最近の漫画は難しい…
学生時代によく古本屋へ通っていた。漫画の1巻目を次々と手に取って、気に入った物を購入する。
すると予算の都合で巻数が少ない作品を愛好する事に成り勝ちだった
当時私が集めた作品は1990年~2005年頃までの作品ばかりだったと思う。
今振り返るとこの時代までの作品は、2010年以後の作品とは大分趣が異なるように感じる。気のせいだろうか
もしも両者に違いが在ると仮定した場合、両者の何処に差異を感じ取っているのか、私は気になり始めた
気にならない点
まず気にならない点として、そもそも読者層が違うという点が有る。2000年の漫画は1980年生まれ前後の人に向けて作っているだろうし、2020年の漫画は2000年生まれ前後の人に向けて作っているであろう事は想像に難くない。これは自然な事である
兄の影響で私は少し古い感性を持っていたのかも知れない
また、作者が年を取ったとか、時代が移り変わった分だけ作者層も入れ替わっている事なども全く気にならない。これも自然な事だ
こういった人の入れ替わり以外に何が変わっただろう?
私の感性や脳は何処に差異を見出してしまっているだろうか
私の脳が気にしている、と思しき点(あくまでも予想)
①クリエイター間の価値観が共有されている確率の上昇
これが最大の違いに感じる。昔の漫画家達はお互いの価値観を把握していなかったのではないだろうか?
漫画家同士の交流がもっと狭い範囲での意見交換に終始していたのではないか。それこそ世間が何を考えているのか、世の漫画好きは何を思っているか、などを知る術が2005年頃までに在ったとはとても思えない。
昔の漫画は何と言うかとても個人的な創作の延長に見える。作者自身が見えると云うか、彼らの脳内だけを見ているという感覚だ。
今の漫画は「世間の価値観はこんな感じ」という何かしらの前提を垣間見る事が多い。それでいて実体験的でないと云うか、作者の本音っぽくないのである。これ自体はとても良い事だと私は思う。
しかし気を遣われているような、気を遣ってくれて居るんだろうな、という感覚を受け取る
「世間の代表的な意見」が漫画に飛び出してくる時が在る。これはとても面白い。
しかし本当に、作者自身の周囲にこういった「世間の代表的な意見」を放つ人が居たとは、何故か信じられないのだ。私の脳は建前性を感じ取ってしまう。
逆パターンも在る。「皆とは違う意見を言う人」が出て来る時だ。これも気を遣われているような感じがする
クリエイター同士で「こういった表現方法が良いよね」とか「この作品はここが良くて、逆にあそこは直すべき」といった価値観を大々的に共有出来る様に成ったのは、ここ15年程度なのではないか。
昔の漫画家はもっと個人的だったと思う。読者ではなく自分が良いと思える物を描いただけ、みたいな物だ。それが私にはとても心地よかった。逆に合わない作品はとことん合わなかったと思うけど
巻数が少ない漫画に成る程この個人的価値観、作者の自己満足性は高かった。私はその様な漫画家が自分の為に描いた漫画を好きになった。
今の漫画は読者への慈悲や愛に満ちている(と思う)
この違いには甲乙も善悪も付けられない。勝敗も優劣もそこには無い。少なくとも私はそう信じる
ただ、本屋さんで昔の漫画が持っていたあの不思議な独断的な魅力、あれを探す事は困難になったと思う。
私はきっと作品を通じて作者に好意を寄せてしまうタイプなのだろう。私が見たい物は漫画そのものでは無く、漫画家自身が持つ脳内世界の魅力だったのかも知れない
②出版社の変化
出版社で働く人や会社の指針も影響している可能性が在る。私の好きな漫画達はどう考えてもヒット作を目指して作ったとは思えない。
これが今では許されない行為と化しているかも知れない。
「もっと読者に寄り添わなくちゃ駄目だ」という至極もっともな意見に抗う術などないだろう。抗う必要性も薄い。
編集者達の腕前によって訳の分からない作風はブロックされている可能性が有る。
私は売れる物が良い物だ、とは思っていない為に少し困るが、偉大な漫画の陰には名編集在りと言われているので、これは否定すべきでは無い。
名作がなぜ名作なのかを理解出来ないと、マイナー作の良さを理解するのは難しい。これは大抵どの創作業界でも同じだ。
読者側が出来る対策として、同人作家で素晴らしいと思える人を探すといった方針が有るものの、大概センスの良い人に限ってエロいものばかり描いていたりする。正直言ってお手上げである
③明るい
昔の漫画は暗かったと思う。特に90年代後半から2005年くらいまでだ。ジャンプだとデスノートとかLIVEが暗い漫画の代表と呼べるだろうか。
社会不安の現れとしか思えないような暗さだった。今日に於いて暗い作風が魅力的に映るとはあまり思えないのは何故だろう?
過激で暴力的な描写はむしろ今日の方が強いと思うのだが、私が気にするのはそういう意味の暗さではない。主人公の無力感や絶望を描くような感じである。主人公が無気力、という事も多かったと思う
④昔は失業率が高かった
1890年頃、イギリスで文学ブームが勃発するのを後押ししたのは失業の急激な増加だった。失業した市民は創作や哲学の世界に希望や幸せを見出した。
芸術の発展と失業には何処か因果関係が在る様に見える。
就職氷河期世代の作風が特別な美しさを纏っていたとしても不思議ではない
⑤ネット文化を漫画に持ち込む必要性が高くなった
現在では誰もがネットに触れる機会を持つので漫画創作もそれを前提とした物になっているかも知れない。
そして私がネット文化にあまり馴染んでいない為に齟齬が発生してしまう。
この場合に問題が在るのはどう考えても私の方である
⑥どうせ売れない、という姿勢が消失した
昔の漫画家は金儲けに興味が無かったのかも知れない。どうせ売れないし思いっきり自由にやろうぜ、というような姿勢だ。
今は売り上げと云う観点からは誰にでも希望があるのかも知れない。しかし希望が在るならばこそ、きっと束縛もそこに現れるだろう。それが作風に差異を生んでしまうかも知れない。
これが良い事なのか悪い事なのかは私が判断する事では無いだろう
⑦加齢
単純に私が年を取っただけ、という可能性だ。
これが1番有り得るから困る。これに関してはどうしようもないが、誰にでも起こり得る事だから自分を責める必要もあまり無い、と云えるのが救いだろうか。
また、いわゆる思い出補正という現象かも知れない。しかし初見の作品でも古い物が案外しっくり来てしまうので何とも言えない。私の感性が古い事は最早間違い無い事だと確信し始めている
わざわざここまで読んだ稀有な方がいらっしゃる場合、私が何を読んでこんな事を考えて居るのかが気になるかも知れない。
一応紹介しておこうと思う。
私が久々に読んだ「バーニーの絵日記」だ。
東日本大震災が起きた時に、無料公開されている
単行本はおそらく初版のみだろう。とても重版される内容とは思えない
女性の方や宮沢賢治のファンにお勧めである。
男性にとっては詰まらない作品だろう。読む価値はあまり無いのではないかと思う
2024年07月17日