「能力が低いから生き辛い」と嘆く人は、ネット越しだとあまり能力が低そうには見えていない

生き辛さは能力が低いからだと考える人は結構居る様だ。何人かのブロガーが言っていたのでそれなりに有名なネット世論だと思う。しかしこの理屈を掲げて自身の生き辛さを語る場合、そこには大きな落とし穴が有るだろう

自身の生き辛さを上手く語れれば語れるほど、能力が高い人に見えてしまうのだ

ネット上のやり取りは何だかんだ言っても基本的に文章が大半を担っている。よって文章力豊かに自身の辛さを吐露すれば、「この人は能力が有るのに謙遜してばかりだ」とか「なんだ自虐風自慢か」などといった感想が寄せられるばかりだ。
この現象はインターネットの性質上どうにも成らない気がする

しかも、よくよく執筆者の発言を追って行くと結構な高学歴だったり、企業でそれなりのポジションを任されていたりする。すると当然、やはりただの謙遜なのでは?という感想が強くなってしまう。平凡な人間からすると、勉強が出来るというだけでも結構なエリートに見えてしまうからだ。そして凡人は良い企業には入れない

この様なちぐはぐ状態に陥る理由は何となく見覚えが有る。それは優秀な人間ほど目標を高く持っている事が多く、平均的な能力だと目標もそれなりに低い、という現象だ

私は知人が落第ギリギリ系男子まみれだったのだが、誰も成績の悪さを気に留めたりはして居なかった。まあ表面的にそう見えていただけかも知れないが

ネットで能力の低さを嘆いている方は、本気で悩んでいるからこその吐露だという事は百も承知である。しかし、運動音痴だったり手先が不器用だったりという欠点はネット越しに伝わらないし、本当に絶望的な能力不足であれば、自身の辛さを文面で伝える事は叶わない筈だ。よって悩んでいる割には冷めた目で見られてしまう

作文が上手いだけで悩みを疑われてしまうのは勿体無い。
望まぬ事だとは思うけれど「私はこんなに不器用なのだ」という事が伝わる失敗談を書くしかない。ググッと共感の得られ具合が増すだろう。そういった失敗談を経て「ああ、この人は頭が良さそうだけど、苦手な事がいっぱい有るのだろうな」と受け取って貰える

文面では貴方の生き辛さはあまり周囲へ伝わらない。
少なくとも私はあまり信じないと思う。
どうして真っ直ぐ受け取って貰えないのだろう、と首を傾げている人は具体的な失敗談を書くと良い。それで周囲は案外素直な反応を見せると思う

ネット越しだと文章力が印象を殆ど決定してしまう点に注意すべきである。文章が上手いからこそ伝わらない事も有るのだ

2024年09月05日