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『ブルーで、ライチな、ウィンターサイダー。』


「夜まで残ってなくていいだろーが」

机に向かう。もう夜の闇がそこまで。

受験が迫る冬。
卒業式まであと僅か。

今直面している問題は机の上のプリント。
そう、これ。

数学のテストの直し、明日の課題である。

授業が終わった後、たまたま寝ちゃって、何故かこうなった。それで、こんな時間まで後ろの席の五百城と二人きり。

起きて、ちょっと状況を整理して帰ろうとすると、五百城は引き止めてきて、勉強会しよーや、と言って聞かなかった。せっかくの部活オフなのに。

起きたら17:30
冬の日が落ちるのはとても早くて、もう暗がりはじめている。

それで、今こんなに遅い時間までまともに勉強してこなかった数学に手をつけているわけだけれども。

数学、まじ意味わかんねぇ。

数学。んだって?積分?微分?
クソ喰らえだこんなもん。

勉強。数学。
それはとても大事で、大事?、まあ、この先の人生において大切とされていて何故か義務的に縛られている。

僕は後ろを振り返る。



「だって、家で勉強出来へんねんもん」

「ここでやらなくたっていいとは思いますけどね、優等生さん」

「いいの、ここで勉強すんの!」

この女、五百城茉央。
何故か僕より成績が良くて、何故か僕よりみんなに好かれている。どうやらいいとこの娘さんらしい。

2年の時転校してきたらしい。

勉強ができる?優等生?ふざけんな。

「なんで俺なんだよ」

「あんたがこのクラスで1番成績悪いやんか」

何だこの嫌味な奴は。
第一、理由になってない。逆だろ普通。

教室右から3列目、後ろから3番目。こいつは2番目。
そんでなんで俺が前なんだよ。

「意味がわからないですけどね」

嫌味にそう言うと、ちょっと顔を膨らませて五百城はいじけて机に視線を落とす。

「勝手にゆっとけ、えーっとここが……」

俺は机に向き直す。
もうまじでやめてくれ、数字見ると頭おかしくなりそうになるんだよ。

「帰っていい?」

「絶対あかん」

関西弁、綺麗な顔、淡々と走らせる赤ペン。俺の持ってないもん全部持ってるみたいで、腹立つ。

五百城の事見てると、んぅ……と声が出た。

「なに?」

くっそ。あーもう腹が立つ。なんで気づいたら後ろ振り返ってんだよ。

「いや、なんでもないけどさ。数学ってなんの役に立つの?」

「は?なにそんなこと?」

空も暗い。あー数字数字。
もう帰りたい。けど、帰りたくない、けど。

「じゃあさ」と五百城は言う。

「ジュース奢りを賭けて、じゃんけんせーへん?」

「…えー。」

「ちょっと息抜きに、な!」

にやっと笑うその顔に、俺は一瞬死にかけた。
イケてないって言葉が世界一似合わない笑顔。

「な、なんでだよ!嫌です嫌です」

「ちぇ」

あーあ、と五百城はいたずらに微笑みながら言う。

そういうのほんとに憎たらしい。し、なんかちょっと。かわいい。

金欠だし、明日も食堂で食うし、昨日カラオケ行ったし。

「じゃあ、プラスで、負けた方が相手の好きな髪型する」

「いや別にそんなのいらねぇわ」

「……ちぇー」

好きな髪型。
……ポニーテール

ちょっと気になる娘の色んな髪型は見たいもので。見たくない男なんか居ないわけで。

五百城のポニーテールすんごい見たいけど。
けど金無いし……

「…あかん?」

あ……って。
胸が高鳴る。高鳴るのが自分でもわかる。

視線を落とす。
五百城の机の上の紙から、もっと下の彼女のスクールバッグまで。

スクールバッグには可愛らしいぬいぐるみのクマのキーホルダーがこんにちはしている。

ピンク色のクマは「しょーぶしちゃえよぉ」と僕に高くて可愛い声で言ってくる。

イメージは夢の国の、かの有名なネズミね。

そう。なんだけど。
俺は知ってる。

このクマのキーホルダーはペアルックなんだよ。
青のやつとセットで1個。
カップルが持ってるようなお決まりのペアルック。

