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やべえ、切ってしまった


いつから?って聞かれても答えられないくらいだったと思う。


気づけば、わたしは家の中でひとりぼっちだった。


蝉の抜け殻みたいに生きてる


小さい頃から、親はめったに家に帰ってこない。

それどころか、わたしを避けている気もする。


家庭環境は限りなく最悪だった。


小学生の5年生の時から保健室登校になり、ついには学校も行かず、昼時に起きるのがお決まりになっていた。

起きれば13時頃。


冷蔵庫に入った冷凍食品をレンジでチンして、ダラダラ食べて。

それから、すこしぼーっとしてると、もう17時を回ってる。


わたしが住んでいる2階のアパートは、通学路に面したとこにあるんだけど、当たり前に昼には下校した小学生が通る。


その楽しそうな声が、たまらなく、辛かった。


けれど、たとえば、寒い地域に住んでいる人達が寒さに慣れきっているみたいに、わたしはこの生活に慣れきっていた。


知らぬ間に心が壊れたみたいだった。


わたしは、結露している大きなガラス窓をガラガラと開けて、外を見渡す。

何も感じない。

冬の夕風が冷たかった。

夕焼けだ。

あんま、綺麗じゃない。


薄暗い散らかった部屋、壁の薄いアパートの二階、近所を通る小学生、雑音の多いこの部屋。


部屋から出られない私。

全部嫌いだ。

何もかもが、嫌いだ。


毎日18時になると、ピンポンがひとりでに鳴る。

怖くて隠れるように毛布にくるまる。

友達なんてできるはずもなかった。

帰ってこない親を、もう待つことも忘れて、わたしはひとりで長くて、暗い夜を迎える。

わたしは必ず同じ夢を見る。

ひとりで夜の街をぶらぶらと歩く。

街にはなんの灯りもない。

次第に不安になっていって、わたしは走り出す。

走っている内に、神社に街灯の灯りを見つける。

ひどく安心して、わたしはそこに歩き出す。

だけど、腕をふって息を切らしながら必死に走ってもそこには行けない。

走って、走って。

でも辿り着けなくて。


当たり前のように誰も助けてはくれない。



ずっとずっと、わたしに、光は訪れない。




焦って焦って、もっと走って。




もう何を追いかけてるのかも分からなくなって





息が切れて、でも辿り着かなくて





そんな夢を、






見ていた。










「井上さーん」


体がピクっと震えた。


また、耳障りな声がドアの向こうから聞こえてきた。

最近は頻度も増えている。

いつもわたしは寝室に行って、毛布を被る。


けれどその日は、何故かドアを開けたんだ。


「あれ、居たんだ」


同世代くらいの男の子が、そこには立っていた。


「今日もどうせ居ないと思ってたから、居てよかった」


男の子は、そう言ってニコッと笑って、手提げの中に入っているパンパンに膨れ上がったファイルを渡してきた。


「これ、授業のプリント」


ポストに入れててくればよかったのに、とわたしがぼそっと言うと、彼はごめんごめん、顔みたかったんだよ、と言った。


早く帰ってくれないかな、と思ったけど、それとは裏腹にとても安堵していた。


人と話すのなんて何ヶ月ぶりかだったから。


「なんで学校来ないの?」


わたしは、少し戸惑う。


なんて言おう。

どうしようもなく?他人に迷惑をかけないため?
親が帰ってこないから?人が怖いから?

考えて考えて、答えが出なくて、俯いていると、彼が喋った。


「ねえ、今からどっかいかない?」


意味がわからなかった。

第一、もう外には何ヶ月も出てないし、何故ほぼ初対面のこの子がわたしと外に出てくれるんだろう。


「え、ちょっと、やめと………」


「いいからいいから」


わたしは男の子に手を取られて、外に出る。

家の前にとめてあった青い自転車に彼は乗って「はやく」と言った。


なんか、なんだかとても安心した。


「なんだ、笑えるんじゃん」と男の子はちょっと笑いながらそう言った。


わたしが、笑ってる?


