卒園式に行ってきた

姉が1500ccもの血を失いながら出産をしたあの日から、早や7年もの月日が経つ。
生まれた男の子は無事に成長し今月から小学校に通うようだ。
保育園の卒園式には親族が出席可能だったので私も行ってきた

甥っ子の保育園は私が通っていた保育園でもある。まったく同じ校舎で、全く同じプログラムの卒園式を行ったらしいのだが、欠片も記憶にない

教員、両親、祖父母や兄弟たち、そして専門業者のカメラマン。
100人以上もの人が見守る中で卒園式は始まった

真新しいフォーマルな服に身を包み20人の園児たちが入場してきた

卒業証書を受け取り、いくつもの合唱を行い退場していった

そして着替えを済ませて第2部が始まった。
保育園で身に付けた踊りやら演舞やら駒回しやらを披露する

最後の演目は跳び箱だった。
幾人かの子は飛べずに涙を流していたが、どうやら全員が飛べるまで卒園式は終わらないようだ

10分以上もの沈黙が流れた

咳払いの1つも無い、長い長い沈黙の中で、最後の男の子がじっと跳び箱を見つめて立ち尽くしていた

天気が良かったせいだろうか。
何の音も聞こえなかった。
1キロ遠くでウグイスが鳴いたような気がした

涙が乾き切った頃、遂に彼は跳び箱に向かって走り出し、ジャンプ台を力強く踏み込んで華麗に着地した

拍手の嵐、雨あられ

100人の1000秒間もの沈黙を帳消しにするほどの拍手が鳴り響いていた

こうして卒園式は終わりを告げた

人によっては最後の跳び箱は厳しい印象を覚える内容かもしれない。
しかし時代の流れに反するような教育方針に、私は少し眩しさを覚える。
人生には力強さが必要な時もあるからだ。跳び箱よりずっと困難な問題が立ち塞がるかもしれない。それでも挑んでみたら案外出来ることが多いものだ。
根性論的だがいい教育方針だと私は思う

2024年04月01日