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『オプションパープル』

ずっと死のうと思ってた。

怒られる毎日とか、好きな映画が上映終了したとか、人間関係にうるさい上司とか、

好きだった漫画の作者が失踪したとか、大好きだった母が死んだとか、

好きだった惣菜パンが店に置かれなくなったとか、そういった小さな絶望の積み重ねが、とにかく生きづらかった。

それに、つい先日2年付き合った彼女と別れた。

自己中心的な考えってのは百も承知だけど最後まで好きになれなかった。

それでも告白されて付き合った好きでもない相手とはいえ、1人になるのはやっぱり辛かった。し、やっぱり人間関係とか、向いてないんじゃないかって思った。

だから、この一週間の最後に、死んでやるって思ったんだ。


――――――――――――――――――――――


場所は来たことない居酒屋。


夏休み期間中に、数年前の大学時代の規模の小さいサークルのみんなと連絡が取れて、久しぶりに会うことになった。

来るつもりはあまり無かったのだけれど参加者に当時良くしてくれてた先輩が居たから来た。

他の客もそこそこ居て、店内は凄く賑わってる。

来たのは僕含めて10人くらい。
その内の3人はお金を置いて途中で帰った。

最初は仲間同士ものすごく盛り上がったものの、

1時間程でさっきまで複数人で沢山会話したのも笑えるくらいに盛り上がりが落ち着いた。

みんなとの会話も一段落して、今や白石さんと一対一だ。

他のみんなは各々で固まってる。


数日前に通知が光った時、手が震えたものだ。
また、会えるのかって。興奮しながら眠りについたものだ。

そんなことを思い出して、またグラスに手をやる。


「え〜、やば」




白石さんが声を漏らしながらコップに手をかける。
当時から芸能人顔負けの美貌だったが髪の毛が肩まで切られていて美人に拍車がかかっている。



「変わってないね」とか「ほんとにあの日のままじゃん」とか。

嬉しそうに言われ続けて、話し始めてから十五分くらい経った。



「そんなことないですよ」


「あ、そう?」


白石さんは禁酒してるらしくお茶が入ったコップを傾けて飲んでいる。


「え、変わってませんか?」



就職してから何もかも変わった、と思ってた。


どこら辺が変わってないのだろうか。単純に知りたくなった。


「変わってないように見える」


そうですか、と言って注文した料理を食べようとして箸を持つ。



「ほら、それ」


「え?」


「箸の持ち方、変わってないよ」



あ、と声が出た。



「ふふふ」



白石さんが、笑った。



あ、と思った。


「最近、ちゃんと生きてる?」


「あ、そうですね。」


「どっちよ」


白石さんが妖艶に笑って手を叩く。


「ほら、やっぱり変わってない」


そんな恥ずかしいことを言われた僕が笑いながら1口グラスを口元に運ぶ
普段飲まないはずのカシスオレンジ。
久しぶりに飲んだけど、やっぱあんま好きじゃない。


「なんか、思い出しますね。いろいろ。」


「だね〜」


メンバーでディズニーに行ったことがある。
実際に来たのは数人だったけれど。

そんな話をし始める。


「あー、あったねそんなの」


スプラッシュマウンテン

僕は浮遊感がどうも苦手で震える思いだった、ふわっと胃が浮く感覚がどうも駄目で乗ったあと、死んだようになってた。めっちゃ笑われた。

普通に気分悪くなっちゃって、座り込んだ。

そんな僕を見て、白石さんがちょっと煙草を吸うために喫煙所に行くとか言いながら2人きりになって水買ってきてくれたっけ。

確か、その後僕とゆっくり周ってくれたっけ。


みんなと合流するのがちょっと嫌だったなとか。今告白出来たらなとか。思ってたっけ。

楽しかった。
ただただ楽しかった思い出。


「なんか、めっちゃ楽しかったですよね」


「そうだよ、あの時めっちゃ笑ったもん」


そうだなぁ、と白石さんが言う。


「煙草かぁ」と白石さんが言う。


「白石さんめっちゃ吸ってましたもんね」

僕がそう言ってスマホで時間を確認する。
もう、そろそろいい時間。


「そうだね、いっときすごい吸ってたね〜」


すっかり昔の話をしていると


グラスの氷がとっくに溶けて、消えていた。


「吸ってた銘柄とか覚えてます?」


「えーと、赤マルだっけな」


僕は1度も忘れたことは無かったのに、この人ときたら


まあ、そんなもんだったってことだろう。



僕の片想いの味は、オプションパープルだった。









ディズニーの後、

定期的に飲みに行く仲になった。

いつも、こことは違う行き慣れた居酒屋だった。
ここほどうるさくなかった。

壁には小洒落た絵が数枚飾られてて、店に入ると気のいい店員が大きい声で「いらっしゃい」と言ってくれる店。

ここほど、人も居なかった。

角の席にいつも向かい合う形で座った。


「はぁ……いい加減、恋しなよ」




白石さんの指に挟まった煙草が存在感を増して目に映ってくる。


「いや、だから――」


白石さんは、同性からも異性からも人気者だった。

だったのに、ちょくちょく気にかけてくれて、そんな人に恋するのは当然の事だった


「恋人なんていらないんすよ」


「そんなんだから彼女出来たことないんじゃない?」


「いや、それくらいありますよっ」


白石さんは「ふぅ」と僕にかからないように煙を吹きながら、疑いの目を向けてくる。


「いや、ほんとっすから」


居酒屋で、ひとしきり料理を平らげた後に白石さんが僕に説教しながら煙草を吸う。

その日は妙にドキドキしてて、
唐突に「煙草ってどんな味するんすか」と僕が尋ねた。



「え、そりゃあ――」




「失恋の味だよ」とか変なこと言ったと思ったら笑って白石さんが僕に言う。


「吸ってみる?」