最初は意味がわからなかった。


もう感情なんて壊れたものだとばかり思ってたものだったから。


空はいつしか赤と薄い青がまざりあって夕方の空になっていた。

街灯がアパートの前にひとつあって、


そっか、街灯って、こんなに近くにあったんだ。


そんなことを、思った。


自転車の荷台を指さして、男の子は「乗って」と言う。

わたしはひとつ「うん」と言って、言う通りにする。

彼はわたしが乗ったことを確認すると、「つかまっててね」と優しく言って、ペダルを踏んだ。


心地いい風を受けて、布が擦れる。


少し肌寒かったけど、そんなの、ほとんど気にならなかった。


坂道に差し掛かった時、男の子が、「どう?」と聞いてきた。


わたしは思いがけず「楽しい」と言ってしまう。


「でしょ?」


しまった。と思った。


けど、そんな思いも、数秒経てば、消えてしまって、わたしはまた、楽しい、になる。


男の子は安心したような優しい眼差しでわたしを見ていて


それがわたしも嬉しくて、つい声を出して笑ってしまう。


「どうしたんその顔」と勝手に思ってることが口に出る。


そしたら男の子は「なんだよ」とか言いながら照れたように顔を前に向けた。


そのうち、男の子も笑い出して


「あはは」と「えへへ」が混ざったような笑い声が、近所の坂道に響き渡っていた。


自転車のスピードが早くなって彼にしがみついた。


まるで、宇宙に放り出されたみたいに。


わたしたちは2人ぼっちだった。


世界で一番しあわせな2人ぼっちだった。


この子と、ずっと一緒にいたいって、その時強く願ったんだ。



思えば、それがわたしの初恋だった。







「りなー」


ドア際で梨名の名前を呼ぶと、クラスの座席に座って窓の外を見ていた彼女が嬉しそうに振り返った。


「はやく帰ろう」


あれから、梨名が学校に来るようになった。


「待ってた!」


小学生からの知り合い、とは言っても僕らは中学生。帰り道は、なんか気恥ずかしかった。


「あのさ、もうクラスの友達は幼なじみと付き合ったんだって。」

「そうなんだ。」

「うん、だから…」

「ん?」

「だから……な、やっぱ、なんでもない」


正直に言うと、僕も焦りを感じてた。

クラスではそういう恋愛話が常になってきて、鬱陶しくも、ちょっとだけ気になる。

僕だって男だ。

そんなことを考えてると、彼女はちょっと俯いて、「わたし」と言った。

「うん」

太陽が、眩しいくらい照りつける。

光の量に耐えきれず、瞼を一瞬閉じた。


「光なんて、どこにもないと思っててん」

「ん?なんのこ……」

「でも、別にそんなことも無かったんだね」


瞼を開けると、綺麗過ぎるくらい綺麗に、にこっと笑う梨名が居た。


「え?なんのこと?」

「やっぱもう知らんでいいー」

「は、なにそれ」

「あんたは別に知らんでいいのー」




その次の日、

僕は梨名に告白した。











風は僕の頬を触って、緊張を極限まで高めていく。


どくどく、と鼓動が早まってく気がした。


電話を切ってから、数分経つとこつこつと靴が鳴らす音がした。


数秒後、音は自分の前で止まった。


虫の鳴く声がするくらい、境内は静寂だった。


僕は、思い切って振り返る。


街灯1本に照らされて、梨名は立ってた。


「梨名……」


僕の声は、静寂を切り裂くことなく、まだまだ暗い朝の海にポトン、と溶け込んでいった。

と同時に、梨名の頬に、一筋、光が見えた。


思えば、彼女はいつも不安がっていたような気がする。


僕が事故を起こしてからというもの、ずっと寂しそうで、ずっと怖がっていた気がする。


そんなことを考えていると、会話を切り出すのに遅れた。


梨名は不器用に笑って、「あのさ」と僕に言う


「ずっと、こんなんじゃあかんなって、思っててん」

