【感想】井上義和『降旗元太郎の理想』刊行記念オンライン対談 「地方青年名望家からつなぐメディア政治家へ」
2024年2月5日に行われた井上義和さんの近著『降旗元太郎の理想―名望家政治から大衆政治へ』の刊行オンラインイベントを聞きました。対談相手は有山輝雄先生で、地方名望家の条件、蚕種産業の他地域との比較、明治20年代の地方新聞の意味、世代論の有効性など話題が広がって大変おもしろかったです。
『降旗元太郎の理想―名望家政治から大衆政治へ』は濃密な長野県の歴史の記述から始まります。県外者では、なかなかわからない長野県内の地域的な対抗があり、それは筑摩山地など高い山々が県内の大部分を占めていることと密接な関係を持っていました。地域間の交流は薄く、長野県としての一体感よりも、北信、東信、中信、南信の細分化された文化圏が強く存在していました(今も存在している?)。藩から県への移行時における地域間の競合や摩擦は日本のいろいろな地域でもありましたが、長野県もかなり大きなものであったようです。蚕種業と旅館業を営む地方名望家の子として生まれた降旗元太郎にとって、長野の方向性を定め、発展させていくことはとても大きな意味を持っていたのでしょう(ここで長野というべきか、筑摩というべきかはちょっと確認しなければならないです)。降旗元太郎が地方利益を重視したことは、今回の対談で何度も強調されていました。
ただ、降旗元太郎をメディア政治家という時、メディア、すなわち新聞がどういう意味を持っていたのかは今回の対談ではあまり明確にはならなかったように思います(むしろ明確にし得ないのかもしれません)。この点は、井上義和さんの次の降旗元太郎論で大きく展開されるのかもしれません。
これについてあくまでお話を聞いたうえでの私見を述べるならば、降旗元太郎にとっての新聞とは、地域アイデンティティの核になるものだったのではないかなと思いました。現代でも多くの地方紙は、その土地の文化事業やイベントを主催、後援、広報などという形で支援しています。いまだに地方紙は地域アイデンティティを形成する核になる存在であり続けています。降旗はそうした地域アイデンティティの核となる新聞社の守り手になろうとしたのではないかなと思いました。ただ、これは史料に基づかない憶測でしかありません。そういう観点から研究を進めるのもおもしろいかなと思いました。
メディア史のなかでも地方紙はほとんどといってよいほど手のつけられていない資料ではあるので、研究を進めるうえでの方法論や視角が見つけられたら、テーマに悩んでいる学生へ勧めるのも悪くないと思いました。
僕が手掛けた中野正剛とかなり対比的な存在で、次の自分の番で今回の対談に言及しながら進められたら、おもしろくできそうかなと思いました。貴重なイベントでした。
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