ゆとり教育は氷河期世代を少しだけ救ったかもしれない(ケインズ理論)

私が小学校3年生か4年生の時に土曜日の授業が無くなった。ゆとり教育が始まったのだ

当時のメディアが流布していた言説には子供ながらに違和感を覚えたものだ。だいたい以下の3つだったと思う。
①円周率が3になる
②台形の面積を計算する方法は習わない
③徒競走はお手々を繋いで仲良く一緒にゴール
とか言われていたはずだ

しかし、いざゆとり教育を受けてみたところ上記の言説は嘘だった。
円周率は3.14であり、台形の面積は習ったし、徒競走は順位を付けられた。
なぜあのような嘘をメディアは並べ立てたのだろうか?
2000年代に小中高を過ごした私が振り返ってみよう

小学校4年生になると不思議な事が起きた。
土曜日の授業が無くなった余波なのか、「がんばルーム」とかいう変なお勉強会が土曜日に小学校の中で開かれ始めた。初年度はかなりの生徒が参加していたと思う。残念ながらこれは下らない取り組みであったと言わざるを得ない。
私の友人は「実にしょうもない」という旨の感想を述べていた。老人が幾人もやって来て「もしもしカメよ~」などと手遊びをやらされたり、図書室で黙々と宿題をするだけのイベントは、小学生には大変ウケが悪い。
翌年には同い年の参加者が5人程度までに激減しており、なぜか女子生徒は1人も居なかった事を覚えている

6年生になった私はこのイベントに参加しなくなった。しかしその代価として市内の「早稲田ゼミ」という学習塾に通わされてしまう

そして中学生になるとかなりの同級生が塾通いをしている事が判明する。西暦2005年、日本は間違いなく塾ブームだった。私の兄姉が通っていなかった事を考えると、これは時代の変化だったと思っていいだろう

未成年飲酒・未成年喫煙・無免で原チャリに乗っている、そんな生粋の不良生徒も塾に通っていた(不良男子の母親は別段不良ではないのでこういった現象も起きる。当時の不良あるあるだ)彼らは塾ブームを象徴するかのような存在だったと思う

塾講師は何故かほぼ全員が20代後半で、せいぜい30代前半だ。
2005年頃に28歳くらい、つまり1977年生まれ。
そう、塾講師は就職氷河期世代のお兄さん達ばかりだったのだ

私が高校を卒業する頃には大学進学がそこそこ標準的な考え方になっていた。
市内に新しい大学が建設されていた。2000年代を通じて日本に大学がかなり増えたと思う。しかし若年人口は減っていた筈だ。結果的に高卒は少し珍しい存在になっていった気がする

さて、少し話を整理しよう。2000年代の日本で起きていたことは、
1.少子化
2.ゆとり教育と、それに対するネガティブキャンペーン
3.大学の増加
4.通塾者の増加
5.学習塾従業員の増加
といったところだ。一応ソースも貼っておく

https://www.directforce.org/DF2013/02_DF_katsudo/gijutsu/pdf/2023/a10.pdf

大学が増えまくっている


https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_9.pdf

高卒は珍しく成った


https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/08/__icsFiles/afieldfile/2009/03/23/1196664.pdf

この表で注目すべき点は、小1(H5)の児童=中3(H14)の生徒であるという事だ。
平成を通じて塾通いはじわじわと過熱していったことが分かる。ちなみに私は中3(H19)だ


https://www.neri.or.jp/www/sp/contents/16232274

塾の数は横ばいだが、塾で働く人は6万人も増えている。
そして大学が増えたため、大学で働く人も増えたはずだ


その他に、1998年から法改正によって普及し始めた奨学金制度は、2003年以降爆増している

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2018/05/pdf/016-028.pdf


他にも高校生への授業料補助なども出るようになった。これが2000年代の特徴である


さて、以上を踏まえて私が思うのは、
「ゆとり教育が就職氷河期を少しだけ救っただろう」という事だ。
あくまでも少しだけ、である

ゆとり教育は実質的に公教育を民間へアウトソーシングしており、多くの雇用を促進させていた。
大学での雇用、大学進学や塾通いの過熱によって発生する雇用、そして奨学金制度の普及などで発生する雇用、これらの現場で働いていた氷河期世代のお兄様たちは結構居るのではないか?

そう、ゆとり教育とはケインズ理論の実践に他ならない

ケインズの展開した理論は、積極財政政策が経済運営に有効であることを示している。政府財政の不均衡を悪と見るのでなく、ケインズは反循環的(counter-cyclical、景気循環対抗的)財政政策と呼ばれるものを提唱した。それは、景気循環の良し悪しに対抗する政策である。すなわち、国内経済が景気後退に苦しんでいるとき、あるいは景気回復が大幅に遅れているとき、あるいは失業率が長期にわたり高いときには、赤字財政支出を断行し、好景気のときには増税や政府支出を切り詰めるなどしてインフレーションを押さえ込むという政策である。市場の諸力が問題を解決するには長い時間がかかるが、「長期には、われわれは死んでしまう」[11]から、ケインズは政府が短期に問題を解決すべきであると論じた。

同上

私は政府がこれを狙ってやってのけたとはあまり思わない。もしかしたら計算の上だったのかも知れないが、どちらにせよ氷河期世代を少しだけゆとり教育が救ったと私は思う。
2037年には氷河期世代の定年と共にこの現象は役目を終え、大学はバタバタと破綻し、塾に通う者は珍しくなり、奨学金は必要性を失うかも知れない

ーーーーーーーーーーーーーーー

さて、ゆとり教育を受けた側である私たちはどうだろう?
この政策は良い物だったのだろうか?
それとも悪い物だったのだろうか?
私にはわからない

塾通いが普及したことで学力テストの成績は向上してしまったと言える。塾ではやたらとテスト対策をやらされるためだ。
しかし問題文に対する回答をそつなくこなすのが勉学だと言うのだろうか?私はあまりそうは思えない。
更に言えば塾に通えない子と通える子の格差が浮き彫りになっただけ、とも捉えられるだろう。
それをもってしてゆとり教育は成功だった、などと政府が言えば首を傾げてしまう(まあ言わないだろうが)

とはいえ受験勉強をしないよりは、した方が脳に良さそうではある。大学進学などが普及したことで脳に何か良い影響があったかもしれない(特に実感はない)

唯一の確実な美点として、「人間はモラトリアム期間が延びると犯罪率が下がる」という不思議な現象が発生するため、ゆとり教育は犯罪率を下げる事にかなり寄与したはずだ、という事だろう。
22歳まで学生をやると何故か犯罪者になりにくいのだ。この1点のみでもそこそこ良い政策だったと言えるかも知れない

加えて雇用も促進した。
もしもいつの日か「ゆとり教育は成功だった」と政府が主張しても、私達は快く受け入れるべきかも知れない

2024年06月08日