1本、差し出してきて最初は少し躊躇った。

だけど、煙草吸える人は大人、とかいう幼稚な考えがどっかにあって、かっこいいとすら思ってた。

白石さんと同じ何かを増やしたかったからかもしれない。

とりあえずそんな馬鹿な理由で目一杯吸い込んでみた。



「あははは」



喉が焼けるようだった。
少しだけ苦くて、でも少しだけ甘かった。


いつまでもうっすらガヤガヤとしていて、静かさを知らない店内に白石さんの笑い声が混ざる。


「あはは、おもしろ〜」


いつもこんな人だった。


いつも、こんな人だったから、好きになったんだと思う。



「むせてるむせてる」



笑われて、少し恥ずかしくなって、でも心地が良かった。



これが煙草か、って思った。






失恋の味、しないじゃんって思った。











「というか、あの時は――――」


突如、思い出したように白石さんが言う。


「無理やり吸わせたみたいになってごめんね」


いえいえ、と手を振りながら僕が言う。


「自分が吸いたいと思ったので」


ポケットの中の煙草のケースを握った。
僕が、そういえば、と言う。

「煙草吸うの辞めたんですか」


白石さんが少し考えてからあの時みたいに笑った



「彼氏に、怒られるの」




「あぁ…そうなんですね」




俯いて、ひけらかそうと手にまで持ってたケースをポケットに突っ込んだ。

聞きたかった、彼氏はどんな人か。今は幸せか。
でも、聞けなかった。
大人になってしまったな。なんて一丁前に思った。


そっか。でも、そんなもんなんだろうな。

惹かれてた。ずっとずっと。
まあ、あなたは僕になんの感情もないのだろうけど。

沈黙を遮るように仲間の1人の女の子が声を出した。


「そろそろお開きにしよっか」


確かにもう随分遅くなった。
まだ、話をしていたかったけれど、そんなことは言わずに黙って頷いた。



店員を呼んで
それからみんなで会計をしてもらった。




「いやぁなんか懐かしかった」


白石さんが言った一言。

みんなが「そうだね」やら「ですね〜」と返している中で何も返せない僕が1人。


からからと音を立てながらドアを開けて、2番目にのれんをくぐった。

2、3歩歩いたところで、また仲間の声がした。



「また、会おうよ」


みんなが返事して、いる中で、やっぱり何も返せない僕が1人だけ、居る。


「じゃあ」


隣にいる授業もサークルも一緒だった奴が言った。

みんなが、笑顔で頷く。
白石さんが、笑顔で頷く。


白石さんが笑う度、声が、出なくなる。


みんなに手を振った後下に降りた手を握った。
爪の跡がつくくらいに強く、握った。



ただただ、握った。


「じゃあ」と僕も呟いて。



みんなに背中を向けて、
一歩を踏み出す。



一歩ずつ、一歩ずつ。

踏み出して、踏み出して。



無性に泣きたくなりながら帰路に着いた。


どうするでもなく自室のドアを開けてまず向かうのは台所にある冷蔵庫。

一人暮らしを始めたての時は何も無くて新鮮だったはずの台所が、今や物置きのようになっている。

そういえば前まで彼女が片付けてくれてたんだった。

はぁ、とため息が出る。

水を一口含んで、喉を鳴らす。



「ふぅ」



それからベッドにバッグを投げて、



ガラガラと音をたてながらドアを開ける。
暑くて、でもどこか冷たいベランダに出て、サンダルを履く。


信号がちらちらと変わり始めてる。車のライトが道路を照らしてる。
街路灯が揺れてる。



ぼうとしてる内に携帯が光った。



"今日はありがと!また今度!"



そんな元気いっぱいの無機質な文字に途端に切なくなる。

途端に切なくなって、上手く立てなくなって、もたれ掛かるようにベランダの手すりに手を置いた。



「また今度、か」



優しい風が吹く。1人の時に限って鮮明に思い出して虚しくなるこの感じ、ほんとうに嫌い。

「ふぅ」と声と共に息を漏らしながらポケットを漁って1本を取り出した。



「むずかしいなぁ…」



定位置にあるライターを取る。


火を、つける。


手に挟んだ湿気った煙草を咥えて、思い切り吸い込む。
吸い込む度に少しだけマイルドになった苦味が僕の胸を、頭を、腹を、貫いて、貫いて、貫いてゆく。



ちょっとだけ甘くて、でも苦くて。
吸い込む。
頑張って吸う。実は今吸いたい気分じゃないけど。

時々ため息と共に吐き出して


漠然と、思い浮かべて。涙を、堪える。



好きだった人。




ずっと、あなただけを。今も。

「ふっ…」

いや、何しんみりしてんだって思って鼻で笑った。  



煙草は失恋の味なんて臭いことよく言えたもんだな。
なんてそんな誰かさんの悪口を精一杯に言いたい自分が、どこかに居る。




「ほんと……」


変わるんですね。


人間って。良い方にも悪い方にも。

でも、自分の変わって欲しい弱虫な部分はあの頃のまま。


すうっと吸い込んで、吸い込んで、全部が肺に入り込む。
たまに灰皿代わりの空き缶にとんとんと灰を落として。



あ、そうだ、今ラキストなんです。
って、そんなんどうでもいいですよね。



どうせ、あの人は多分僕のことなんて、なんとも思ってないだろうから。




勝手に思い出すのは、僕だけで。  



「まだ、死ねないなぁ」





ずっとずっと。







『そりゃあ』








吸い込む度に。








『失恋の味だよ』










吸い込む度に。吸い込む度に。




「ふふふ」




笑えた。







「はは…は……」












笑った、

















『オプションパープル』













おしまい












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