2月24日、「「政治の論理」と「メディアの論理」の交錯―「近代日本メディア議員列伝」から考察する「政治のメディア化」―」に参加しました

 2024年 2月 24日(土曜日)に東京大学本郷キャンパス・福武ホールで開催されたメディア学会メディア史部会の研究会に討論者の一人として参加しました。「近代日本メディア議員列伝」のこれまでに刊行された井上義和先生の『降旗元太郎の理想ー名望家政治から大衆政治へ』、佐藤卓己先生の『池崎忠孝の明暗ー教養主義者の大衆政治』、白戸の『中野正剛の民権ー狂狷政治家の矜持』について、佐藤本を津田正太郎先生に、井上本を清水唯一朗先生に、白戸本を片山杜秀先生にコメントをしていただいて、応答する会でした。司会は片山慶隆先生でした。一度に三冊の書籍を書評するので、タイム・マネジメントなどかなり苦労されたことと思います。

 偶然にもコメンテーターの先生方はみな慶應義塾大学所属であったことや井上先生と清水先生が同じ長野県出身であったこと(ただ、井上先生は中南信の松本深志高校出身であり、清水先生が東北信で長野高校出身という、強い地域対立が!)もあり、会は和気あいあいと進みました。

 ちなみに私と片山杜秀先生との関係は、修士の頃に指導教員の佐藤先生に連れられて日文研の研究会に参加した際に初めてご挨拶をし、その後、京大教育学研究科で教育社会学の稲垣京子先生の招聘で開催された片山先生の集中講義を受講した時に、ゆっくりとお話を伺うことができたというものです。2009年の夏のことだと思います(おそらく)。

 この時の集中講義は、片山先生が『近代日本の右翼思想』や『音盤考現学』『音盤博物誌』を公刊された後であったので、その内容と後の『未完のファシズム』につながるものが中心でした。実に美しい鼻濁音で片山節を展開されていたのが、とても印象的でした。また、僕は音楽についてはそれなりに打ち込んだ時期があったので、講義の中で紹介された戦時下の日本人作曲家がマーラーやラヴェルを明白に盛り込んでいたことにとても驚いたのを覚えています。こうした感想を講義後にお伝えしたところ、なんと日本作曲家選輯の矢代秋雄と橋本國彦のCDをくださいました。恐悦至極でした。
 
 そうした思い出に加えて、片山杜秀先生の縦横無尽の博識さは周知のところでしたので、今回、片山先生にコメントをいただけることを大変楽しみにしていました。いただいたコメントはどれも「なるほど片山先生ならここを深く掘るのか」と唸らされるものであり、特に、中野正剛の「民権」の由来(玄洋社からの影響と早稲田大学、とりわけ浮田和民と有賀長雄の影響)、アジア主義の世間への曖昧な浸透、統制と自由の相克、さらに、中野の後年の政治活動は北一輝の構想を継承したものではないかとの指摘は、大変ありがたいものでした。早々に次の研究課題に移ってしまおうかとも思っていたのですが、もう少し粘って調べてみたいと思います。

 他、自分へのコメントではないのですが、津田先生はメディア化理論とプロパガンダ研究からお話され、個人的には「弾丸効果論」問題をどう考えるかとの問題提起はとても重要で興味深かったです(出していただいた清水勲の図も大変おもしろかった)。清水先生の選挙制度変更に伴う新聞の意義に関する問題提起は、メディア史が政治史を参考にしながら進めていく必要があるのではと思い、これも大変重要なものだと思いました(この課題を考えるのにやはり降旗元太郎と信州は適切な事例になるのだろうとも)。

 こうした刺激をもらうためにも、本は出していかねばならないのだと強く思いました。これに関してもう一点嬉しかったことを追記します。学部時代に購読ゼミに出席し、副査にも入っていただいた教育思想史の辻本雅史先生に献本したところ、大変丁寧なご連絡をいただきました。辻本先生が卒論で取り上げたのが、福岡藩の甘棠館(修猷館と対峙していた)の儒者・亀井南冥であり、亀井もまた「狂狷」の儒者と呼ばれていたとのことです(辻本先生の『近世教育思想史の研究』は学部時代に図書館で読んだきりだったので、確認せねばと思っています)。今回の本はここでも自分の卒論につながっていたのだなとの思いを深くしました。

 自分がリプライする久しぶりの対面の研究会でしたが、大変勉強になりました。新しく出会うことができた方もあり、大変嬉しかったです。
 ありがとうございました。
 


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