なぜ日経平均株価の高騰は社会を豊かに出来ないのか?

ニュースを見ない私でも日経平均株価が高騰している事を、職場のおば様談義から聞いて知っているので、恐らく日本人の大半が耳にしている事だろう

一聞すると明るいニュースに感じるが如何だろう?
社会が豊かに成りつつある事を実感出来ている日本人は多いのだろうか?
はっきり言って多くの日本人は実感出来ていない筈だ。
これは何故だろうか?

その理屈はとても単純だ

株価が上がる時は、その上がった後に買う株主から上がる前の株主へ対する利益移転であり、
株価が下がる時は、その下がった後に買う株主から下がる時の株主へ対する損失移転に過ぎない

からだ

詰まり、合計するとプラスマイナスゼロにしか成らないので、本質的に株価の高騰それ自体は社会を豊かにしないのである。
皆さんが社会は良くなっていると感じられない事は至極当たり前なのだ

こういう本質的な豊かさの話はあまり投資家や日経新聞などからは出てこないだろう




では本質的に社会を豊かに出来る物事は何なのか?と問いかける人も居るだろう。身近な物で例示するならコレである



そう。「缶切り」である。
缶詰めが発明されたのは1810年であり、
缶切りが発明されたのは1858年だと言われている。
人類はかつて缶切りの無い48年間を過ごしていた

もし「缶詰めが有るのに缶切りが無い世界」と「缶詰めが有り、缶切りも有る世界」を選べるのなら、貴方は後者を選ぶだろう。豊かさとはこういう物だ。
もしも前者を選んだ場合、貴方は包丁などで缶詰めの蓋を力強く叩いてぶち破らなければ中身を食べられない。残念ながらあまりスマートな食事風景とは言えないだろう

そして20世紀後半になると少しづつプルトップ型が定着し始めた

こうして私達は缶切りすら必要としなくなったのだ。
豊かさの発展とはこういう物だ


人々の生活を豊かに出来るのは、道具の進歩や発明、文化の発展、知識や技術の積み重ねである

株価の高騰が国内のお金を増やす事も有るのだが、これは労働者の視点だとどうしても実感が沸きづらい。
株価が上がると企業は短期決戦的な利益獲得に打って出る必要性も上がり、設備投資が促進されるので、私達はこれにあやかって転職でも出来れば良いのだが、現実はそう上手く行かないのだ。例えば熊本県は景気が良いと聞いても、おいそれと引っ越すわけにはいかないだろう

国民全員から見て株高に価値が発生するのは、革新的な新技術の開発へ寄与する可能性が高い時だ。
私達は株高を全否定すべきではない。恩恵を受けられるまではかなり時間差が有る事を認識しよう。
例えば、革命的な発電方法を完成させるとか、液体電池の実用化に成功する、トヨタが水素自動車で世界を制する、といった未来の訪れである(必ずしも日本企業が実現する必要は無いが、株高は期待されている証拠であり、資金調達はし易くなる)

株高自体は社会に必ずしも利益をもたらせない。株高によって培われた何かが社会を豊かに出来る(かも知れない)

株高のニュースが世の中を駆け巡っていても、豊かさはまだ訪れていないし、本当に訪れる保証は無いし、株高は社会に在るお金の量や価値を必ずしも増やせない。
もし市民が恩恵を感じられるとしても、それはまだまだ未来の出来事でしかないのだ

2024年07月20日