようである。)翌日も休日だったので,5月1日にいつもいっている耳鼻科に電話をしたら,すぐ,CTをとってもらえということであった。5月2日に大きな病院に行ってCTとMRIをとってもらうと延髄梗塞という診断で,即,点滴をされ,救急車で,ある総合病院の脳血管外科に搬送された。(脳梗塞が疑われる時には,とにかく救急車を呼ぶべきであるということは,後ほど,知った。)
 最初は,急性期ということで,集中治療室に入れられた。歩けないので,オムツをしてもらって,用を足したい時には,看護師さんを呼んで,尿瓶で尿をとってもらうことになった。一日に何回も昼夜を問わず,看護師さんにオムツ交換をしてもらうことになった。しばらくして,車椅子でトイレにつれていってもらうようになったが,夜は,相変わらず看護師さんに尿瓶で尿をとってもらっていた。若い女性の看護師さんに下の世話をしてもらうのは,恥ずかしいが,仕方がない。
 急性機も終わり,回復期に入ったので,一般病棟に移った。リハビリが始まり,さあ,これからという時に,コロナに院内感染してしまい,2週間の隔離生活となった。まさに,泣きっ面に蜂である。咳や熱は出なかったが(ワクチンを接種していたからであろう),下痢症状が2週間以上続いた。(コロナの症状は,咳と熱と思っていたが,オミクロン株では,下痢症状を呈する人が結構多いとのことであっった。)看護師さんは,防護服を着てオムツ交換にきてくれた。下痢は,リハビリの専門病院に転院する前まで続いた。オムツをして,リハビリをすることになると覚悟をしていたが,幸い,転院前に下痢症状は治まった。
 隔離生活は,2週間ほど続いた。10日ほどして,PCR検査を受けたが,まだ,陽性であるという診断であった。一日おきぐらいで計3回のPCR検査で,やっと,隔離解除となった。約2週間の隔離生活であった。この間,家族とも面会はできず,話をするのは,看護師さんと医師だけであった。隔離解除となった日には,身の回り品は,すべてアルコール消毒され,私自身もシャワー室で全身を洗って,新しい下着(紙おむつ)とパジャマに着替えさせられた。大きな荷物は,ビニール袋に入れられ,3日間は開封するなということであった。
 脳梗塞と言っても,正確には延髄梗塞で,その典型的な症状は,嚥下障害と感覚障害である(これをワレンブルグ症候群というらしい)。嚥下障害は,物がうまく飲み込めない。感覚障害は,身体の左側が温度を感じないのである。左手をお湯につけても暖かく感じないないし,冷たい水につけても冷たく感じない。熱湯に左手をつけても熱くないはずである。退院した後で,レンジで食べ物をあたてめて,左手で取りだした後に,指に水ぶくれができていたことがある。お皿を触っている時には,熱いとは感じなかったのにである。 私の場合は,平衡感覚にも障害があり,歩いている時にふらつくのである。(発症した当時は,ベッドの上に腰掛けているだけで,右側に倒れてしまうほどであった。)物が二重に見えるのもつらかった。リハビリ専門病院に転院してからは,リハビリの合間に,コンピュータを使って,仕事をしようと思っていたが,画面の文字が二重に見えるので,仕事ができなかった。幸い,手足の麻痺や言語障害はなかったので,キーボードで文字入力もできたのである。だから,こうしてコンピュータで文章が書けるのである。
 5月2日に総合病院の脳結血管外科に入院したが,6月9日に退院して,同じ日に,リハビリ専門の病院に転院した。最初の総合病院では,病室の窓からは,隣のビルの壁しか見えなかったが,転院先のリハビリの専門病院では,病室からは,周囲の山々が見えて気持ちがよかった。7月下旬までこの病院でリハビリを続けて,7月21日には退院させてもらった。(この病院のウェッブサイトでは,平均の入院期間は,3ヶ月とあったが,私は,1ヶ月半で退院することができた。これは,普段から,自転車で足を鍛えていたからであろう。自宅から仕事場へは,毎日,自転車で通っていたが,登りの時は,一番重たいギアに(といっても,3段ギアであるが)していたのである。リハビリでは,足の筋肉を強くすることから始めなければならないようであるが,私の場合は,足の筋肉はすでに鍛えてあったのである。)