おととい、それに気づいた時にはだいぶキたし、ちょっと泣いた。

だからこそ、ふざけんな、なんだよ。

彼氏居るくせして、そんなふうに話しかけてこないで欲しいんだよ。ほんとに、好きになってしまうから。

いや、もうそうなってるのかもしれないけど、だから辞めて欲しいんだ。

「なあなあ、やろーや」

あー、もう。明日のカラオケ代持ってけ!と心の中で叫び、俺はじゃんけんの誘いに乗ることにする。

勝てば大丈夫。そんなことを思って震える手でポッケの中の財布を握る。

「あーもう、しゃあなしでやる。負けたら絶対ポニテしろよ?」

「やったぁー。というかポニテ好きなんや……
ふーん、なんか、意外やな……」

「なに?」

「やっ別に、なんでもないけど」





俺はライチ味の炭酸飲料のペットボトルを2本買う。

1本120円、2本で240円。240円か。200、40円か……

結果として俺は負けた。

まあ別にどうだっていいけど。

暗い窓の廊下にひとり。
受験期の冬。さーむいさむい。

電気が付いてて明るい3-2まで歩く。
すたすたと上履きの音が響き渡っている。

そういえば、数学してない、やばいやばい。
帰ったらしないと。

がらがらと音を立ててスライドドアは開く。



一目見る。それだけで、目を奪われた。

不安そうな顔で、ポニーテールをして、僕の顔を見つめてくる。

かわいい、と言うよりか、美しい、と言うよりか、綺麗、と言うよりか。あーもう全部でいいよ。

それは少し早く咲いた白い百合みたいだった。

「……どう?」

「うんうん、あー、いいと、思う。」

「そっか、よかった」

数学のテスト直し、寂しそうに俺を見つめないでおくれ。やる。ちゃんとやるから。

プリントくんノートくん、今はちょっと黙っててくれ。

鼓動が早くなっていく。

相手の好きな髪型にするのって負けた方じゃなかったでしたっけ。そんな野暮なことは聞けず黙る。

鼓動が早くなっていく。

鼓動が早くなっていく。

鼓動が、早くなって、いく。

「ジュースは…?」

「あ、はいごめんごめん」

生真面目な五百城の机の上に炭酸ジュースが置かれる。
少し水滴が滴って、冷たい。

「これ飲んだことない……」

「大丈夫大丈夫、美味いから」

五百城は、キャップを開けて、ひと口ごくり。

「うげ」

五百城はそう言ったあと、困った顔をした。

「私炭酸飲めへんねんけどぉ〜」

俺も、ははっと笑って困った顔をした彼女を見ながら自分のジュースに口をつける。

夜の風が本当に爽やかに、吹いた。

「やられた、も〜」

無邪気さがずるい。

卒業。
このまま何も無く卒業したら、何も無くなる。

「あー、ありがと。」

「なあ、はよ……帰んで」

五百城のスクールバッグのピンクのクマさん。通称ピンクマさんは俺を見て「ぷぷぷ」と笑っている気がした。

「やっと?」

「やっとちゃうわ。ちゃんと家で勉強しぃや。」

「へーい」

スクールバッグの持ち手を握って、ペットボトルを、もひとつごくり。

もう廊下に出た五百城はドアから顔を覗かせる。
はやいんだよ、いっつも。

「はーやーくー」

「わかりましたわかりました、てか五百城がこんな時間まで残らしたんだからな」

「知らん知らん。茉央は帰んなってゆっただけで残ったのはそっちやん」

「屁理屈言うな」

「屁理屈はどっちや」

うっわまじこいつ腹立つわ、屁理屈は絶対にそっちだろ、と思いつつ。

窓の外が真っ暗な廊下を2人。

2,2人分くらいの足音が廊下に響き渡る。

受験が迫る冬。

卒業まではあと僅か。

このまま何も無いなら、何も無い。本当に彼氏が居るとか居ないとか。

そんなん知らないけど、意気地無しな自分は、別に告白とか行動を起こす気も、無い。


主語の分からない『終わり』はとうに近づいてるけれど。


そんなことより、炭酸のシュワシュワが、いつもの時より強い気がした。



『ブルーで、ライチな、ウィンターサイダー。』

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