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旧帝大(文系)に現役合格した際の記憶

こんにちは。普段はキャリアやビジネスに関する記事を書いているMinato Kambeです。今回は、noteのお題に沿って受験の記事を書きます。受験は、キャリア形成にそれなりに大きな影響を与えていると思いますので、このテーマの記事を書くことにしました。

受験生にとって、今は色々と思い悩む大変な時期だと思います。僭越ながら、人生の先輩として、この記事が少しでもお役に立てばよいと思います。

ライターの紹介は下記の記事を参照してください。


高校2年生まで

私は高校2年生までは決して成績の良い学生ではありませんでした。一例として、高校2年の終わりでその年の共通一次を解いたら、数学は22点でした。さすがの私も、この結果にはかなり危機感を持ったので必死で勉強を開始しました。当時通っていた高校は、毎年数十人の国公立合格者を出すそれなりの進学校でしたので、周囲と比べても一回り遅れていたのだと思います。

私は先の結果から危機感を持ちましたが、想定通りという諦めもありました。なぜなら、高校3年生は受験勉強をすると決めていたので、高校2年生の間は遊ぶと決めていたからです。徹底的に遊んだ甲斐もあり、今でも当時の友人とは仲が良いです。

充実した地獄の夏休み

高校3年生の夏休みは徹底的に勉強しました。1日に12時間から14時間は勉強したと思います。具体的には、朝5時半に起床して6時から勉強を開始し、そのまま19時くらいまで勉強をしていました。夜は1時間くらい、ご飯を食べながらテレビなどを見ていたと思います。今思えば、このような生活を許してくれた家族には感謝しかないです。社会人になると、勉強したくても勉強の時間がとれません。何より、体力が低下しているので辛いです。

夏休みの良いところは、日の出が早いので早起きが辛くないことでした。朝から古典、数学、理科をやり、午後は英語と社会をやっていました。科学的に良い方法かは分かりませんが、これが私にとってはしっくりきました。高校2年生にの読者には、今のうちから時間の使い方を模索することをお勧めします。パターンができてしまえば、あとは実行するのみです。

ちなみに、私の実家は田舎なので、喫茶店で勉強するという方法は取れませんでした。幸いにも自分の部屋は与えられていたので、そこにこもって勉強していました。自分の部屋で勉強する習慣を持っていた方が良いかもしれません。

今までの人生で、高3の夏休みが一番勉強した期間でした。振り返ると、目的があり充実した時間でしたが、戻りたいとは思いません。


勉学の秋

秋は体育祭などがありますが、私は関係なく勉強していました。進学校でもあり、どこかピリピリした空気が流れていました。先生方や周囲の大人も、何となく気を遣っていたのだと思います。

高校までは電車で通っていたので、帰りに図書館で勉強したりしていました。秋の風は涼しく、いい気分転換になったと思います。

当時の課題は(今もそうですが)、英語ができないことでした。国公立大学の多くは二次試験で英語が課されており、私の志望校もそうでした。文系志望の私にとって、英語は落とすことのできない科目でした。最終的に、何とか人並みにできるようになったと思います。

冬休み

当然のように毎日勉強していたので記憶にありません。覚えているのは、正月に親族の家に遊びに行って、1学年上の2人の従姉と受験談議で盛り上がったことです。正月だけは全く勉強をしなかったと思います。

この期間で大事なことは、とにかく風邪をひかないことです。よく食べ、よく寝ましょう。

共通一次から二次試験まで

共通一次試験では何とか目標の点数に届いたので、二次試験は志望校を受けることにしました。期限は絶対なので、慎重に願書を出した記憶があります。

共通一次試験では強制的に受験場所を指定されるので、家が遠い人は近くの会場に宿泊していました。受験生にとっては人生がかかった一大イベントなので、さもありなんという感じでした。

合格

3月に合格発表があり、受験勉強を終えました。幸いにして1次試験で終わりました。2次試験組もいたので、既に受験の終わった友人と遊んでいた記憶があります。

この記事を書いてみて気がついたのは、受験勉強の記憶は夏休みくらいしか無いことでした。実社会に出ると、学歴があって良いことも悪いこともあります。ですが、学歴があって損することは少ないかもしれません。もし、あなたがタイトルの「旧帝大」の文字が気になってこの記事を読んだのだとすれば、そのことがこの証左となります。

#こうして私は受験を乗り越えた

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