 リハビリを担当するのは,理学療法士と作業療法士と言語聴覚士である。最初に入院した病院では,まず,言語聴覚士が嚥下障害を担当してくれた。私は,言語聴覚士は,言語障害だけを扱うと思っていたが,それは,間違いであった。言語聴覚士にとっては,嚥下も守備範囲なのである。言語聴覚士が,嚥下障害の程度を診断してくれ(スポイトのようなもので,少しずつ水を飲ませたり,小さく切ったゼリーのようなものを食べさせて,飲み込みの状態を判断する),その診断に基づいて,最初は,ヨーグルトやジュースのようなものから,ペースト状にした食べ物,おかゆ(おかゆと言っても,白い糊のようなもので,実に味気ない)と,だんだんと堅い食べ物に変えていってくれる。転院してから,しばらくして,X線で飲み込み状態を確認した上で,普通の食事を提供してもらえるようになった。このときは,本当に嬉しかった。
 最初,嚥下障害が強い時には,医師から,鼻から管を入れて,栄養剤を胃に入れることを提案されたが,これは,拒否した。胃の内視鏡検査を受ける時に,管を鼻から入れるが,喉に管があると実に気持ちが悪い。胃の検査の時は,数分で終わるので我慢しているが,こんな管が四六時中喉にあるのは耐えられない。結局,100ccで200キロカロリーあるというジュースのようなものを,朝,昼,晩と,2本ずつ,計6本を毎日飲んでカロリーを摂取することになった。バナナ風味,コーヒー風味などあったが,毎日,繰り返すと飽きてくる。おかゆに変わった時は,嬉しかった。
 リハビリ専門の病院に転院してからは,毎日,一日3時間のリハビリである。理学療法士,作業療法士,言語聴覚士の三人が,1時間ずつ担当する。この病院は,年中無給で,日曜日も祭日もリハビリをする。おかげで,入院した時は,車椅子であったが,退院する時は,杖をついて歩けるようになっていた。自宅での日常生活に支障がない程度に回復したところで病院を退院させてもらうことにした。(本当は,もっと入院していて,リハビリを続けた方がよかったのかもしれないが。)退院後は,3ヶ月間,週一回,別のリハビリ専門病院に通って,リハビリを続けた。自宅でも自主トレを続けている。(リハビリは,発症後6ヶ月(多分,180日)までは,保険適用であるが,その後は,自由診療となるらしい。)
 現在,自宅にいる時は,補助具なしで歩き回れるし,外出する時は,タクシーを使用する。しかし,実際にタクシーを利用してみると,以外にタクシー料金が高い。自宅から最初に入院した総合病院までタクシーに乗ると,4000円ほどかかる。往復で8000円である。
 お酒も制限している。アルコールは,大量に飲むと,肝臓でアルコールを分解する時に水分を使用するので脱水状態になり,ドロドロ血になって,脳梗塞が再発する可能性があるので,医師から控えるように言われているのである。以前は,毎晩,日本酒を2合ほど(場合によっては,それ以上)飲んでいたが,現在は,1合までにしている。ビールなら,缶ビール1本である。今年は,忘年会も断った。つらい。
 脳梗塞は,血液中の血小板が固まって血管が詰まることによって起こるので,血小板が凝固しないように,抗凝固剤(血液をさらさらにする薬と言われる)を毎日服用している。この薬を飲んでいると,出血すると血液が固まらないので,けがをしないように注意していなければならない。(入院中に,二回ほど,大量の鼻血がでて困ったことがある。)
 退院した後も,なかなか,元の状態には戻らない。嚥下障害は,まだ続いているし,感覚障害もある。風呂に入っても,身体の右側は暖かいのに,左側は暖かくない。歩くとふらつく。延髄梗塞のせいで,脳幹にダメージがあるので仕方がないが,脳には可塑性があり,ダメージを受けた神経細胞の代わりに,健康な神経細胞が,機能を代替してくれるはずなので,辛抱強く待つしかない。

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