福岡一人旅−02。
福岡おっさん一人旅 最終日です。
西鉄(福岡)駅を出発して
2時間かけて福岡県筑前町に
やって来ました。
え 2時間も ??
普通に電車で1時間とちょっとで着きます。
なんでそんなに時間がかかったの…
聞かなでください。😄
最後は西鉄甘木線 馬田(まだ)駅を
下車して目的地まで歩きました。
やって来たのは
筑前町立太刀洗平和記念です。
かつて ここには旧陸軍が東洋一を誇った
太刀洗飛行場と
そこを中心とした大きな軍都がありました。
しかし昭和20年(1945)米軍 B−29による
大空襲により壊滅的被害を受け
民間人を含む多くの尊い命が奪われました。
また ここは特別攻撃隊(特攻)の中継基地として多くの若き特攻隊員を見送った
場所です。
太刀洗平和記念には
何が何でも見たかった
戦闘機(レプリカ)が展示されています。
早速 入館します。
入口からもう見えてます。
異形の戦闘機 《 震電 》です。
映画《 ゴジラ−1.0 》のために制作された
原寸大の精巧なレプリカです。
2200万円で太刀洗平和記念館が
購入しました。
購入条件として《 ゴジラ−1.0 》が公開される
までは一切口外しないことでした。
《 震電 》は終戦間際にB−29迎撃の
切り札として
福岡市内の工場で開発が進められ3機の試作機が製作されました。
前翼型(エンテ型)という特異な形です。
まさに《 異形の戦闘機 》です。
この《 震電 》のほか2機の零戦が
撮影可でした。
それでは撮影開始!!とデジカメを
構えていたら
「あの〜すみません…」
記念館の男性職員の方が
私に近づいてきました。
私より年配の方です。
「《 震電 》をご覧にいらしたのは分かっていますが、もしよろしかった 太刀洗平和記念館や太刀洗町の話を聞いて頂けますでしょうか… 」
「はい、私は東京から《 震電 》を観にきました。いいですよ、是非お話を聞かせて下さい」と答えました。
男性からは 東洋一だった太刀洗飛行場のこと
それ故 米軍の標的となり
B−29の大空襲を受け
壊滅的被害を受けたことなど
いろいろな事実を話てくれました。
男性は
「もうしばらくしたら映画も始まります。
是非観ていって下さい」と言って
別のお客さんのところへ行きました。
映画は太刀洗大空襲で下校時の小学生47名の
幼い命が犠牲になった悲しい事実などを
描いていました。
( 来て良かった… )
震電ほか撮影可の零戦を撮影しつつ
展示もしっかり観てまわりました。
撮影写真見て下さい。
正面写真ではありませんよ
後姿です。
《 震電 》の上に展示されているのは
B−29の原寸大のシルエットです。
空襲などまったく知らなかった太刀洗町の
人たちは突然やってきたB−29の編隊は
言葉も出ないほど恐ろしかったと思いました。
それにしても《 ゴジラ−1.0 》に使われた
《 震電 》の作り込みが凄すぎでした。
零式艦上戦闘機三ニ型
本物の零戦です。
マーシャル諸島タロア島のジャンルに
眠っていた機体を昭和53年(1983)に
日本に搬送・修復しました。
蘇った特攻機
平成8年(1996)に博多湾から
引き揚げられた九七式戦闘機です。
撮影可はここまででしたが
貴重な当時の資料や出来事を見聞できました。
そして…
《ゴジラ−1.0》第47回 日本アカデミー賞
最優秀作品賞を含む8部門受賞
おめでとうございます。
さて
たっぷり時間をかけて記念館を
見学しました。
最後に太刀洗のことを詳しく教えてくれた
記念館の男性職員にお礼を言って
退館しました。
次は 太刀洗平和記念館の近く
もうひとつ訪れたかったスポットへ
太刀洗レトロステーションへ
ここで昭和レトロランチを!!
ところがしかし
この日は定休日でした。
仕方ないです。
太刀洗平和記念館まで到着するまで
あっち行ったりこっち行ったり…
そのおかげでいろんなことがありました。
一人旅ならではの楽しさを満喫しました。
最後までありがとうございました。
まだ続きますよ
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