「…いつもごめんねって……なんで言えへんねやろってずっと思っててん」


少しづつ、少しづつ、僕は梨名に近づいて行く。


「ごめん」と言いながら。


彼女を不安にさせてたのは、僕だから。


「でも、あんたがおらんくなったら…どうしよってずっと……」


僕は、ごめん、としか言えなくなる。

極寒の神社で、気づけば僕らは抱き合っていた。


「ごめん…梨名……」


梨名が変わってしまった理由。


多分それは、僕だ。


梨名には頼れる人が僕しか居なかった。


けれど、僕はそれをわかった振りだけして、心配ばっか掛けてしまっていた。

僕が居なくなったら、不登校だったあの頃に戻るって、そう思ってたんだろう。


「ごめん…ほんま…私が悪かった…」


白いであろう息も、中途半端に明るいだけのこの時間帯はまだ、街灯の光の外に行くともう見えない。


僕らは限られた光の中でしか生きていけない。


なのにいつから、2人の見えるものは違ってたんだろう。


神社の中に人は誰もいなくて、2人は一緒に宇宙に放り出されたみたいにぽつん、と立っていた。



梨名は泣いた顔で笑う。



もう小学生からの付き合いだから、何となく強がってることくらいはわかる。


そんな顔をして、梨名は僕を見て言う。


「なんなんその顔」


分からなくなる。いま、僕がどんな顔をしているのか。


でも、酷い顔をしているのは梨名も一緒だった。


抱き締めて。

強く強く、抱き締める。


時間だけが流れてく。



小学五年生の時、全然学校に来ない女の子が居た。

僕は家が近い、ということで担任からプリントを持ってくよう頼まれていた。

普通にだるくて、僕は早く終わらそうとその子の部屋の呼び鈴を押して、名前を呼んで、居てもどうせ出てこないから五分くらい経ったらもう帰るようにしていたんだ。

プリントの手提げは毎日重量を増してく。

帰り道、通りかかったアパートの窓を見ると、女の子が窓から何か物寂しそうに外を眺めてた。

目は1度も合わなくて、見てる方向さえ違ったけど、僕はその子に恋をしてたんだ。

思えばあれが初恋だった。

その女の子は実は不登校の子だってわかって、

ある時ドアを初めて開けてくれたとき、ちょっと嬉しかった。

何を思ったかその日、僕は彼女と自転車に乗った。

それが、僕らの始まりだった。



声を出したのは僕からだった。

「これからは、心配かけないようにするから」

「……ん」

「ずっと、梨名が好きだから」

そう言うと、梨名は声を上げて泣き始めた。

「振られると思った」とか言いながら。


「振るわけない」

「……ほんま…?」

「うん。」


バカップルみたいな会話が、宙に舞う。

僕は。


僕はずっと、君がいいから。


「んー、なんか、仲直りのキスとかしとく?」


まだ涙声の僕は、そう言う。

彼女が僕の胸に顔をうずめる。


「……ドラマの見すぎやって」


可愛らしいツッコミに、僕は思わずははっと笑ってしまった。


気がつくと、日が出ていた。


灰色の鳥が、数羽飛んでる。


生きてると、こんな奇跡が何回もあって、それを繰り返して生きていくもんだと思う。


もちろん、隣には彼女がいて。


僕らは手を握って、時々思い返すんだと思う。


その証拠に、日の出は何かの間違いみたいに綺麗で。


抱き締めた腕を解かず、「わぁー…」と言いながら眺めてる梨名も、何かの間違いみたいに可愛かった。


何故か、泣きそうになった。


ずっと、この子と一緒に入れますように。


そんなことを強く願いを込めて「帰ろう」と言うと、


梨名が「うん」って言う。




それで、僕らは強く強く1歩を踏み出す。






その時、お互いのミサンガが切れたんだ。



















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