唯金論(Fireするのは才能が必要だ)

Note以外のメディアに触れる機会をあまり設けない私でも、昨今の日本では株などが話題である事を知っている。日本を拝金主義という名の怪物が歩き回っているかの様だ

株が上がってから株を買うのは何だか不思議な発想だが、配当金などを収入の足しにしたり、複利で貯金を何十年で何倍にしたりといった、再現性の高い行動に関心が高まるのは良い事かも知れない。正社員であれば猶更だ。
私の様なフリーターには再現不可能である。少なくとも収入的にかなり難しい

私はどちらかと言えば物質主義者なので迎合し辛い。結局はお金という物が物質やサービスに変換される事で初めて価値を発揮する、と考えてしまう為だ。これはとても愚かな発想である。そして当然、私は自分が愚かだという自覚を持っている

しかし疑問に思うのだが、確か昨今の若者は結婚離れや出産離れが進んでいる筈だ。複利で貯金を増やしたとして、それを子孫へ託せば更に増える、という考えは有るのだろうか。もし1世代限りの拝金主義だとしたら、それは何だか薄ら寒い物を感じてしまうのは私だけなのだろうか

また、株によって手に入れたその金を彼らは何と交換するだろうか。これは価値観が物を云う問いだ。
「私は何に価値を見出すのか?」という結論が無いままに拝金主義を貫くのであれば、その原動力は一体何だろう?稼ぐことそのものが目的に見える。
また、1年でも早く労働者を脱却してニートに成りたいと考えている、という可能性も非常に高い(少なくとも私にはそう見える)

残念だが、この唯金論的な発想はニートに成った事が有る人間でないとあまり意味が無いだろう。
ニートを嗜むには才能が必要であり、ニートの才能があって尚且つ結婚や出産に興味が無い場合、そもそも既にほぼニートに成っている筈だからだ

ニートの素質も無いのにニートを目指してしまう事は大変危険だ。まさか誰にでも出来ると考えて居るのだろうか。
ハッキリ言ってFireを目指している人間が本当にFireしても、将来への不安は払拭出来ない上に、娯楽漬けの日々を謳歌出来ないだろう、と私は思う

私はニート適性が非常に高い。自分の将来に不安を感じた事などかつて1度も無かったのだ。多分これからも無いだろう。せいぜい死ぬ直前くらいに違いない。
脳科学に於いて、この性格はセロトニン運搬遺伝子の性能が違うから、とか何とか考えられているようだ(私はこの理論を眉唾だと捉えているが)

Fireしたいなら逆に、3年くらい無職に成ってはいかがだろう。それで適性がわかる筈だ。1000日間ずっと楽しく、愉快で楽観的に過ごせればニート適性が高い。本を読んだり映画を観たり、音楽を聴いたりゲームをしたり、お笑いを見たり、行けるだけレストランに行ったりするのだ。散歩にも行くと良い。
当然親の脛などを齧らなければ成らない。小言を意に介さない「胆力」、隣の芝を目に入れない「鋭い観察力」、平均的な社会人の発想や行動と自身を比較しない「高度な認知力」が必要だ。人はそれを「愚かさ」と呼ぶだろう

もしくは貯金を減らし続けながら生活するのだ。不安を感じなければ合格である。晴れてニート適性は花丸と云えるだろう

無職に成らなくてもニート適性を測るとても良い方法がある。それは、
「学校が楽しかったかどうか」である。
はい/いいえ、で答えて貰う。これで大体判る。
学校も楽しく通えないのにニートが楽しい確率は低い。
学校が詰まらなかった、という価値観の人間が高収入無職に成っても、インターネットの迷惑系おじさんと化してしまう可能性が高い。あまりにも無謀である

今日という日を楽しめない場合、大抵は楽しい明日などやって来ない。それは金が有っても無くても同じだ。
何故なら人間の本体は脳みそだからである。金を手に入れても脳は変わらない。毎日が幸せそうなお金持ちは、実はお金が無くても幸せな人なのである

2024年07月09日