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松山の文化ホール問題のこと

※タイトル及び文中の「公共ホール」を「文化ホール」に変更しました。特別意味があるわけではないですが、アリーナ案に対してホール案に言及する場合、「文化ホール」の方が適切と考えたためです。

松山駅周辺地区車両基地跡地広域交流拠点施設の整備構想にともない、愛媛経済同友会がアリーナ建設案を提出をしたことを受けて、にわかに松山市内の文化関係者がざわめき立っている。先日、ある議員の方の話をきく機会があったが、文化政策的な視点から文化ホール(あるいはアリーナ)等を解するという姿勢はそもそも持ち合わせていなく、ある程度予想はしていたもののこの議員のような姿勢というのは、議会でも役所内でもさほど違和感なく存在し得るのだろうなとも思ったし、この議員なりに筋が通っているとも言える気もした。

というか、この再開発にともなう文化施設の構想において、そもそも公立文化施設における先行事例や、文化芸術基本法や劇場法などで規定される公共性の視点などを持ち込むこと自体が、松山市行政側の立場においては、ほとんどナンセンスなんだろうな、ということをしみじみ味わった。なぜなら、以前の本noteでも書いた通りこの案件は松山市都市整備部マターであるからだ。しかし、当然ながら現市民会館の代替施設ということになると、坂の上の雲まちづくり部という一応文化、スポーツに関する施策をするセクションがぶら下がっているところがあるので、庁内における調整においてそこも当然重要な役割を担ってくることになる。

その点を見込んでアリーナ案を支持するこの議員は、ホールを望む文化関係者の声を拾い、文化施設としての物理的機能を担保させることを使ってアリーナを実現させていく青写真を描いているのかもしれない。ところで、この議員は「アリーナは公設民営がほとんど、ホールは公設公営がほとんど。公設公営は赤字になる。」と言っていたが、こういう全面的にずれてしまっている見解についてどうやって反論すればよいのだろう。ほとんど反駁する気を失う。

公立文化施設の収入は、自治体直営の場合は一般財源、指定管理の場合は指定管理料が全体収入の多くを占めていることは統計を引くまでもないのだけれど明らかだ(公益社団法人全国公立文化施設協会による令和五年度調査)。ちなみに支出は管理運営費の割合が大きい。そもそも公立文化施設というのは事業収入をベースにした経営ではないのだ。ちなみに公立文化施設は全国に3400くらいあるわけだが、令和5年度の上記同調査によるとそのうち指定管理を導入しているところは64%を占める。政令指定都市にいたっては92.6%が指定管理を導入している。確かに指定管理を担うのは公益財団法人が多い(42.3%)けれども、この議員がどういう意味で「ホールは公設公営がほとんど」と言ったのか、ちょっとよくわからない。

昨今は、公共的な機能を有する、あるいは公共性を求められるさまざまなインフラであっても、「赤字」を理由に合理化されることに対して世間が疑いを持たないようになってきた。メディアも平然と公共交通機関や病院などの「赤字」による縮小や廃止はしょうがないと言わんばかりの報じ方をする。わたしがいつも文化政策の公共性を伝えるときに例える話がある。公共図書館に何年も誰も借りない本があるだろう。学術書、専門書、ホコリを被った文学書などなど、でもそれらは図書館に必要ないものなのだろうか。明日あるいは5年後誰かが手に取ることはないのだろうか。誰かに読まれるに値する本であるならば、司書の専門的知見によってきちんと蔵書し、住民が、子どもが、その本を知り読む機会を奪ってはいけないんじゃないか。利用者を増やすために借りてくれる本ばかりを置いたら図書館はどうなってしまうだろうか。そんな話を、十年以上あちこちで言ってきたけれど、昨今はこの理屈が通らない社会になってきてしまった。どの公共図書館も、漫画とファッション誌とベストセラーの同じ本を何冊も置き、稼ぐためにスタバを併設する日は近いのではないか。

公立文化施設においても稼ぐことがどんどん求められる風潮がある。確かに一般財源や指定管理料が減じる可能性のある中で、事業収入や貸館収入の割合を増やさなければいけない状況に置かれているところもあるだろう。事業収入と貸館収入だけで文化施設を運営するということは理念的にも構造的にもあり得ない。だからアリーナにしようね、というのはある意味正しいかもしれないが、図体の大きいアリーナはホールよりもずっとリスキーである。稼働率、貸館収入と事業収入をあてにしていると痛い目に会う。なにせ同じアリーナでいったら、お隣の香川県高松市にはSANAAの設計による県立アリーナという強力なライバルがもうすぐできるんですから。松山は隈研吾とかでいきますかね。

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