賑編雑記¹

生まれて19年間、目をそらし続けていたかもしれない事実にようやく気付いたかもしれない。
僕は手掌多汗症かもしれない。
というのも、随分前からプリントが湿りやすくなることがあった。中学のころからだったかもしれないし、高校の頃から知れない。ややもすれば小学生のころかも。

てのひらにいっぱいあせをかく。
そんな分かりやすい事象に最近になって確信を得た理由としては、ポリエチレン手袋をすると内側に明らかに水滴がついているのを目の当たりにしたためだ。

今まで、無意識的にキーボードをアルコールで多々掃除していた。無意識的に、と書いたには理由がある。
掃除をしたという意識はしているが、なぜ掃除をしたのか、という根本的な理解は「ときどき掃除しなければ汚い」という認識で止まっていた。

今になって見れば、深層意識が作用していたのだと感じる。
「僕は手掌多汗症などではない」
その一心を感じざるを得ない。

ここでまた疑問が湧いてくる。
深層意識が表層意識に影響を与えるのは世間一般的にも知られているのは今になれば当然となっているが、この深層意識の根源でもある内なる蔑視を果たして僕はどこまで掴んでいるのだろうか。

今回、私は多汗症を無意識レベルで蔑視しているのが分かった。自分がそうであると知覚するのをかなりの年月遅らせる程度には。

ともなれば、無意識レベルで僕は。
いや、私たち人間は何をどこまで蔑視しているのだろうか。
無意識であれば人格を問う事すらも難しい。
意識しているのであればまだ良い。
その意識は周りにも「この人にはこの人のAという蔑視があるんだな」と察知される、できる。
しかし、無意識では。

横の人から感じたその違和感。それは全て横の人のおかげですか?それとも、横の人の所為ですか?


追手門学院大学の人たちには本当に色々な人が居る。
ずー--っとSNSで話している人、パパ活をしてる人、単位落としまくってかなり不味い人、陽キャしてる人、陰キャしてる人、仮面浪人をしながら今所属する大学をかなり馬鹿にしている人、全力で資格勉強している人、多分色々諦めた人、中退してしまった人、陰謀論や宗教にはまってしまった人。

彼ら彼女らを見てるとやはり希望が見えてくる。
幾らかは正直ろくな考えを持ってないな、でも人生はなんとか生きれるんだろうなっていう人が存在する。
その人達の考えをコピーできればおよそ同じ生き方ができるのだろうなとも。
しかし、私はその考え方をしたくない。
例えば、パパ活などは僕としては自由にやりゃいいと思う。
友人がやってたとしても別に何も思いはしない。
けど彼女にしたいかと問われれば答えはNOだ。
絶対に嫌だ。やる理由や、もしくはやる人にとってメリットがかなりあるんだろう。それは理解できる。
これは論理に言えば理解できる、その選択も良いと思う。友人や他人がやるのは。
という話であって、感情としてはNO。
パパ活をやる彼女は絶対的に不可。生理的に受け付けない。
そういう話。不倫と大して変わらないとも心で思ってるのかもしれない。
でも、実際は僕のような心の狭い人は多分少数で、基本的にはそれすら認める「最後に俺の横に居ればいい」と考える人が多いのかな?
まあでも、そういう考えもいずれ出来れば、当然範囲が広がるわけだから「楽」にはなる。

私は基本的に、できるだけ広い範囲の人たちと話すようにしている。
人が好きってわけでもないと思うけども、攻撃的な人や消極的な人にもできるだけ壁を作らないように話せる生き方をしている。
個人的には半径5km以内の人の情報を全て知りたいっていう謎の願望もある訳で、それをかなえるためでもある。
それぞれに対して思う事は色々あるけれど、それらの考え方は全て等しく興味深い。


今広まっているのはスマホであるが、次に広まるのはVRだと僕は考えている。
もはやスマホは私たちにとって必要不可欠であり、無ければ生活にかなり困る。
スマホの性能はこれからも発展していくが、私たちにとっての必要とする性能はとっくの3、4年前(4年前にしてもiPhone11)に超えている。
ではなぜ性能が発展していくか。それは単純に技術拡張となる。単純に出来ることが増えていく。
とはいえもうそれも私たちが普通に生きる分には必要十分なものになっている。
では、その余った技術はどこに行くのか。
それはウェアラベル端末だ。
よって、VR。

VR流行は、AI流行と同じくもう何度か訪れており、それに辟易としている人もかなりいるだろう。
どうせ大したことはないのにメディアが視聴率のためにネタを面白おかしく書いている。
そう思う人も多いはずだし、そう思わなければむしろおかしい。しかし、それらに希望をもって研究・開発している人は多くいる。そしてVRとAIが交差するとき、新しい価値観が生み出される。

現状、人と同じ思考ができる、もしくは人を超えた能力を持つAIは出来るとしても100年先とかで今私たちが生きる間にはできない。そう考えている人がかなり多いのだと思う。
僕の親などはそう考えており、どっちか言えば僕の親は突飛な思考は持たないが新聞やニュースは良く読むため、大衆よりの思考だろう。
親曰く、「人間の脳すらまだ分からないのにできるはずがない」だそうだ。
一理無い。
人間の脳は確かに凄いがその一瞬一瞬においては大した考えを持っていない。
人間が凄い理由は「持続した結果」だと僕は考えている。
その一瞬一瞬をAIが出来、それが積み重なれば...。
人を超えていくのだろう。
実際私たちは積み重ねてきた。
次に積み重ねるのはAIでないとは、到底言えない。

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